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恐妻家の反対論?

一般に、選択別姓、民法改正の反対論者たちは、
同姓強制が女性差別にあたることを、ごまかそうとしたり、
あるいは、女性差別にならないことを、なんとか「立証」しようします。
彼ら反対論者たちも、「女の人を差別するのは悪いことだ」と、
学校で習いますから、わかっているのでしょう。


そんな中にあって、西部邁氏という反対論者にかぎっては、
女性に対する差別的な考えを、ぜんぜん隠そうとしないのです。
『夫婦別姓大論破!』という本の、「夫婦別姓の『怪』挙」という
セクションが、西部邁氏の執筆したところですが、
53ページにこんなことが書いてあります。
男の姓にもとづいて婚姻を取り結ぶ場合でいうと、 女はおのれの姓の捨てることを通じて、男との共同生活のなかで、 自分が蛹(さなぎ)から蝶に変態することを願う。 また男のほうは、相手に姓を捨てさせることを通じて、 二人(および彼らの子どもを含めれば三人か四人)の共同体(家族)に 危機が訪れたようなとき、最終にして最大の責任をとるのは 男たる自分であることを確認する。 いいかえると、女の良き変態過程を保護するのは自分であり、 その作業を通じて自分もまた蛹から(たとえば)蛾に 羽化しようと念じるのである。
女というのは、苗字を変えることで一人前になるのだとか、 それをみずから望んでもいるだとか(具体例はない)、 それを監督し保護するのが男の役目だ、などときたものです。 ずいぶんなことを言ってくれますが、西部氏は、なんら正当化や、 言いわけもせず、受け入れないものをばっさり切り捨てています。
こんなことすら引き受けられないような男女は、 性行については街角で娼婦なり娼夫なりを買えばよいのだし、 会話については酒場なり社交パーティなりを渡り歩けばよい。
ある意味正直とも言えますが、西部氏はどうして臆面もなく、 こんなことが言えるのかと、わたしは思ったのでした。 反対派の(とくに男の人の)本性をあらわにしているようで、 反対派仲間のあいだでも、足をひっぱりそうに思います。 そのヒントは、『もてない男』(小谷野敦著、ちくま新書)の 189ページにあるような気が、わたしにはしました。 2行だけさらりとですが、こう書いてあるのが眼に止まりました。
保守派の西部邁でさえ、高校時代の同級生に迫られて結婚した というような話を聞き(私は昔じかに聞いたが)
ここからは、たんぽぽの邪推なのですが、西部邁氏の妻は、 いわゆる「押しかけ女房」なのではないかと思います。 西部氏ご本人は、お気の毒ながら、尻に敷かれているのかもしれないです。 (「なんでこんな女と結婚しているんだろう?」とか、 「いつのまにかこの女と結婚していた」なんて言っていたりして。) 恐妻家の男の人が、よそで女の人を見下したことを吐いたり、 「男の権威」みたいなことを言うのは、ままあることです。 西部氏の遠慮のない別姓反対論も、そのあらわれと考えられそうです。 (...いえね、このような恐妻家タイプの男性を、 たんぽぽは、個人的に知っているので、わかるのですよ。) これに気がついたとき、たんぽぽは、まことに失礼ながら、 爆笑してしまいましたよ。

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