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反対派の精神構造と思考構造
政権交代を否定してよいか?
別姓推進派たちの「自殺行為」

「別姓を望む人たち」の中には、政権交代に向けて活動をするより、
自民党政権下で、自民党の議員たちに理解を得たほうが、
選択別姓の実現が早いだろうと、考える人たちがいます。
インターネットの選択別姓の市民団体の活動がおさかんだった、
2001-2003年ごろは、とくにそうした風潮が強かったです。

このころは、民法改正は、世論のあいだでも
注目されていたこともあって、自民党の推進派議員の動きも活発でした。
総選挙を意識して選択別姓実現を考える意見も、自民党内にあったくらいです。
そのせいで、自民党政権下でも、自分たちの努力しだいで、
実現しそうな気がする人も多かったのでした。

民主党は、今後が期待されていたとはいえ、2001-03年ごろは、
衆議院の議席は国会全体の、4分の1程度しかなかったのでした。
政権獲得まで、1回の選挙では無理で、あと数回は選挙が必要そうです。
民主党が政権を取ってから、民法改正が実現するとしたら、
何年もさきのことになりそうです。

また民主党は、民法改正法案は、党是に照らし合わせて
賛成が当然なので、党議拘束が特例的にかけられてはいます。
ところが、2002年に、1回生議員の山谷えり子氏が
とつぜん党議拘束に反した民法改正反対を唱えたのでした。
これによって党内で、議論が蒸し返されることになるなど、
いまひとつ信頼しきれないところがあります。


わたしに言わせれば、このような状況でも、自民党に「お願い」するより、
民主党政権に期待したほうが、実現は早いだろうと考えます。
自民党には、説得なんて思いもよらない、頑迷きわまりない
反対派議員がたくさんいるし、法務部会の事前審査の中で、
彼らが法案提出を握りつぶせる、というシステムが
固まっているので、ほかにいくら熱心な推進派議員がいても、
何年かかっても、実現は無理と考えられるからです。

事前審査を通過しないためには、自民党が下野するしかないでしょう。
そうなると、民主党が政権を取るよりないことになります。
かなり遠回りに見えますが、このほうがずっと近道なのだと思います。

こうした考えを、わたしは、ネットの市民団体の人たちが
多く集まる掲示板で、何度も述べたことがあったのでした。
当然彼女たちは、わたしの意見など、こころよく思うはずもないです。
わたしは、市民団体の人たちから、くりかえし集中砲火をあびたあげく、
ついに排除されてしまったのでした。

ネットの市民活動家たちが、自民党支持にこだわった理由は、
すこしでも早く、選択別姓制度を実現できると思ったからですが、
そのほかに、自分たちが、積極的に行動をして、
政治を動かしたい、という気持ちもあったようです。

日本人は、こと政治になると、文句を言うだけで、
具体的なことはなにもしない、だれかになにかしてもらうのを、
待っているだけだ、というコンプレックスがあります。
そうしたコンプレックスの解消にも、つながったみたいです。

それに加えて、それまで別世界の住人だった、
代議士という権力者に、電子メールで直接対話したり、
さらには集会で顔を合わせたりして、じかに意見を伝えるのは、
自負心をくすぐるものもあったでしょう。


さらに自民党は、一般には保守系政党とされていて、
ジェンダー問題には、理解がうすいと思われています。
「自民党だからだめなんだと、十羽ひとからげにして
決めつけたりせず、自民党にもいろんな議員さんがいることを、
自分たちは理解している」と思うことができるので、
「カチカンの多様性」というお題目が大好きな、
市民活動家たちの精神構造にも、よく合うのでした。

ようするに、自民党を支持するとか、自民党の議員と
接触したりするというのは、選択別姓の市民活動家たちにとって、
いろいろな意味で、意識が高くなった気分になれて、
自負に酔うことができたのでしょう。


かかる一連の姿勢は、客観的に現状を分析しているのではなく、
市民活動家たちの願望にもとづいているのだと、わたしは思います。
しかし、そうした願望を、現状分析に摺り替えて、
「選択別姓を実現したかったら、自民党の議員さんたちに、
丹精込めてお願いしなさい」と、市民活動家たちは叱咤していました。

現状にもとづかない活動は、とうぜん無理があります。
そうした無理な活動を続ければ、メンバーの中から、
疲弊する者が出てくることがあります。
そうなると、櫛の柄が一本づつ抜けていくように、
脱落する人が出て、ひいては運動全体が消滅するおそれもあります。

視野狭窄を起こして、自負心に酔いしれようと、
それがもとで、運動それ自体がつぶれることになろうと、
インターネットの市民活動家たちの自業自得だとも言えます。
ところが、積極的に政権交代の可能性を、否定するようになったら、
だまって見すごすことはできなくなります。

民主党の活動に興味を持たないだけなら、まだましなほうです。
さきにお話した、2002年の山谷えり子の公約違反を槍玉にあげて、
民主党が政権を取っても、党内に反対派がいて、
法案提出を妨害するおそれがあるから、やはり実現はしないなどと、
あからさまに斬って捨てることもあります。


ネットの市民活動家たちは、自民党政権下で実現させる前提なので、
政権交代をめざすことが、そもそものプログラムに入っていないです。
それゆえ、政権交代に期待するのは、「実現をあきらめた」
「指を加えて見ているだけ」などと言って、
政治意識の低いことだと、決めつけてくることもあります。

わたしも、根拠を挙げながら、何度も釈明をしたのですが、
「実現をあきらめている」と、おなじ曲解をしてきます。
彼女たちは、自分たちのやりかたに酔いしれているので、
いくら言っても、もはや聞く耳持たないのだと思います。

ひどいのになると、自民党の推進派議員がやる気をなくす
おそれがあるから、民主党は活動をやめてほしいなどと、
民主党の議員のところへ行って、「お願い」するかたもいたのでした。
もちろん、こんなばかげた要求は、受け入れられなかったですが、
政権交代に期待するのを、見下すだけではたりなくて、
妨害もしなければ、安心できなかったみたいです。


反対派の立場で見ると、自民党の法務部会が「最後のとりで」であり、
政権交代によって、この「とりで」がくずれ落ちることになります。
選択別姓の推進派が、みずから政権交代に否定的になるのは、
反対派たちにとって、とても都合がいいことになります。

悪賢い反対派は、このような推進派たちに近付いて、
「あなたがた推進派の言うことも理解できる」といったそぶりで、
自分を信頼させて、政権交代に関心を持たないよう、
推進派たちを、仕向けることにもなるわけです。

推進派のほうも、「反対派の言うことも理解をしめせるので、
自分たちは、多様なカチカンを尊重している」という気分になって、
ますます、かかる反対派を重宝し、手を結ぶようになります。
自民党政権下での選択別姓の実現に、血道をあげる推進派たちは、
こうして、反対派の利益のために、利用されることになります。

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