なにを隠そう(いや、もともと隠してはいないけど)
たんぽぽは、インターネットの議論が苦手です。
議論を続けていると、心理的負担感が出てきて、
書きこみがきつくなることが、よくあります。
掲示板を開けるのも、つらくなることもあります。
(弱虫で意気地なしと、自分でも思っているんだけど...)
また、ナーバスになって、言いたいことが、
じゅうぶん言えなくなることもしばしばです。
やはり、気楽に投稿できるほうが、楽しいですよ。
せっかくインターネットの世界までやってきたのに、
わざわざ緊張したり、苦痛になったりするのも、
なんだか損に思うこともあります。
...なんて言うと、話し合いが奨励される、
当節の風潮に逆行していると、思われたりするのかな?
そもそも、さまざまな意見がぶつかりあって当然の、
インターネットの体質にもそぐわない?
「たんぽぽは、意見の合うものどうしで、
ぬくぬくしているのが楽しい、ひよわちゃんだ」と、
言われたこともあったけれど。
(自分でも、まんざら冗談でもなく、自認していたりする...)
世の中には、自分たちが有利なときは、
「相手がだれであろうと、是々非々で議論する」
「異なる価値観がぶつかりあうときに、新しい発想が生まれる」
「心地よい意見だけでなく、立場の異なる複数のメディアに接するべきだ」
なんて、勇ましいことを言うかたたちも、いらっしゃいます。
ところが、そんなかたたちにかぎって、自分たちが都合悪くなると、
「意味不明で、非建設的だ」「ここは、もともと議論の場ではない」
「怖い感じがして、発言しづらい雰囲気になっている」
「ほかの読者に意義があると思ったときだけ、あなたにはレスすることにした」
などと、言いわけがましく、議論から逃げ出すから、
いやになってしまいます。
そんなふうに、見苦しくて、卑怯なことを言うのでしたら、
ひよわちゃんのほうが、はるかにましではないかな?
すくなくとも、わたしは、そう思うのでした。
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