アイデンティティというのは、自分が自分であって、
他のだれでもないという認識、とでも言えばいいでしょうか?
ものごころついたときから、まわりからその名前で呼ばれ、
またその名前で、自分を認識するようになります。
となれば、自分の識別子である名前に、
自己のアイデンティティがある人も、とうぜんいるでしょう。
そんな場合、名前が変わると、自分が自分で
なくなったような気持ちになるでしょう。
また単純に、長いあいだ使ってきたので、
自分の名前が気に入っている、愛着がある、というかたもいるでしょう。
そうしたものは、やはり変えたくない、
変えるとひどく苦痛だと、感じることでしょう。
(姓名判断で運勢がいいから、というのも、
広い意味でのアイデンティティといえるかもしれないです。)
こうした改姓の苦痛を、いつごろから感じるかは、
それこそ、人によってさまざまです。
結婚が近づいてから、きゅうにマリッジブルーになるかたもいます。
あるいは、実際に結婚して、苗字を変えてから、
後悔するかたもいらっしゃいます。
また苦痛の程度も、やはり人それぞれです。
名前にこだわりがなく、改姓しても、
まったく気にならないかたもいるでしょう。
また、一時的に混乱するけれど、じき慣れるかたもいるでしょう。
あるいは、長い時間かければ慣れてくるかたも、いるかもしれないです。
そして、いくら時間をかけても、どうやっても、
慣れることができないかたというのも、いるわけです。
こうした場合、最悪、精神科医の治療を
受けるケースもあるのでした。
アイデンティティの喪失にともなう苦痛は、
当人以外には、なかなかわからないのがふつうです。
そのため、第三者的に理解してもらうのは、むずかしいところもあります。
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