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反対派の精神構造と思考構造
子どもがかわいそう?

選択別姓の反対論者たちが、大好きな主張のひとつに、
「夫婦別姓だと子どもがかわいそう」というものがあります。
この派生として「子どもがいじめられる」とか、
「きょうだいで苗字が異なるのはおかしい」などもあります。

2007年1月の世論調査によると、「夫婦の名字(姓)が違うと、
夫婦の間の子どもに何か影響が出てくると思うか」という問いに、
「子どもに影響はないと思う」と答えたのは、30.3%でしたが、
「子どもにとって好ましくない影響があると思う」は、
66.2%となっていて、なかなか高い割合をしめています。
http://www8.cao.go.jp/survey/h18/h18-kazoku/2-3.html

これは、「あると思う」というだけで、好ましくない影響が、
実際にあることを、しめしているのではないです。
漠然とした印象だけのかたも、結構含まれているでしょう。
それでも、頑迷きわまりない反対論者でなくても、なにかしら
よからぬ影響がありそう、くらいに思っている人は案外多いようです。
子どものこととなると、別姓夫婦に対する偏見は、
まだまだ強いようで、この問題はとりわけ根が深いと思われます。


ここで、おことわりしておきますが、いじめは「いじめる側が悪い」、
あるいは、差別は「差別する側が悪い」ということです。
それは、子どもをいじめたり、「かわいそう」とさけずむ、
まわりの人たちの責任であり、子ども本人でも、
非改姓結婚をしている、親のせいでもないということです。

別姓夫婦のお子さんが、かわいそうだったり、
いじめられたりするとしたら、それは夫婦別姓に対する、
社会の偏見が反映されているからだと思います。
(子どものいじめとは、おとな社会の醜悪な部分の凝縮だったりします。)
すべての子どもたちの幸せを願うなら、そうした偏見をなくすことこそが、
おとなたちに課せられた役目にほかならないでしょう。

ほかのことでは、この基本的なことが、押えられているかたでも、
家族や子どものことになると判断が狂うかたも、まま見られるようです。
このあたり、お間違えのないようにしてくださいね。

「子どもがかわいそう」という虚構
いじめたり差別したりする側が悪いと、理屈でわかっても、
実際に子どもがいじめられたり、肩身の狭い思いを
していることはないかどうかは、気になるところでしょう。

ウェブログを見ていると、親が夫婦別姓というかたを、
見かけることが、たまにあります。
つぎのエントリにあるように、どうということはないみたいですよ。
さしあたって、安心してだいじょうぶだと思います。
「冬へと走りだそう いつか来た道を通って。byかせきさいだぁ」
父親と母親の名字が違う。そう、夫婦別姓ってやつ。 だからって仲悪いとかいうのはぜんぜんないし、 物心ついたときからこうだった俺にはいたって普通のことだ。 夫婦別姓は子どもがかわいそうだとか聞くけど、え?って感じ。 別に不便とか感じたことはない。ただ人に説明するのがめんどくさいだけ。 これは親の気概が感じられる、好きなところ。
民法改正を進める市民団体グループも、このあたりは、 気になることでしたから、アンケートを取ったことがありました。 これを見ると上述の意見は、きわめて典型的であることがわかります。 「『子どもがかわいそう』って、ほんとなの?」 http://homepage1.nifty.com/album/bessei/bessei65/65_05_kodomo.html いちばん嫌だったという23歳の女性でさえ、 小さいころのことで、おとなになるにつれて解消しています。 もっとも面倒なのは、他人に説明することですが、 これは、どちらかというと訊いてくる周囲のせいですし、 夫婦別姓に対する認知が進めば、おのずと解決することです。 2005年6月13日に、TBSの『筑紫哲也 News23』で、 「夫婦別姓法案の行方」というタイトルの特集がありました。 このとき、お子さんが3人いらして、ふたりが父親と同じ苗字で、 ひとりだけ母親の苗字という、別姓家族が出演していました。 ひとりだけ苗字の違う子は、「そういえばなんで自分だけ?」と、 軽く疑問に思っていた程度で、事情を知ってからは納得したそうです。 きょうだいで苗字が異なることも、どうということはないようですね。 考えてみれば、産まれたときから、父母の苗字が異なる家庭で 暮らしているのですし、そういうものだと思って、 なんら疑問を持たないのが、あたりまえと言えるでしょう。 そもそも、子どもがはじめから、夫婦別姓に対して、 予断や偏見を持っているはずもなく、そうした考えは、 まわりのおとなが吹き込む以外にありえないことです。 それでも、子どもが社会に出るようになると、 世間の「常識」にさらされて、父母で苗字が同じなのが「ふつう」と、 思うようになるかもと、ご心配のむきもあるかもしれないです。 ところが、つぎのエントリを見ていると、一度親が訂正しただけで、 父母のそれぞれの苗字を、なんら抵抗なく覚えてしまうようです。 「夫婦の名前をフルネームで正しく言う。」 http://jijitsukon.ameblo.jp/jijitsukon/entry-10013795707.html 一回言っただけで、覚えてしまう記憶力も、さることながら、 別姓夫婦に予断がないゆえに、「なんだそうなのか」くらいに思って、 あっさり受け止めてしまうのだと思います。

