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民法改正運動の「内幕」とは?

最初に、このサイトを作ることを、あたまの中で描いていたときは、
反対派の主張の批判や、精神構造、思考構造のことを、
メインに据えて、疑似科学(にせ科学)批判
(とんでもウォッチング)みたいにしようと思っていました。

なぜ、あきらかにまちがっているという、
はっきりした根拠を見せられても、執拗に反対を続けるのか、
そうした彼らの、メンタリティについての考察は、あまりないです。
そこを、くわしく検討することが、強靱な反対派の抵抗で、
閉塞している民法改正(家族法改正)の打開のために、
不足していることのひとつではないか、と思ったからです。

また、民法改正に関心はなかったけれど、
にせ科学批判に関心がある人の、興味をひこうという、
ちょっと邪道なことも考えていました。
民法改正なんて、関心を持ちうる人の数は、限られています。
べつの立場で論ずることで、すこしでも、
人数をふやせたらと、思ったりもしたのでした。

ところが、サイトを準備しているうちに、
この考えが、いくぶん変わってきたのでした。
反対派に対する考察は、やはりだいじだと思うのですが、
しかし、これだけでは、まだふじゅうぶんだな、
語られていないことで、語られるべきことは、
ほかにもあるなと、だんだん思うようになってきたのでした。


ネットの掲示板などで、読みかじった程度の断片的情報ですが、
インターネットを活用するようになってからも、
それ以前の、FAXや例会が中心の時代でも、選択別姓の市民運動は、
おなじ失敗をくりかえしているのではないか、
という予感を、わたしは、持ったのでした。

自分たちのやりかたで、絶対に実現すると、
どういうわけか確信して、しかし、実現の見込みが出てこないので、
「みんなのがんばりがたりないから、実現しないのです」
などと叱咤したあげく、結局実現することがなく、
最後は、一連の言動を、すっかり無視黙殺して立ち消えていく、
というのが、典型的なパターンでは?と感じるようになりました。

なにしろ、前の市民団体は、みずからの失敗を語らないです。
それで、そのときの蓄積が、のちの運動に継承されず、
あとから出てきた人たちが、またおなじ失敗を繰り返す、
というのも、あるのではないか、とも思います。
(自分の失敗を言いたがらないのは、ある意味当たり前ですが...
えらそうにこんなことを言っている、わたしだって、とてもあやしい...)


みんな、だんまりを決め込んで、しゃべりたくないのなら、
わたしが、それを言ってやろう、過去の市民運動は、
なぜ失敗を繰り返すのか、後発の人たちが、
おなじわだちだけは踏まないですむよう、
せめてもの参考のために、それを伝えてあげよう...

内情を知っていて、それを書ける程度には内部にいて、
市民活動家たちにとって、都合の悪いことでも、
遠慮なく言える程度には、外部にいる...
それが、そんな微妙な立場にある、わたしのやれることだと
(わたしが関わった時期自体が、そんなに長くないので、
お話できることも、おのずと限られますが...)
思うようになったしだいです。

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