これもインターネットで、よく見かける気がするのですが、
「思考が偏るのを防ぐために、自分に都合のいい意見だけでなく、
耳障りの悪い反対意見も聞くべきだ」と、説教をなさるかたがいます。
そんな人の中には、耳障りのいい意見しか聞かないのは、
ぬるま湯につかっている、ひよわな態度のように、
見下すかたもいらっしゃるようです。
ところが、たんぽぽは、反対の意見を聞くのも苦手なんです。
すくなくとも、正反対の極端なのは、受け付けないです。
それはたいてい、検討に値しない、くだらないものだからです。
(そのくだらなさ加減を、検討しようというのならべつだけど。(笑))
聞くに値する「異なる意見」なんて、ほかにいくらでもあります。
本当にさまざまな意見に触れたいなら、それらを拝聴したほうがいいでしょう。
そこへもってきて、わざわざ正反対の極端なものを選ぶのは、
「自分は反対の意見も聞けて公平なんだ」と、
思われたいための、しらじらしさを感じてしまいます。
それに、たんぽぽは、あまり賢くないので、
「とんでも」意見に長く接していると、
注意して批判的にかまえていても、だんだん感化されてしまうようです。
かえって、おばかさんになりそうですし、
反対意見なんて聞かないのが、身のためのように思います。
じつは、本当に感化された人たちも
いらっしゃるから、いやになってしまうのですよ。
なんでもその人たちは、「新聞記事に出ていた世論調査には、
欠落していた視点がある」とか言い出して、
自分たちは反対意見にも眼を通すから、それに気がつくのだと、
「意識の高さ」に悦に入っているのでした。
意識が高くなって、なにに気がついたのかというと、
「理科への興味に男女差があることについて、
性ホルモンの影響があることが否定できないから、
くだんの調査は信頼できない」のだそうです。
いくらなんでも、理科教育と性ホルモンは、関係ないでしょう。
そこで、わたしは、そんなことをおっしゃる、
あなたたちこそとんでもないですよと、お話してあげましたよ。
そうしたら、みなさん、おわかりになられたようで、
一瞬全員がだまりこんだのち、あたかもいままで、
そんな議論はしていなかったかのように、
わざとらしく無視黙殺をはじめてくれましたよ。
「自分たちは反対意見も聞いているから客観公正だ」という、
自負が強くなって、いつのまにか、自分の意見は、
いつも中立なのだと、思い込むようになったのだと思います。
それで自分たちが偏っていることが、自覚できなくなったのでしょう。
「反対の意見」を聞いたおかげで、とんでもさんになるのは、
かえって視野を狭めていて、まったくもって本末転倒です。
こんなことになるくらいなら、「耳触りのいい意見」だけ
聞いていたほうが、はるかにましではないかな?
すくなくとも、わたしは、そう思うのでした。
|