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反対派の精神構造と思考構造 同姓強制の科学的根拠? |
反対論者が妄信する「理想の家庭」は、歴史のスケールにとどまらず、 ヒトという生物の特性にもとづいた、有史以前からの自然な状態だ、 などと言う人もいるから、ますますあきれてしまいます。 もしそうだと言うなら、夫婦同姓も、生物的基盤があるゆえに、 有史以来そういう習慣が、人間社会の中にできたことになります。 「同姓強制に科学的根拠がある」ことになって、 反対論者たちにとって、とても都合がいい事態になります。 生物学的基盤としてよく使われるのが、「父性」や「母性」です。 反対論者(ビリーバー)たちは、これらは「本能」で、 遺伝により引き継がれていると説明してきます。 生物の「本能」だから、これに従った生活をしないと、 家族破壊を引き起して、人間は不幸になると言うのです。(注1) なにやら大変なことになってきましたよ。 反対論者に言わせると、結婚すると夫婦同姓になるのは、 「本能」にもとづく自然なことだ、というのです。 ここまででも「風が吹けば桶屋が儲かる」という、 お話のような感じが、じゅうぶんしてきますね。 反対論者(ビリーバー)たちに言わせると、 ヒトの女性は、「母性本能」があるので、赤ちゃんを産んで 母親になりたがり、子育てに喜びを感じたりするのだそうです。 また、赤ちゃんがすこやかに育つには、スキンシップにより、 お母さんから「母性」が伝えられる必要があるのだそうです。 だから、保育園に子どもを預けたり、女性が外で勤めたりして、 子どもから離れてはイケナイのだそうです。 「父性」も同様で、男性が一家のあるじとなり、 リーダーシップを取るのが「本能」であり、「父性本能」をもって、 社会規範を教えないと、子どもは健全に育たないそうです。 これらが、父親が外で働き、母親が専業主婦となるべき 「科学的理由」であり、ひいては夫婦同姓を 強制するべき理由でもある、というわけです。 彼らの考える「母性」や「父性」は、生物学や医学の範疇を超えた、 オカルト的な伝達や作用をすることになりそうですね。 彼らの信奉する「理想の家庭」は、ヨーロッパでも 産業革命以降の200年程度、日本で定着したのは、 高度経済成長期のというかぎられた時期で、 比較的短い時間しか存在していない、文化的に作られたものです。 したがって、反対論者たちのいわゆる「母性」「父性」も、 文化的に取り決められた「ジェンダー」であり、 生物学的な「本能」でないことは、わかるでしょう。 |
「母性」や「父性」の欠如は、遺伝が原因だというなら、 病気を起こす遺伝子を取り除くことも、現代の医療技術や、 遺伝子工学技術なら、できるようになっています。 「母性」や「父性」が現れないのが、心理的な症状でしたら、 カウンセリングによる治療も、考えられるでしょう。 あるいは、ビリーバーたちは、「母性」は、プロラクチンという 催乳ホルモンの分泌に関係があると、言うことがあります。 それなら、ホルモン投与のような治療が考えられます。 ところが、反対論者(ビリーバー)たちは、このような 医学的な「治療法」の議論をすることは、なぜかないようです。 あくまで自分たちの主張に従わせようとして叱咤し、 思想として植えつけることに終始します。 このあたりに、反対論者(ビリーバー)の主張は、 「科学的」と言いながら、じつはイデオロギーにすぎないという、 馬脚を現わしていると、わたしは思います。 反対論者(ビリーバー)たちは、「本能」を維持するために、 学校教育などの場で学習させる必要があると、しばしば主張します。 実際そのために、教育基本法を改正する動きもあります。 ところが、反対論者(ビリーバー)たちは、 「本能だから変えられない」とも言って、自分たちの信奉する、 「理想の家庭」の推進に対する反対を、封じようともするのです。 本当に変えられない「本能」であれば、トイレに行ったり、 眠くなったりすることと、おなじくらいあたりまえのことでしょう。 学習などさせなくても、ひとりでに維持できるはずです。 「語るに落ちる」というか、「学習」「教育」などと言うことが、 反対論者(ビリーバー)たちの信じている「本能」は、 不変などではなく、本当はもろくて壊れやすいものだということを、 みずから白状しているのだと思います。 もっとも、反対論者(ビリーバー)たちは、 「獲得形質(産まれてから学習などで身に付けた性質)が遺伝する」とか、 「合目的な進化をする(生物にそう変化したい意志があって進化した)」とか、 遺伝や進化ついての理解が、まったくトンデモなかったりします。 だから、「母性」や「父性」も、思想として学習させれば、 やがて遺伝子に組みこまれ、生得的になるにちがいないとか、 失笑もののことを、まじめに信じているらしいですよ。 |
反対論者(ビリーバー)たちは、自分の主張が、 強固な根拠によって、きっぱり否定されて、 反論できないとわかると、「将来新しい発見があって、 いままでの成果がまちがいとわかる可能性が、否定できない」 などと言って、自己正当化をはかることがあります。 これは自然科学の議論のとき、よく持ち出されるのですが、 例によって、「反証不可能」な主張ですから、 自説にしがみつく言いわけとして、あつらえ向きとなります。 中には、「自分はしろうとだからわからない」と、 謙虚そうに断わっておきながら、「将来くつがえされる可能性が あると断言できる」などと言う、反対論者もいたりします。 わからないことなのに、断言できるというのは、おかしなお話です。 相当におこがましいと思います。 これをご覧のあなたには、言うまでもないことだと思いますが、 しろうとが、すこし考えたくらいで、思い付く反証でしたら、 専門家がとっくに気がついて、検討しているところです。 だれも研究しないのは、反対論者の言うような可能性など、 まずありえないことが、わかっているからでしょう。 自分の仮説が専門家によって、検討されない理由として、 反対論者たちは、「専門家はあたまが堅いから、 いままでの研究成果が、将来否定される可能性を、 受け入れられないのだ」などと、言ってのけることもあります。 既存の成果をくつがえすと言うのなら、それは大発見ですから、 だれの興味も惹かないなんて、ありえないことです。 受け入れないどころか、われさきに手掛けようとすると思います。 研究予算もたくさん出て、きっとブームになるでしょう。 それこそ「ねこもしゃくしも、はやりの分野に走る...」と、 ゆゆしく言われるだろうと思います。 自説のまちがいを、自分が受け入れられないのを、 「あたまの堅い専門家が、受け入れようとしない」と責任転嫁して 開き直るのは、まさに「とんでも」さんたちの定番です。 |
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