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反対派の精神構造と思考構造
反対派と議論すると...
パラノイア的精神状態

選択別姓反対論のビリーバーと、議論をするとどうなるか、
疑似科学批判を見慣れたかたなら、推して知るべしでしょう。
そうでないかたも、こちらの過去ログをご覧いただければ、
その実態がわかってくるでしょう。
http://www.geocities.jp/risaikon/guest.html

ログをはじめのほうから読んでいくと、
途中から反対派が、入りこんでくるのがわかるのですが、
いつまでも執拗かつ粘着質に、議論(?)を続けているのが見られます。
 ほかの参加者たちがいくつもの根拠を出して、
まちがいを指摘しているのに、この別姓反対派(ビリーバー)は
ほとんど聞く耳がないようです。

文脈に即さず、たまたま出てきた単語に反応して、
見当違いの反論をしたり、あるいは、人の話をまったく聞かないかのように、
自分の主張だけを、相手が納得できる根拠も出さずに言い続ける、
そんなことばかりやっているのです。
この反対論者は、別姓には反対であるという自分の考えを、
相手が一方的に受け入れる以外に、まったく容認できないのでしょう。
 
 
また、この反対論者の「議論」のやりかたは、
どこからともなく「根拠」をでっちあげてきて、
その場でだれにも反論できなかったら、自分が正しいことにする、
反論されたときは、またべつの「根拠」を持ち出してきて、
おなじことをくり返す、というのが、だいたいのパターンになっています。
 
ようするに、「選択別姓には反対である」という結論が、
この反対論者には、さきにあるのだと思います。
その既成の結論に合わせて、「根拠」を、こじつけて持ってくるのでしょう。
またこうして、不毛な議論を続けることで、
結論が出るのを引き延ばすのも、ねらっているのかもしれないです。
 
反対派はインターネットにかぎらず、
いろんな場所にさまざまな年齢層の人がいます。
しかしどんな根拠をいくら見せられても、決して考えを改めることのない、
はじめに結論ありきのカルト信者みたいなものだ、
というところは、おおむね共通しているようです。

『奇妙な論理I』(マーチン・ガードナー著)の、
29-35ページを見ると、疑似科学を、執拗に信じ続ける人たちの
精神構造について、述べられています。
それによると、彼らは、偏執狂(パラノイア)的な特徴を、
持ち合わせているもののようです。
慢性の、組織化された、だんだんと肥大する妄想を 特徴とする精神状態で、幻覚を伴わず、また悪化、軽減あるいは 回復の傾向がほとんどないもの。 (30ページ)
選択別姓の反対派も、疑似科学のビリーバーの一種と 考えられるのですが、やはり、こうした偏執狂的な 精神状態に陥っているにちがいないと、考えられます。 さきの掲示板の過去ログにあるように、味方もいないところで、 不利なばっかりの反知性的議論を、いつまでも続けられるバイタリティも、 かかる偏執狂的性向に支えられているのでしょうか。
さもなかったらその疑似科学者は、 そういう圧倒的な大敵を向こうに回して精力を消耗する、 孤立無援の戦いをたたかうだけのスタミナがつづかないだろう。 (31ページ)
  疑似科学のビリーバーに、自分のまちがいを 理解させることは、ほとんど不可能です。
地球の形といったテーマでさえ、一般人は『平べったい地球』を 主張する人と闘ってみて、とうてい自分はかなわないと 思い知らされる場合があるだろう。 (34-35ページ)
同じように、頑迷な反対派に、選択別姓の必要性を理解させることは、 まずできないと、覚悟したほうがよさそうです。

一般に「とんでも」な人たち、はじめに結論ありきの人たちと、
まともに議論したら、いかに非生産的になるか、
松田道弘著の『超能力のトリック』や、
遠山 啓氏の水道方式にかかわる議論を読んでいたので、
わたしは、ある程度は知っていました。

でもそれは、あたまの中だけの「知っている」だったのでした。
さきの過去ログに出てくる別姓反対派で、その実例を見たときは、
「こんな不毛な議論をする人って、本当にいるんだ。」と、
ちょっとした発見の気分になったものです。

またネットの議論では、自分が不利になると、他人を装って投稿し、
自分を弁護したり、おなじ意見の人が何人もいるように、
見せかけることがある、というのも、聞きかじっていました。
その原物も見ることができて、なるほどこれも、
本当にあるんだなと、わたしは、納得したものです。
 
 
「反対意見の人とも、じゅうぶん議論するべきだ」
「われわれ反対派の意見を排除するべきでない」ということを、
選択別姓反対派は、よく言ってくることがあります。
これは一見「民主的」で、正論のように聞こえます。

しかし、こうした「とんでも」たちと、真正面から議論に応じたら最後です。
いつまでたっても説得できないどころか、おんなじような議論を、
さんざんくり返したあげく「まだ、じゅうぶんな議論がなされていない」と
平然と言われたり、なにがあっても「必要性が自分には伝わってこない」と
強弁され続けて、無限の時間稼ぎをされたりで、
それこそ、ビリーバーたちの「思うつぼ」になるだけです。

選択別姓に、執拗に反対をする人というのは、国会議員であっても、
「とんでも」的な、精神構造や思考構造は、同じようです。
なにしろ、「おれの目の黒いうちは、絶対に別姓を実現させない」と
感情むき出しで、理由も理屈もなく反対して、賛成議員を黙らせるのですから。

http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0208/kenan/09.html
 
こうした、頑迷きわまりない反対派議員たちにはばまれて、
民法改正法案は、国会への提出さえも阻止され続け、
何年も陽の目を見ないできているのでした。

参考文献、資料

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