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反対派の精神構造と思考構造
両論を並べるのは公平か?

選択別姓反対論のビリーバーたちは、
相反する意見を並べるのが、「民主的」なのだから、
賛成派と反対派のそれぞれの主張を、
同等に扱うようにしろなどと、言ってくることがあります。

ところが、ほかのコンテンツでお話しているように、
反対派の主張は、現実を無視した教条的決めつけや、
基礎的な認識、常識の欠如があったり、疑似科学的な内容を
多く含んでいたりと、根拠のとぼしいものがほとんどです。


「情報リテラシー」の原則を言えば、信頼できる情報ほど
重要性が高くなるので、大きく取り上げることになります。
信頼性の低い情報は、むだが多いので、
小さく扱うか、切り捨てることになります。

その情報の信頼性に比例して、ウエイトをかけないと、
信頼できる情報を、多く発信する人たちの言論の自由を、
結果的に制限することになり、かえって不公平になります。

民法改正、選択別姓の導入については、数多くの強い根拠があり、
説得力のある賛成派の意見のほうに、たくさんのウエイトを置くのが、
情報リテラシーの原則であり、公平な言論の自由の保証になるのは、
これまでのお話から、すぐにわかることだと思います。


反対派たちは、自分たちの意見が根拠薄弱でひずんでいて、
信頼性が低いことを、自覚しているのでしょう。
それで、不当に有利に扱われたくて、「賛成派の意見と、
われわれの意見を、ひとしく扱わねばならない」と、
形式的な公平を、要求したがるのだと思います。

この言いぶんは、言ってみれば「天動説と地動説を公平に扱え。」
「創造科学(注1)とダーウィンの進化学を、ひとしく扱え。」
というのと、同じことだと言えます。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/QandA.html
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Q.進化も創造もどちらも一理ある。両論並列ではいけないのか?

A.両論並立とは一見公平そうに見えますが、
進化と創造をそれぞれ支持する証拠の量を比べてみれば、
著しく不公平な見方と言えます。

創造論者のようなやり方を使えば、天動説が正しいというような
主張も可能ですが、だからといって天動説と地動説を
両論併記すべきだという意見は妥当でしょうか?
それぞれの仮説を支持する証拠に照らし合わせると、
その意見は妥当ではありません。
進化と創造を両論併記すべきという意見も同様の理由で妥当ではありません。
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反対論者たちの、かたちだけの悪平等の要求は、
現実の政治でも見られるので、いやになってしまいます。
たとえば、「法制審議会は、民法改正の賛成派ばかりで
組織されているから、反対派の意見が反映されなくて不公平だ。」
などと、言っていたことがありました。

法制審議会の案は、これから審議にかけるものであって、
ここで採択も可決もするわけではありません。
国会で審議にかけるときには、反対派議員とも議論するし、
その前に、法務部会で、与党の事前審査(注2)があります。
反対意見を反映させる機会は、いくらでもあるのだし、
不公平などないはずです。

法制審議会のメンバー構成が、そんなに不満なら、
反対派たちも同志が集まって、委員会でも作って、
独自の法案を作成すればいいように思います。
(そういうことをしたお話は、ちっとも聞かないようですが...
彼らはなぜ、それをしないのでしょうか...?)


反対派の意見など、はじめから相手にしないのが、公平なくらいです。
しかし、本当にそうすれば、反対派たちは、
「自分たちの意見を排除するのは、非民主的だ。」と、
騒ぎ出すのは、陽を見るより明らかだと思います。
実際、「フェミは人の意見を聞く耳を持たず、ファシズム的だ」
などと吐いてくれる反対論者がいたりします。

大学だと、学生さんの中に、選択別姓反対論の
論文を書く子が、ときどきいるようです。
本人は得意満面だったりするのですが、先生がたは、
もちろん、まともに取り合うはずもないです。
ところが、くだんの学生は、「大学の先生は、あたまが堅いから、
自分の論文が理解できないのだ」のように、考えるのでした。

無視や排除をされるのは、自分の意見がナンセンスだからだ、
ということは、反対論者たちは、まったく想像もできないようです。
そして自分たちは、あたまの堅い象牙の塔の「専門家」たちや、
卑怯な「フェミファシスト」たちに、迫害されているのだ、
という被害妄想を、どんどん強めていくのでした。
自分たちが不当に迫害され、差別待遇されていると信じているのは、
「とんでも」さんたちが、よくしめす特徴のひとつです。

危険な「中立原理主義」
「自分は賛成でも反対でもないが、公平な判断をしたいので、
賛成、反対の両方の意見をよく聞きたい」のような、
ものわかりのよさげなことを言う人を、見ることもあります。
こうしたかたは、「賛成、反対のどちらの言いぶんも、
それなりに共感できるところと、理解できないところがある。」と、
考えていて、中立を標榜しているもののようです。

ところが、このような、情報リテラシーをまったく無視した、
形式的な「中立原理主義」を取ると、反対派寄りの意見に
偏ってしまうことは、すぐにわかることと思います。
こうした人たちは、自分の偏向に気がつかないまま、
客観公正だという自負だけが、強くなっていくので、
かえって危険でさえあるとも言えます。

そもそも、他人の意見をよく聞いて、公平な判断ができるかたなら、
反対派の言いぶんが、ばかばかしいことくらい、すぐにわかるはずです。
本当にわからないなら、よほど知識がとぼしいか、
判断力がないかの、どちらかにちがいないです。
「公平な判断」をしているとは、わたしには、とても思えないです。

あるいは、わかっていて、意図的に中立を気取っているなら、
「自分には、いろいろな意見を聞く耳があって公平だ」と、
思われたいだけなのかもしれないです。
こんな人は、偽善的でさえあると言っていいでしょう。

参考文献、資料
  • (注1)
    「創造科学」とは、現在の生物学や地質学で知られている、
    ダーウィンの進化学を否定し、聖書の創世記にあるように、
    地球上の生物が造られたのを、歴史的科学的事実とする説です。
    日本ではなじみが薄いですが、キリスト教の影響の強いアメリカ合衆国では
    ポピュラーで、学校教育の問題にまで発展することがあります。
    くわしくは、上述のサイト「進化論と創造論」を、参照してください。
  • (注2)
    民法改正法案は、自民党内の法務部会における事前審査で、
    反対議員たちの猛烈な反対にあって、握りつぶされてしまい、
    まともに国会で審議されないのが現状です。
    公平な場所で議論ができず、不公平な思いをしているのは、むしろ賛成派のほうです。
    つぎのページもご覧ください。
    「自民党法務部会の実態」

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