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反対派の精神構造と思考構造
反対派批判の意義

リアルの世界の、友人や知人とか、身内のかたでも、
あるいは、インターネットの世界でもいいのですが、
頑迷きわまりない選択別姓の反対派を、どこかで見つけたとしましょう。
こうしたとき、どうするのがよいか、ですが、
よほどのことがないかぎり、極力相手にしないのがいちばんです。

「反対派と議論をすると...」に書いていますが、
選択制反対で固まった反対論者は、はじめに結論ありきで、
理由も理屈も受け付けない人たちです。
議論をしたところで、選択制の必要性を理解するなんて、
まずありえないことですし、生産性のとぼしい不毛な議論を、
強いられるはめになるでしょう。

その不毛ぶりを、引き出して楽しみたいという、
奇特な趣味をお持ちでしたらべつですが、まじめに説得するつもりで臨んでも、
いたずらに時間と労力を、無駄に使うだけになると思います。
そういうしだいなので、わたしのサイトやウェブログも、
反対論者の理解を得ることは、目的とはしていないです。
第三者を相手に、「こんな人たちもいるんだよ」という調子でお話しています。

こうしたことは、選択別姓の反対派たちだけでなく、
とんでもの信者と議論するときの、一般的に言えることでもあります。
たいていは、相手にしないで放置せよと、言うだろうと思います。
たとえば、つぎのページの、最後の質問をご覧になるとよいでしょう。
http://www.hmt.u-toyama.ac.jp/chubun/ohno/qanda.htm


学問や評論の世界なら、関わらないですませることもできるでしょう。
ところが、民法改正、選択別姓のように、
生活や政治にかかわることだと、避けて通れないことがあるのでした。
早いお話、自民党の反対派で、民法改正法案の提出を、
妨害している人たちをどうにかしないと、実現がありえないわけです。
それでいやおうなしに、対処を考える必要が出てくることになります。

不幸にして、絶対に意見を変えないであろう反対論者と、
議論するはめになったときですが、その場合でも、
おそらくは、ひたすら議論をしかけるのが、最善だろうと思います。
その理由のひとつは、反対派の実態を第三者に見せることで、
彼らがいかにとち狂った人たちかを、知らしめることができるからです。

もうひとつは、徹底的に批判されて、反論できなくなることで、
反対を続ける自信を、失なっていくかもしれないからです。
(議論によって、説得はできなくても、自信をそぐことはできるのだと思います。)
なまじかばったり、容認したりすると、反対派たちに、
自信を持たせたりもして、かえって有害なこともあるでしょう。

頑迷きわまりない反対派たちの、対処法があるとしたら、
どんどん批判して、選択制導入に抵抗する意志を、
すこしずつくじいていくよりないのではと、わたしは思います。

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