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反対派の精神構造と思考構造
現行法は男女どちらの姓も選べるから平等?

選択別姓反対派の中には、現行法は男女どちらの
苗字でも選べるから平等だと言う人たちがいます。
現行法に差別はないから、民法改正の必要はないと、
くだんの反対派は言いたいのでしょう。

現行民法が形式的に男女平等なのはたしかです。
男女のどちらの苗字を選ぶにしても、男女で非対称な、
法律上の制限や付帯事項はなにもないからです。


ところで、現行法はかならず男女の
どちらかの苗字を選ぶ必要があります。
したがって、夫婦の双方が苗字を変えたくないとき、
おたがいの非改姓権が満たされず、不平等が生じることになります。

女子差別撤廃条約でも、つぎのように
個々の夫婦において、男女の両方が、
同時に非改姓権を満たせることを
保証する必要があることを定めています。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/josi/3b_004.html
第十六条 1  締約国は、婚姻及び家族関係に係る すべての事項について女子に対する差別を撤廃するための すべての適当な措置をとるものとし、 特に、男女の平等を基礎として次のことを確保する。 (g)  夫及び妻の同一の個人的権利 (姓及び職業を選択する権利を含む。)
女子差別撤廃条約は、夫婦の双方が同時に 非改姓権を保証されない日本の現行民法は 差別があるとしているわけです。 それゆえ、女子差別撤廃委員会は、日本政府に繰り返し、 民法を改正するよう、勧告を繰り返しています。

現行民法は法律の文面上は男女平等ですが、
実際には、男女どちらの苗字がどのように選ばれるのか、
その運用のされかたは、本当に平等なのかという問題があります。

現在、婚姻の際、約97%のケースにおいて、
男性の苗字が選ばれています。
女性の苗字が選ばれるケースは、
(年とともにわずかずつ増えてはいますが)、
それでも、きわめてまれなことになっています。

(夫を妻の両親と養子縁組して、
夫を戸籍の筆頭者にすることがあるので、
実際には、女性の苗字が選ばれることは
もう一回り多いのかもしれないです。)


苗字の選ばれかたが本当に平等であれば、
男性の苗字と女性の苗字が選ばれる統計は、
それぞれほぼ50%ずつになるはずです。
ところが、実際には、圧倒的に多くの場合で、
男性の苗字が選ばれています。

これはとりもなおさず、結婚改姓の圧力は女性に強く働く、
という社会通念があるからにほかならないでしょう。
実際の法律の運用のされかたは、あきらかに男女で
非対称であり、差別性があることになります。

心ない人や、差別に理解のない人になると
「女性ももっと相手の男性に改姓させればよい」と
言ったり、あるいは「男性の苗字が選ばれるのは
個々の夫婦で話し合った結果であり、
女性への改姓の圧力などない」と言って、
差別の存在を否認することがあったりします。

そもそも男性の苗字が選ばれるケースが97%と
著しく偏っているのですから、そこにはそうさせる
社会的な圧力が存在すると考えるのが自然です。
圧力などなく、偶然そうなったと考えるほうが、
無理があるというものです。


多くの場合、男性は結婚したら相手の女性が
自分の苗字を名乗ることを、とうぜんのことの
ように考えていると思います。
女性が結婚しても苗字を変えたくない、
というだけで、わがままだ、身勝手だと、
心ない攻撃を受けることがあります。

女の児が産まれた場合、どんな苗字の男性と
結婚しても差し支えないような名前を考える
親御さんも多いだろうと思います。

男性が苗字を変えると「婿養子か?」と
訊かれることがしめしているように、
かなり特殊なことと受け止められます。
そもそも自分が苗字を変えること自体、
屈辱であるとする男性も多いのでは、と思います。

夫婦別姓の議論になると、男性が苗字を変えないのは
自明として、女性だけの問題として考える人が、
とくに男性には多かったりします。


このように「結婚して苗字を変えるのは
とうぜん女」という社会通念や社会的圧力が、
現代の日本社会にあることを、実感させる場面を挙げたら、
枚挙にいとまがないだろうと思います。

現代の日本社会において、男性が女性に
改姓させるのはとても容易ですが、逆に女性が
男性に改姓させるのは、いちじるしく困難という
非対称性があることはあきらかでしょう。

(なにを当たり前のことをたんぽぽは書いているのだ?
と思ったかたも、いらっしゃるのではないかと思います。)


結婚改姓の男女間におけるあからさまな非対称性は、
カテゴリ間の力関係のよるものであり、
あきらかに差別構造があるということです。

そこへもってきて、「男性の苗字が選ばれることが
ほどんどだけど、これは個々の夫婦で話し合ったことだから、
男女平等なんだ」などと個人の問題にすりかえるのは、
問題の矮小化であり、独りよがりな納得にすぎないと言えます。

「男女どちらの苗字でも選べるけれど
夫婦同姓にしなければならない」という
現行民法は、どうやってできたのかと思うところです。
じつは敗戦直後、民法を改正する際に、
男女平等の見地から夫婦別姓が導入することが
検討されたことがあったのでした。

ところが、立法にかかわった男性たちは、自分の妻となる人が、
自分の苗字に改姓しないのがとても嫌だったのでした。
そこで考えたのが、「男女どちらの苗字でも
選べるけれど夫婦同姓」というものです。

こうしておけば、GHQに対しては、
「男女どちらの苗字でも選べるから男女平等だよ」と
言うことができて、しかも当時の社会通念から、
ほとんど確実に女性を男性の苗字に
改姓させることができると考えたのでした。

彼らの画策がうまくいったのは、
男女どちらの苗字でも選べるのに、
実際は97%のケースで男性の苗字が選ばれる、
という著しい不均衡が、戦後60年以上経った現在も
まだ続いていることが、よくしめしているでしょう。


「男女どちらの苗字でも選べるから平等」というのは、
その成立した当初から、「口先だけの男女平等」という
詭弁性があったと言えると思います。

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