トップページ > 反対派の精神構造と思考構造 |
反対派の精神構造と思考構造 反対派は譲歩を受け入れるか? |
完全な選択制だと反対されるけれど、 別姓を選ぶときに条件をつけるなど、なんらかの譲歩をすれば、 「法のもとの平等」の原則には反するので、好ましくないとはいえ、 反対派が受け入れることも、あるのではないかと、 お考えのかたもいらっしゃるかと思います。 わたしに言わせれば、この可能性もまずありえないです。 これは、現実の政治が、根拠になっていると思います。 とくに自民党の推進派が主体となった、2000年ごろから、 市民団体も国会議員も、そうした方向で進めてきたのですが、 まったく進捗がなく、すこしの譲歩も引き出せないままです。 いちばんはじめの法制審議会の法案は、別姓か同姓かは選択制で、 子の苗字は出生ごとに届けるというものでした。 これをご覧の多くのかたは、これが望ましいと、 おそらくは考えているのではないかと思います。 ところが反対派は、子どもの苗字がばらばらだと、かわいそうだとか、 子どもの苗字が決められないときはどうするとか、難くせをつけてきました。 それではというので、結婚のときに、いっしょに届けるようにして、 子どもは全員、同じ苗字になるようにしたのでした。 ところがそれでも反対派どもは、認めなかったのでした。 そのつぎは、婚外子差別の撤廃が、反対派にとって抵抗が強いようだ、 というので、これを民法改正から切り離すことにしました。 選択別姓の実現だけ、めざすことに方針を変えたことになります。 ところが、反対派たちは、やはり認めなかったのでした。 反対派たちは、世論調査で、賛成のほうがすくないことを 反対の理由にすることが、よくありました。 とくに、女子差別撤廃条約にもとづいて、民法改正の必要があることを 保留する理由として、世論調査が使われていました。 そこで、結果が賛成派に有利なら、展望が開けるかもと期待して、 2001年に、世論調査を行なったのでした。 そうしたら、選択制容認の賛成が、反対より多くなったのです。 ところが反対派たちは、世論調査を反対理由にしなくなっただけで、 民法改正自体は、相変わらず認めなかったのでした。 それではというので、選択制はあきらめて、 原則は同姓で、別姓を特例扱いする、例外制法案を打ち出しました。 この法案では、はじめに別姓を選んだカップルは、 あとで同姓に変更ができますが、同姓を選んだときは、 あとから別姓への変更は、できないようになっています。 これで、「別姓が認められると、同姓の価値が下がる」などという、 反対派の言いぶん(情けないんだけど...)に、配慮したとも言えます。 ところが反対派は、例外制法案も、認めなかったのでした。 彼らに言わせると、実質的に選択制とかわりがないので、 安易に別姓を選ぶ人に、「歯止め」がきかなくて危険なのだそうです。 (根拠なんてないんだけど...) ところが、2002年ごろですが、家庭裁判所が関与すれば、 「歯止め」になるので賛成できるという、反対派が出てきたのです。 それならばというので、推進派たちは、別姓を選択するときは、 家庭裁判所の認可を得るという、家裁認可制法案を出すことにしましたよ。 これでさすがに、家裁案を提唱した議員は、反対するのをやめて、 だまってしまったようですが、ほかの多くの反対派議員たちは、 まったく妥協する気配がなく、あいかわらず反対を続けたままでした。 なかには、「家裁の認可というが、裁判所は信用できない」 というやからまで、出てきたくらいです。 |
選択制の反対派たちの中は、旧姓を通称として、 使えるようにする案を出しているから、 じゅうぶんな譲歩していると、考えているものもいるようです。 ところが、「まぼろしの通称制法案」でも、お話していますが、 通称使用を認める法案は、いちばん説得力があるとされている、 高市早苗氏の案でさえも、あるかないか、はっきりしないです。 また、あったとしても、高市の案に沿うと、同時に改正が必要とされる法案が、 すくなくとも、400ほど出てくると言われています。 こうした状況に対応は、できなさそうな感じです。 ほかの反対論者たちは、もっとていたらくで、 みずから主張しているはずの法案を、作らないどころか、 企業や官庁における、通称使用の実態を調査したとか、 具体的な検証をしたということもないみたいです。 取ってつけたように、「通称使用でじゅうぶんだ」と 結論しているにすぎないのがたいていです。 わたしに遠慮なく言わせれば、反対派というのは、 別姓希望者のために、わざわざ対案を考えてやる気など、 もともとないのではないか、そんな感じさえしてくるものがあります。 彼ら反対論者たちのねらいは、選択別姓法案の可決を、 ただひたすら妨害することなのだろうと思います。 2003年3月13日の産経新聞は、社説欄で「反対意見は根強く、 高市案が今でも説得力を失っていない証左だ」と書いています。 しかし、反対意見が根強いのは、説得力があるからではなく、 反対論者たちが、頑迷きわまりなく、 なにがあっても、聞く耳を持たない人たちだからであり、 こうした人たちが、法案提出を妨害するからにほかならないです。 2001年12月25日付けの産経新聞は、 『夫婦別姓 なぜ法制化されないのか』というタイトルで、 ======== ある女性議員から「産経新聞は反対派だから」と 取材を拒否されたこともあった。 だが、そういった態度では反対派を 説得することはできないし、歩み寄りも無理であろう。 ======== などと、不満げに書いています。 しかし、取材を拒否されたのは、反対論者たちは狂信的で、 なにを言っても無駄だから、はじめから相手に しなかっただけであろうことは、想像に難くないです。 彼らに対して、説得に臨んだら最後、いつまでも 「別姓の必要性が伝わらない」と言われ続けて、 無限の時間稼ぎをされるのが、関の山だと思います。 これからも推進派は、家裁認可制からさらに、 なんらかの譲歩した案を、考え出すこともあるかもしれないです。 しかしそれが、どんなものであっても、反対派たちは、 けっして説得もされず、歩み寄りもしないであろうことが、 いままでのことから、ひじょうに強く予想されます。 あたかも推進派が、排他的であるかのように批判する、 産経新聞の言いぶんは、盗人たけだけしいとしか言いようがないです。 反対論者というのは、別姓に対して、 寸分の妥協も受け入れられず、なにがあっても、 別姓とは絶対に共存できないのだと、考えざるをえないでしょう。 「結婚したければ、同姓にしろ。いやなら結婚するな。」 「日本で結婚するなら同姓強制だ。いやなら日本から出ていけ。」 これが、反対派の許容できる、唯一無二の結論なのでしょう。 |
参考文献、資料
|
「反対派の精神構造と思考構造」にもどる トップにもどる |