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反対派の精神構造と思考構造
反対派のロジック(2)
反証不可能性、立証責任の転嫁(悪魔の証明)

反証不可能性
選択別姓反対論のビリーバーたちが、
「かわいそうな家庭」「崩壊する家庭」シナリオを強調すれば、
とうぜんですが、そんなことはないですよと、
離婚と無縁の、仲むつまじい夫婦生活をしているところや、
子どもたちが、のびのびと屈託なく育っているところを、
あなた(がた)は、ご自分を例に取るなどして、しめそうとするでしょう。

ところが反対派たちは、これに対する、既成のお答えを準備しています。
「あなたがたの数例だけでは、離婚や非行が起きる家庭が
ほかに存在する可能性が、否定できません」

とても慇懃丁重な(?)反対派になると、
「ここにいらっしゃる別姓夫婦のみなさんに、
そんなことがありえないのは、わかっています。」と、
あなた(がた)を持ち上げておいて、「どこかよそに、安易に別姓を選んで
問題を起こす家庭があるかもしれないでしょう?」なんて、
付け加えることもあるみたいですよ。

察しのいいあなたは、離婚や非行と無縁な別姓家族の例を
どれだけたくさん見せてあげたところで、
反対派たちはいつでも、「存在する可能性が否定できない」と、
切り返すことで、却下しまえることに、お気付きだと思います。
このような、反対派(ビリーバー)たちの主張を、「反証不可能」と言います。


反証不可能であっても、立証可能なことはいくらでもあります。
別姓にともなう離婚や非行の可能性が、そんなに否定できないなら、
そうした家庭が、問題視するほどの数だけあることを、
反対派たちが、積極的にしめせばいいだけのことです。
(具体的には、海外の事例や、日本の事実婚家族を、
調べることになるでしょうか?)

ところが、反対派(ビリーバー)たちは、「不幸な家庭」が存在する、
統計どころか、具体的な例すらしめそうしないのでした。
自分たちのあたまの中だけにある、虚構にすぎないからでしょう、
実在のしめしようがないのだと思います。

立証責任の転嫁(悪魔の証明)
それで、ビリーバーたちは、どうするのかというと、
「別姓によって、離婚や非行が起きないことを、賛成派がしめせ」と、
逆にあなたのほうに、詰め寄ってくることになります。
ところが、これを証明するには、日本中、いや世界中の、
すべての別姓家族を調べあげて、「不幸な家庭」が、
どこにもないことを、はっきりさせる必要があります。
とても実際に、できることではないでしょう。

このように、自説を裏付ける根拠を、自分たちでしめさず、
相手に否定の証明をおしつけることを、「立証責任の転嫁」といいます。
立証責任(の転嫁)ということばは、もとは法律用語からの転用ですが、
ここでの意味は、法律で使われているものとは、まったくべつです。
つぎのサイトで述べられている、「悪魔の証明」に近い意味で、
ポパー主義(科学哲学)の分野で、独自に使っているものです。
おまちがえのないようにしてくださいね。
http://www.shos.info/develop/oo/dscsnptn.html#devil


一般に立証責任は、存在を主張する側にあるのがふつうです。
存在しないことの証明は、上でお話したように、
ひどく困難なことが多いし、また、本当に存在するなら、
そんな荒唐無稽な「全数調査」をする前に、
なんらかの方法で、見つけ出せているはずだからです。

あるいは、常識や、よく知られた事実、あるいは、
いままでの研究成果を疑っている側が、立証責任を持つことになります。
多くの人たちに受け入れている定着した知識が、
じつはまちがっていると言うのですから、他人を納得させるには、
相応の根拠が必要になる、ということです。

選択別姓反対派(ビリーバー)たちは、たとえば、
「法律を変えようとする側に、その根拠をしめす責任がある。」
などと言って、立証責任の転嫁(悪魔の証明)を、正当化することがあります。
しかし、選択別姓の必要なはっきりした根拠を、
いくらたくさんしめして見せたところで、反対派たちは、
「まだ、じゅうぶんでない」と言い続けて、納得する気のないことは、
これまでのお話からも、想像に難くないと思います。

選択制導入が必要な根拠など、すでにじゅうぶんそろっていると言えます。
反対派(ビリーバー)のほうこそ、時代に合わなくなって、
矛盾と不合理だらけの法律を、そのまま維持しなければならない
根拠はなんなのか、はっきりとしめしていただきたいものです。

「反証不可能性」「立証責任の転嫁(悪魔の証明)」が、
さかんに出てくるのは、まさしく疑似科学のいちじるしい特徴です。
ビリーバーたちが、これらを使いたがるのは、自分たちの主張を裏付ける、
じゅうぶんな根拠を、持ちえないからにほかなりません。

反証不可能な主張にしがみつけば、
結論が出るまでに、いくらでも時間稼ぎができます。
また根拠を探す負担を、相手側に押し付けられれば、
自分たちは、なにもしなくていいし、
また自説の根拠薄弱さを、なんら指摘されずにすみます。
「とんでも」さんにとっては、いくつもの理由で都合がよいのです。

反対派たちと議論をすると、不毛になる原因として、
反対派たちのしかけてくる、立証責任の転嫁(悪魔の証明)を
賛成派たちが、まともに引き受けてしまい、
もともと反証不可能なことを、「反証」することに、
エネルギーを注ぎすぎたことにもあるのだと、わたしは思っています。

選択別姓の議論にかかわってきたかたたちは、こうした素朴な
ポパー主義の考えかたに、ほとんどが慣れていなかったようです。
それで、反対派(ビリーバー)たちが仕掛けてくる議論の
無意味さや不毛さに、気づくことができず
反対派(ビリーバー)たちに議論の主導権を握られる、
という状態を、いつまでも、許してしまうもののようです。

参考文献、資料
  • 「夫婦別姓論について考えてみましょう」
    http://kore.mitene.or.jp/~harukado/haru/huuhubssei.html

    福井県の勝山市議会議員の、
    松村治門という人のサイトにあるコンテンツ。
    反証不可能な主張と、立証責任の転嫁(悪魔の証明)を
    ひたすら振り回す、典型的な例と言えそうなので、
    ここでご紹介しておきます。

    "sein"がどうとか、ムズカシイことを言っているけど、
    ようは「夫婦が同姓なのはあたりまえ」という、
    天下り的な決めつけだけです。
    長ながと書いていますが、内容なんてないと言ってもいいでしょう。

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