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反対派の精神構造と思考構造
反対派が読む統計データ
選択別姓のせいで離婚が増えた?

反対論者が示す、選択別姓の導入で離婚が増えたとする、
おそらくただひとつの根拠として、ドイツの離婚率の推移があります。
1991-92年は、人口1000人当たりの離婚率は、1.7程度でした。
ところが93年から、きゅうに離婚が増えて1.9を超え、
94年以降は、2以上の離婚率が続いています。

ドイツで選択別姓法案が可決したのは、1993年ですから、
この離婚の増加は、選択別姓のせいにちがいないのだそうです。
ところが、可決は93年でしたが、施行されたのは94年からです。
したがって、選択別姓のせいなら、94年から増えるはずです。
93年からの上昇はほかの理由であり、反対派の主張は誤りとわかります。

年次1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年
離婚率1.701.671.932.042.072.142.29
UN, Demographic Yearbook, 2000, 2002, 2004より ところで、93年からの離婚率の上昇は、なにが原因なのでしょうか? もっと前からグラフを見ると、じつは、1989年までは、 離婚率は2.3くらいと高く、90年から下がりはじめ、 91-92年だけ特別に低くなっていることがわかります。 1989年は、ベルリンの壁が崩壊して、東ドイツが消滅した年です。 ドイツ統一の混乱の中、離婚というめんどうなことは、 社会が落ち着くまで避けようと、思ったかたが多くて、 離婚する人が減ったであろうことは、想像にがたくないでしょう。 下の図に示したグラフは、旧西ドイツと、旧東ドイツを、 わけたデータも載せていて、このあたりがはっきりすると思います。 東は1989年は約3だったのが、91年には0.5まで下がっていますが、 西はこの期間もめだった変動はなく、ほぼ一定を保っています。 ようするに、ドイツ全体の離婚率が下がったのは、 もっぱら旧東ドイツの減少によることがわかります。 ドイツ統一で、社会の変化が激しかったのは、 旧東ドイツのほうですから、これは納得のいくことでしょう。 粗離婚率の推移 1960年-2002年

それでは、離婚が増えた時期と、別姓結婚が増えた時期が、
重なっていたら、別姓夫婦のせいで離婚が増えたと、
結論できるのかというと、そうではないですよ。
言えるのは、「その可能性がある」だけで、本当にそうなのかは、
べつの手段によって、たしかめる必要があります。

夫婦別姓の導入と離婚の件数が連動していても、
なにかほかの原因があって、それが離婚の増加と、
別姓夫婦の増加の両方に影響したというだけで、
離婚と選択別姓に、直接の因果などないかもしれないです。
あるいは、離婚と選択別姓が重なったのは、
まったくの偶然で、なんの因果もないのかもしれないです。

たとえば、砂糖の消費量が多い国は、アルコールの消費も多いのですが、
これを見て、甘党の人は、お酒も好きなのだとか、
飲んべえは、甘いものもたくさん食べるとは、考えないでしょう。
経済力にともなう食生活の向上が、砂糖とアルコールの消費を、
個別にうながしたと、考えると思います。

あるいは、ある企業の売り上げ高が、減少しはじめた時期と、
担当社員のお子さんの成績が下がりはじめた時期が、
一致していても、「子どもの成績が下がったから、
わが社の売り上げも不振になったのだ」とは、考えないでしょう。
両方が関係するはずもなく、重なったのは単なる偶然で、
くだんの社員は運が悪かっただけと、思うところだと思います。


しかし、反対論者というのは、選択別姓が家族破壊につながると、
教条的に信じていますから、たまたま時期が一致しているだけで、
それ以上の調査はしようとせず、選択別姓のせいで
離婚が増えたと、短絡的に確信するのでしょう。
そしておおよそ実証的態度なるものに、とぼしい彼らですから、
ここでお話したような、統計データを読むときの、
基礎的な姿勢も、持ち合わせていないのでしょう。

参考文献、資料
  • 社会実情データ図録 - 主要国の離婚率推移(1947年〜)
    http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/9120.html
    UN, Demographic Yearbookから採った、数値データがある。
    最初の表はここから転載しました。
    ドイツのデータは、1990年までは西ドイツの数値だけ載せています。

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