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反対派の精神構造と思考構造
極端な人を排除すれば賛成するか?

「別姓賛成派には、一部に極端な人たちがいる。
彼ら彼女らに危険を感じるので、選択別姓には賛成できない」などと、
言う人たちが、選択別姓の反対派の中に、ときどき見られます。
一部の「極端な人」というのは、もうすこし具体的には、
フェミニストとか、ジェンダーフリーの推進派であることが多いようです。

このあたりを見越してか、推進派、賛成派の中には、
自分はフェミニストではないことを、やたら強調したがるかたもいます。
そればかりか、民法改正や、選択別姓を、
フェミニズムとは関係ないことだとして語ろうとしたり、
さらには積極的に、フェミニズムを否定し、攻撃することで、
自分たちは「穏健」であり、「危険な」フェミニストではないと、
反対派たちに、アピールしたがるむきもあったりします。


わたしがよく見ている、ネットの市民団体は、この傾向がとても強いです。
彼女たちに言わせると、ヒステリックにさわぐ、
「フェミ」や「極端な人」が、選択別姓に対して、
好ましくないイメージを作るので、実現の足を引っ張るのだそうです。

たとえば、会の代表世話人が書いている、ウェブサイトでも、
(「*私見;各党の内情」のところを参照。)
「未だに『男対女』という発想から抜けられず、
国会でもその線の質問が多いのが難点。あれでは賛同者を
減らすだけだと私は思う」などと、社民党の批判をしています。

ほかにも、この掲示板の投稿(12月23日)を見ると、
「暴論を吐くフェミが悪い」のだと、決めつけていて、
フェミニストたちを排除することを、主張していらっしゃります。
このかたに言わせると、「堅実な生活を営む日本人が、
別姓を必要としていることを、きちんと説明すれば、
反対派は理解してくれる」のだそうです。


賛成派たちや、推進派たちが、反対論者に対して、
自分たちが「フェミ」でも、「極端な人」でもないことをしめしたり、
さらには「フェミ」や「極端な人」たちを排撃すれば、
反対論者は、別姓によいイメージを持つようになり、
いずれは、民法改正に賛成もするのでしょうか?

わたしの結論をさきに述べると、「そんなことはまずないだろう」です。
すくなくとも、推進派が、「フェミ」や「極端な人」を否定したり、
攻撃したりしているのを見て、「別姓は、危険なフェミでも
サヨクでもないと知って安心できたので、賛成しましょう」なんて、
考え直した反対派は、どこにもいないようですよ。

ずるがしこい反対派になると、友好的な態度をよそおって、
「穏健な」推進派に近づき、これを利用しようとすることもあります。
たとえば、「選択別姓に理解できなくもないけれど、
フェミニズムや、ジェンダーフリーには、このような人物がいるから
(考えかたあるから)まだ安心できない」などと、反対派は言います。

「穏健」と思われたい推進派たちは、反対派の理解が得られると
思うからですが、反対派が危険と言っている、
フェミニズムや、ジェンダーフリーの考えかたや人物を、
くだんの反対派のかわりに、攻撃することになります。

ところが、選択別姓が認められないかぎり、
反対派はこれを交換条件にして、自分の要求をいつまでも、
「穏健な」推進派たちに、飲ませ続けることができます。
ところが、選択別姓が実現したら、それまででおしまいです。
くだんの反対派は、表面的にものわかりがよさげなだけで、
内心では絶対に、認めるつもりなどないのだろうと思います。


これをご覧になっているみなさまは、自分は「フェミ」でも
「サヨク」でも「極端な人」でもないから、反対派たちに、
危険視されることは自分にはないと、お考えかもしれないです。

ところが反対派は、個人的に気に入らないとか、
そのときの都合で、あなたを「極端な人」と、決めてしまうことがあります。
そうなると、いくらあなたが弁解しても、通用しなくなるでしょう。
わたしは、ずいぶんひどい目にあったから、言うのですが、
第三者的に見てどうとか、なにかはっきりした
基準があるかとかは、かならずしも関係ないのでした。

ここまで来て、察しのいいかたは、お気付きと思いますが、
「一部に極端な人がいるから賛成できない」と言い続ける反対派の、
真のねらいは、民法改正推進派を分裂させることにあります。
推進派どうしで闘わせることで、おたがいの力を消耗させて、
ひいては民法改正の勢力全体を、弱めようというのでしょう。

児童ポルノ禁止法に便乗した、コミックなどの過剰規制に、
反対する人たちは、フェミニストは敵でないことを、よく理解していて、
彼女たちを排撃するのは、不必要に敵を増やすだけだと考えています。
そして本来の反対論者(セックスヘイター)の影響力を
なしくずしにすることがだいじなのだと、見きわめています。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8595/feminist.html

フェミニストを敵視し、反対派に懐柔されようとする、
選択別姓の推進派のあいだに見られる態度とは、
一線を画していると言えるでしょう。
この過剰規制の反対運動は、一定の成功をおさめて、
いちおうの幕を閉じるのですが、このあたりの判断が、
賢かったこともあるのだろうと思います。


選択別姓や民法改正も、フェミニストは本来の敵ではないです。
反対派の顔色をうかがって、彼女たちを攻撃したところで、
反対派の利益になるだけで、かえって好ましくない
影響が出るだけだろうと、わたしは思います。

本当の意味での「極端な人」のことは、放っておくのがいいと思います。
どんな実践的な主義主張であっても、極端な人というのは、
かならずどこかしらにいるものです。
そんな連中のことを、いちいち気にしていては、
目標を見失って迷走することになるでしょう。

民法改正、選択別姓の実現のために、だれかを攻撃し、
排除する必要があるとしたら、それは選択別姓反対派だと思います。
世界のほとんどの国で、別姓が認められている
21世紀にもなって、現実から乖離した妄想にしがみついて、
「家族崩壊をたくらむフェミやサヨクの陰謀だ」などとわめいている、
選択別姓反対派たちこそ、真の「暴論を吐く人」たちであり、
真の「極端な人」たちに、ほかならないでしょう。

このページは、サイトを開いたはじめのころ書いたのですが、
はっきり賛同してくださるかたが、何人かいらっしゃりました。
こういうことを書くと、嫌われるかと思ったのですが、
そうではなく、同じことを考えているかたも、
案外いるのだと、わたしは、うれしくなったのでした。

「フェミやサヨクのせいで、反対派が硬直するから、
選択別姓が実現しなくなる」などと言って、
攻撃的で排他的になる、本流的な推進派たちに対して、
へきえきしているかたは、結構多いのかもしれないです。

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