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歴史認識の話題に醒めている

歴史認識から距離を開ける

ネットには、「南京事件」や「従軍慰安婦」の話題が
お好きな人たちが、たくさんいらっしゃります。
彼らは、ブログやツイッターやSBMなどで、
南京事件や従軍慰安婦のことを、さかんに取り上げています。

ところが、たんぽぽは、こういう歴史認識の話題には
悪い印象は持っていないにしても、「醒めた気持ち」は持っています。
自分で話題にすることもないことはないですが、
それはかなり気が向いたときのことです。
ふだんは積極的に取り上げたいとは思わないです。

ああ、わたしは、「南京事件はなかった」とか、
「従軍慰安婦への補償はすでに終わっている」みたいな、
歴史修正主義の主張を信じているのではないですよ。
これらがとんでもない言説であることくらいは、
わたしも、じゅうぶん承知していますので、
ねんのためおことわりね...


なぜわたしが、歴史認識の話題に醒めているかですが、
ひとつは、南京事件と従軍慰安婦のふたつにばっかり
話題が偏りすぎている、ということがあります。

日中・太平洋戦争を話題にするなら、
満州事変や満州国のこととか、大東亜共栄圏の思想とか、
悪名高い731部隊のこともあるでしょう。
天皇の戦争責任なんて話題もあると思います。

こうした「ほかのこと」にも目配せをしないと、
バランスを欠いていると、わたしは思います。
ちゃんと歴史を考察したかったら、
周辺のことも、よく理解する必要があるでしょう。

南京事件と従軍慰安婦をたくさん取り上げるのは、
歴史修正主義者たちが、このふたつに集中するから、
それに反論が必要になるため、ということなのだとは思います。
しかし、わたしから見ると、このふたつへの過剰な集中は、
「専門ばか」の感がいなめないです。


それからわたしは、歴史認識よりは、子ども手当てとか、
高校無償化とか、配偶者控除とか、300日規定といった、
生活感の強い話題のほうが好きだということもあります。
ネットをやる時間は、そうした生活色のある話題に
当てたいということもあるわけです。

歴史認識のように、あまり生活感のない(失礼!)話題に
多大なる関心と時間を割けるというのは、
ある意味しあわせなことだと、わたしは思います。
わたしはおそらく、そこまでしあわせではないのでしょう。


そもそも、南京事件や従軍慰安婦のことは、
さいわいにしてウェブログに書くかたがたくさんいます。
なので、いまさらわたしがなにか書く必要もないだろう、
という気持ちもあります。

南京事件や従軍慰安婦のことを、だれかがブログに書くと、
たいていブックマークがいっぱいつきます。
常連メンバーはある程度決まっているようです。
こうした彼らの集団の中に、わたしは気分的に
入り込めないというのもあります。


それに、わたしがなにか書いたところで、
彼らは興味を持ってはくれないのですよね。
あちらさんたちが興味を持ってくれないのなら、
わたしから興味を持ってやる必要もないというものです。

それでも、従軍慰安婦はジェンダー問題でもあるので、
わたしのブログでもっと取り上げることも
できるのではないかと、言えないことはないです。
きわめて個人的な理由なのですが、
従軍慰安婦のことは、このかたのことがあるので、
距離を開けたい気持ちが働いたりします。

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