子どもを利用する反対論者たち
ひるがえって反対論者たちですが、子どもがいじめられているとか、
不幸を感じているという、統計やアンケートはおろか、
個別の事例さえも、いつものようにぜんぜん出せないのでした。

それでいて、推進派の出したデータに対しては、
「事例の数がすくないので、ふじゅうぶんだ」とかなんとか、
論難をつけるのは旺盛だったりするから、いやになってしまいます。
相手の根拠は信用できないと言って、それ以上の根拠を要求するのに、
自分はそれ以下の根拠も出さないのは、「とんでも」の手口のひとつです。

それでも、「根拠」を出してくる反対論者も、ときにはいるようです。
ところが(これが捏造でないとして)、同姓の家族でずっと暮らしていて、
ある程度の歳になっている子どもに、訊いていたりするのです。
こうした子は、親がとつぜん苗字が変われば、
なんらかの拒絶反応を起こしたとしても、無理もないと思います。

ここで問題になっているのは、産まれたときから、
親の苗字が異なる家庭で、ずっと育っている子どもです。
したがって、同姓家族に馴染んだ子どもたちの意見は、
「根拠」として、まったくふさわしくないことになります。


わたしにも、よくわからないですが、反対論者たちが、
子どものことを持ち出すのは、おそらく「自分にとって異常だから、
子どもにとっても異常であり、かわいそうにちがいない」という、
ご自身の偏見の現れではないかと思います。
赤の他人の子どもが、自分と同じ考えであると決めてかかれる、
その感性が、わたしには、理解しがたいものがあります。

もうすこし、議論に勝つための戦略的な理由として、
これからさきのことで、なんとでも言えることもありそうです。
別姓夫婦は、比較的新しい世代に多いですから、子どもの数も少なく、
データが少ないので、「将来どうなるかわからない」と、
反証不可能なことが言いやすいこともあるのでしょう。

ほかには、子どものことは大切にするべきという社会通念が、
現代社会にはありますし、なにか子どもに問題があったとき、
親(とくに母親)の個人的な責任に帰する風潮もあります。
こうした固定観念を、利用しやすいのもあるのでしょう。

小さな子どもを持つ、あるいはこれから持とうとする親御さんは、
神経過敏になって、ちょっとしたことで、不安になることもあるでしょう。
そこへ反対論者どもが、子どもを楯に取っておどしたりすれば、
気持ちがぐらつくこともあるかもしれないです。
反対論者にとっては、「親の心配」というのは、
まさしく格好のつけこみどころなのかもしれないです。
じつに巧妙にして、卑劣だと思います。


ところで、子どもを作らないご夫婦が、非改姓結婚することは
どうなのかと訊かれると、反対論者たちはだまりこむようです。
子どもがいなければ、ここでお話したことは起きようがないですから、
すなおに賛成していいのに、なぜか消極的になります。

反対論者というのは、じつは、非改姓結婚に反対したいために、
子どもを楯に取っているだけなのだろうと思います。
それで、子どもがいないと、反対する理由がなくなるので、
なにも言えなくなるのだと思います。
ようするに、子どものためを思うふりをしているだけで、
自分の偏見の正当化のために、子どもを利用しているのだと思います。

子どもたちの「真のリスク」はなにか?
別姓夫婦の子どもはかわいそうとか、いじめられるといった言説は、
まったく根拠がないと結論してよいでしょう。
悩んだところで取り越し苦労ですし、気にしてしまうと、
場合によっては、反対論者たちの「思うつぼ」にもなるでしょう。

しかしそれでも、別姓夫婦の子どもが不幸になる、
確実な原因がひとつだけあると、わたしは思います。
それは、「夫婦別姓だと子どもがかわいそう」という、
偏見を持ったおとなたち、とりわけ、ここでわたしがお話ししている、
選択別姓の反対論者たちに出会うことだと思います。

反対論者たちこそ、「夫婦別姓だと子どもがかわいそう」と言って、
別姓夫婦の子に対する偏見を、蔓延させる張本人にほかならないです。
さらには、「おまえの家庭は一体感がない」と、わけもなくさけずみ、
「おまえの親は身勝手だ」と罵倒し、「おまえは将来非行に走る」と、
侮辱したりするのですから、危険で害をなしうる存在でしょう。

「わたる世間は鬼ばかり」とまではいかないにしても、
世の中はいい人間ばかりではなく、選択別姓反対派のような、
悪い人間、危険な人間もいるのだ、ということを、
子どもがある程度の歳になったら、教えてあげることも、
もしかすると、親のたいせつな役目かもしれないですね。

参考文献、資料

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