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反対派の精神構造と思考構造
改姓した側の血筋は?

「苗字が同じであることが、血筋を証明している」という
反対論者を見かけることがあります。
おそらくは、「夫婦別姓で家族の一体感」と、
「苗字は家族の名前」の組み合わせと思います。

ここですぐにわく疑問は、結婚改姓したときです。
結婚改姓すると、親やきょうだいとは苗字が異なってきますが、
そうなるとおなじ血筋でないというのでしょうか?
あるいは、おなじ血筋だけど、結婚改姓したら、
血筋の証明などいらない、というのでしょうか?

(現実問題として、結婚改姓によって苗字が異なると、
親子関係がわかりにくくなることは実際にあります。)

多くの場合、結婚改姓するのは女性なので、
たいていのかたは、母方の祖父母とは、苗字が異なると思います。
苗字の違うおじいちゃん、おばあちゃんからの血筋は
引いていないということはないでしょう。


ようするに「苗字が血筋を証明」というのは、
結婚改姓をしなかった側だけの都合ということです。
そして結婚改姓した側のことが、すっかり忘れられているわけです。

これを言う人は、おそらく自分は結婚改姓を
しないのだろうと思います。
結婚改姓しないのが通常男性であることを考えると、
苗字が証明する血筋なんて、父系中心的なものを感じます。


本当に苗字に血筋の証明をさせたかったら、
結婚改姓をなくして強制別姓にすることでしょう。
実際、東アジアや東南アジアの伝統では、
苗字は出自を表わしたので、結婚改姓して夫婦同姓になる、
という発想がなかったのでした。

韓国ではいまでもおなじ苗字の人とは、
おなじ一族出身の可能性が高いので、
おたがいに結婚したがらないというお話ですよ。

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