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反対派の精神構造と思考構造
現実から乖離した他者認識

選択別姓の反対論者たちは、民法改正が多くの人たちから
望まれていると、思いたくないからですが、
ことさらにその必要性を、矮小化したがるようです。

反対論者たちは、「自分には不利益があるとは思えない」という、
自分のナイーブな感覚を楯に取るだけで、
実際に不利益がある人たちの現状が、どうなっているかを、
直視しようとしないのでした。

いちばんわりを喰うのが、アイデンティティでしょうか。
苗字は家族のものであって、個人の持ち物でない、とか、
たかが名前で失われるアイデンティティはちっぽけだ、とか、
露骨に無神経なことを、並べてきます。
第三者的にわかりにくいので、自分に都合のいいような
思い込みや決めつけが、やりやすいのだと思います。

ひどい反対派になると、インターネットの検索で、
調べられる程度のことさえ、調べる労をねぎらわなかったりします。
自分が知らないことなのに、わかろうとする努力もせず、
かくも断言だけするというのですから、おこがましいかぎりです。


また、反対派たちは、個人に対してだけでなく、
社会全体に対しても、現実から目をそらそうとします。
たとえば、「自分のまわりの女性たちは、
ふつうに結婚改姓して、不満はないようなので、
民法改正がそんなに必要だとは思えない」というものがあります。

会話でしょっちゅう出てくる話題ではないですし、
そもそも、プライベートなことですから、
だれにでも、お話することでもないでしょう。
まわりで見かけなくても、無理もないことだと思います。

ましてや、夫婦別姓というだけで、攻撃的になりかねない、
反対派のような人の前なら、なおさら隠すことだと思います。
一般に、マイノリティは、社会からの仕打ちを警戒して、
その存在を、知られないようにしていることが相場です。
自分のまわりで、見たことがないことをもとにして、
いないと判断することは、えてして危険なことがあります。


それから、反対論者が出す「対案」として、
「通称が使えればじゅうぶんだ」があります。
この対案の実現は、合わせて改正する法案の数が膨大など、
大きな困難があるのですが、それについて、かえりみることはないようです。

また、反対論者たちは、通称が使われている実態を、
調査した上で、意見を述べているものではないようです。
ほとんど思い付き同然で、言っていると言ってもいいでしょう。
そして、「対案」を出したのだからと、自分だけで納得して、
だいじょうぶなことにして、それ以上は考えなくなるみたいです。


おそらく、反対論者というのは、相手に納得してもらうための
議論をしているのではなく、「これでうまくいくのだ」と、
自分がひとりよがりに納得したいための、
「理由づけ」を探しているのだと思います。
反対派の主張が、反対派たちのあいだだけでしか、
説得力を持たないのは、こうしたことが原因のひとつかもしれないです。

都合の悪い事実から目をそらして、自分にとって心地のよい、
虚構ばかり幻視していると、本当に現実が見えなくなってきます。
そのずれた現状認識にもとづいて、さらなる現状分析をするので、
ますます現実からの解離が、大きくなってきます。

こんなことを繰り返していけば、反対派たちの、
現実と認識との解離は、どんどん広がっていき、
気がついたら、とてつもなく非常識になっていそうです。
こうして、「現実を無視した、教条的決めつけが優先する」という、
疑似科学的思考のもとが、できていくのかもしれないです。

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