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わたしの政治の思い出
政治に興味を持ってから

政治に興味を持ちはじめてから、どういう遍歴をしたか、
わたしの思い出話を、すこししたいと思います。


たんぽぽが、本格的に、政治に関心を持ちはじめたのは、
いまはむかしの自民党政権時代、
首相が小淵から森に変わるころでした。
感覚的には「民主党ネイティブ」と同じだろうと思います。

「ネイティブ」というのは、民主党にしかない
概念だと思いますが、80年代の55年体制や、
90年代の政界再編の時代を経験せず、
現在の民主党ができてから、議員になったかたを指します。
具体的には、2000年6月の衆院選以降、当選した議員です。

そして、わたしは、政治といえば、
自民と民主しか知らない、という具合でした。
たんぽぽは、もともとどういう政治的立ち位置に
いたのかと訊かれたら、こんなふうになります。


政治に関心を持ったきっかけは、もちろん民法改正です。
実現するかどうかは、自民党が審議に応じるか、
その前に、法案提出に応じるかにかかっていました。
そして、当時の選択別姓の市民団体の人たちは、
自民党に期待していて、自民党を動かせば、
政権交代よりもずっと早く、民法改正は実現すると信じていました。

ところが、ほどなくして、自民党では、
法務部会という党内会議で、頑迷な反対派議員たちが、
いつも法案提出を握りつぶしていることを知ります。
それで、わたしは、自民党が政権を握っているかぎり、
民法改正の実現は無理で、民主党が政権を
取らなければ実現しないと、考えるようになりました。

そして、市民団体のほかの人たちはみんな、
自民党を応援していて、「民主党は信用できない」と言って
はばからない状況の中、わたしはひとり民主党に関心を持ち、
あれやこれやと調べていくことになります。


民法改正法案の提出が阻止されるのは、
自民党の政策決定システムと関係あります。
それで、「事前審査・承認制度」とか、「法制局」とか、
「当選回数主義」など、政治改革の中心課題である、
政策決定システムに、わたしは関心を持っていきました。

自民党が下野しないと、民法改正が実現しないことから、
選挙のシステムにも、わたしは関心を持ちました。
自民党の選挙事情である「政治家城下町」や、
「政党助成金」も、この関連で興味を持ったものです。
ずっとあとになってから見たものですが、
「かみぽこ論文」も、当然興味がわいたのでした。

選択別姓の市民団体とかかわらなくなって、
だいぶたってから、もっと一般的に政治を扱う
ブログを見て回るようになりました。
これらの人たちは、反自民党、反コイズミで、
平和問題や9条護憲に関心がある人たちでした。

そしてその大半、というか、ほとんど全部なのですが、
ご多聞に漏れず「民主党は信用できない」と言っていました。
でも、選択別姓の市民団体と、理由は違っていました。
これらの人たちには、自民党と民主党の違いが、
あまりよく見えないもののようです。

彼らの酷評ぶりに、へきえきしたのもありますが、
それよりもわたしは、ひねくれものだったからだと思います。
まわりがそうなら、わたしはみんなと
違うことをやろうと思い、それまでよりもずっと、
民主党に関心の中心を移すことにしましたよ。

そして、まわりの「政治ブログ」の論調に影響されることなく、
自分なりの見かたを作るようにしました。
それで、左翼思想とか、左派的スタンスに
あまりかぶれずに過ごすことになったみたいです。


マスコミの論調はどうかというと、民主党のこととなると、
肯定的ないし中立的に見るという論調にとぼしく、
とかくあら探しが先行すると、わたしは感じていました。

批判が商売のマスコミだけでなく、もっと客観的でよいはずの、
政治評論家や、政治学者でさえ、民主党を評価するときは、
「とりあえず批判しておく」のが、
あたかも「トレンド」のようにも感じました。

政治学者の関心は、政策決定プロセスなのですが、
研究の中心は長いこと自民党に集まっていました。
野党は政策立案能力がないと見られて、
研究対象になかなかならないようです。

識者たちもこぞってそうならと、
またまたわたしは、ひねくれ根性が出て来ました。
情報リテラシーの練習もかねて、
わたしはできるかぎり、メディアなどの情報から、
民主党にとって中立的で公平な見かたを汲み取るよう、
こころがけることにしました。


書籍になると、しろうとが読めるようなものは、
あまり出回ってなくて、情報集めに苦労をしました。
2007年に、『民主党の研究』(平凡社新書、塩田 潮著)
という本が出たのを見つけて、一瞬期待したのですが、
中をちょっと見て、やたら民主党に批判的な論調だったので、
がっかりして、本を棚にもどしましたよ。

そのあと、『政権交代』『民主党10年史』『民主党』など、
ようやく、わたしの期待に沿う本が出て来ましたが、
それでも数は、かなり限られていました。
政権交代後は、打ってかわって、怒濤のように本が出て来て、
今度はぜんぜんついていけなくなりました。

55年体制は、わたしにとっての「アンシャン・レジーム」です。
それは、企業や生産者の利益が優先され、
重商主義にもとづいて、政治的に保護・優遇もされる、
「会社本位主義」体制の時代です。

企業の利益を直接代弁するのは、保守系政党ですが、
革新政党も、企業の利潤を大きくしてから、
自分たち労働者の取りぶんを増やすことに熱中したので、
間接的に会社本位主義を支持していました。

これによって、企業の利益に直接あずからない、
一般の消費者や市民は、組織力がないことも加わって、
なおざりにされることになります。
また、政治や経済が、企業中心に考えられるせいで、
カチカンや思想まで企業中心にまわるようになり、
個人が疎外されていくことにもなります。

太平洋戦争後は、女性は家庭に入り専業主婦となり、
子どもは大勢ではなくふたりが望ましいとされました。
こうした家族が、本当に急速に定着しました。
これも、男性が会社で効率良く働けるようにと、
国家の指導のもと、企業の利益のために、
個人のライフスタイルが、操作されたものです。


会社本位主義を効率よくすすめるために、
戦後の日本は、産業ごとにセクト化して、
その利益を代弁する官僚機構を作りあげました。
政権についていた自民党は、政策立案を官僚にまかせ、
自分たちの役割は、官僚の作った法案の承認になりました。

党内の組織や体質も、それに合わせられていきました。
政府提出の法案を承認するための「事前審査・承認制度」や、
縦割りの省庁ごとに対応する「族議員」や、
産業界と結びつくための「政治家城下町」の発達などです。

その結果、「政財官の三位一体構造」にあずからない
一般の個人や生活者は、ますます置き去りにされました。
その一方で、実質的な権力を持った官僚機構は肥大化し、
「天下り」に象徴される既得権益者と化しました。


冷戦とバブル経済が崩壊して、会社本位主義が破綻すると、
政治も経済もカチカンも、そこから脱却することが
強く求められるようになりました。
官僚まかせにしない、議会主体の政策決定と、
一般の生活者を守るための政治の推進です。

90年代以降は、こうした政治課題に取り組むことが
「革新」だと思うのですが、それだと従来の右派-左派とか、
保守-革新の軸とまぎらわしいからなのか、
改革-抵抗というネーミングがなされました。
(このことばは、コイズミのせいで、だいぶ手あかがついたが)
改革-抵抗の軸は、保守-革新や右派-左派の軸と、
ほぼ直交するくらい、向きが違うかもしれないです。

政治改革の意味と必要性を、もっとも適切に理解し、
その実現を最大の政治目的としている勢力は、
民主党だけで、ほかにはないと、わたしは思いました。
「アンシャン・レジーム」からの脱却を期待しつつ
わたしはそっと、民主党に注目を続けていたのでした。

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