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民法改正運動の展開 - 2007年
安倍首相の続投と辞任

参院選自民大敗 安倍改造内閣発足 安倍晋三首相辞任 安倍晋三首相辞任(4)

18年前の参院選なみの大敗を喫し、戦後始まって以来、
第1党の座を民主党に明けわたした、安倍晋三首相ですが、
当然辞任かと思いきや、なんと続投を決意したのでした。
なんでも選挙で負けても、国造り(「国創り」?)のために、
「責任」を果たさなければならないのだそうです。

勝敗ラインをはっきりさせないなど、選挙前から、
開き直ったことを言っていて、もしかしたら?とは思っていました。
開票なかばにして、40議席を超えないとわかると、
コイズミに、森嘉朗と、青木幹雄の3人が、安倍のところへ来て、
退陣の説得をしにきたそうですが、安倍は続投を表明したそうです。

安倍氏は、この選挙は「自分か小沢かの選択」と言っていたのでした。
その選挙に負けたのですから、国民から選ばれなかったとして
退陣するのが、こういうときの「責任」だと、わたしは思います。
自民党内からさえも、退陣するべきという、強い批判もあったくらいです。
(漢字2字の「責任」が退陣で、漢字1字の「責任」だと続投なのかも。(笑))

「美しい国」だか、「戦後レジームからの脱却」だかに
まだ未練があって、あきらめきれないのでしょう。
郵政選挙と造反議員の復党で作った、300以上ある衆院の議席が、
こうした強引な続投をやりやすくしたところはあるでしょう。


自民党は、全体としては大敗でしたが、党内で相対的に
安倍の一派が強くなったことも、安倍続投の背景になっているようです。

これまでは、参院で自民党内の第1派閥は、青木幹雄の属する津島派で、
それゆえ青木氏は、参院でとても力があったのでした。
ところが、今度の参院選では、15人中2人しか当選せず壊滅的でした。
岡山の片山虎之助と、島根の景山俊太郎が落選したのも響きました。
それで、党内の勢力をきゅうに失ない、官邸とやり合えなくなったようです。

かわって参院の第1派閥となったのが、安倍の属する町村派です。
15人中8人当選と後退はしましたが、衆参合わせて第1派閥です。
世耕弘成や山本一太、衛藤晟一(造反復党組)や、
丸川珠代、佐藤正久(ひげの隊長)など、自分のお仲間や引き抜きが、
わりあい当選して残ったことで、参院とのねじれはなくなり、
安倍の派閥に安定をもたらしました。

丸川珠代や、佐藤正久などの「引き抜き」の候補者は、
知名度を稼ぐという、コイズミの選挙戦術にならったものと思います。
「選挙に弱い」という定評のある、安倍晋三ですが、
コイズミのまねをしたことは、うまくあたったのであり、
これにかぎっては、判断は正しかったと言えるでしょう。

約1か月後の8月28日、安倍改造内閣が発表されました。
安倍首相は、もっと時間をかけて考えたかったようですが、
いくら考えても、サプライズ人事なんかできないと言われて、
予定よりすこし早く決めたみたいです。
閣僚のリストは、たとえば、つぎのページにあります。
http://www.afpbb.com/article/politics/2273034/2049574

民法改正に関係あるところを見ていきたいと思います。
いちばん重要なのが法務大臣で、これは鳩山邦夫氏です。
このかたは、賛成なのか反対なのか、よくわからないです。
プロフィールがつぎのエントリに出ていますが、
ここでもやはり、はっきりわからないとしています。
http://fb-hint.tea-nifty.com/blog/2007/08/post_2d18.html

もうひとつ男女共同参画は、少子化大臣が兼ねていて、上川陽子氏です。
2001年11月に、世論調査を受けて出された、
選択別姓法案の、「党三役申し入れ」の賛同者のひとりです。
また2002年7月に、家裁認可制の実現をめざした、
「例外的に夫婦の別姓を実現させる会」のメンバーでもあります。
まちがいなく賛成派ですので、だいじょうぶでしょう。

それから、いちおう労働問題にもなるので、多少は関係あるのかな?
厚生労働大臣は、なにかと話題の舛添要一氏です。
このかたは、賛成なのかどうかは、やはりわからないです。
副大臣は、元祖家裁認可制の反対派、西川京子氏(厚生労働)がいたり、
推進派でおなじみの、松島みどり氏(国土交通)がいたりとさまざまです。


ところで、民法改正法案を、提出させるかどうか決めるのは、
大臣でも副大臣でもなくて、法務部会の事前審査です。
閣僚に賛成派が増えても、安倍政権での実現は期待できないでしょう。

それでも、第1次内閣は、長勢甚遠とか、高市早苗といった、
とても頑固な反対派やバックラッシュが、
主要ポストをたくさん占めていて、民法改正の実現は
「ブロックシフト」されたと言われて絶望的でした。

前の内閣がひどすぎたと、言ってしまえばそれまでですが、
反対派が政権からだいぶ減ったことで、状況はだいぶ緩和されたと言えます。
さすがに、参議院で議席を大きく減らしたので、
「美しい国」の「理想の家族」も後退せざるを得なかったのでしょう。
これ以上、とんでもない方向へ行かないという、気休めにはなりそうです。


それから首相補佐官ですが、ここは要注意ですよ。
「首相補佐官」とはなんなのかですが、官邸主導体勢の確立のため、
アメリカ合衆国の大統領補佐官に、ならって作られたものです。

コイズミ以来の、官邸主導を強化しようとして、
安倍首相は、第1次内閣では、定員枠いっぱいの5人まで採りました。
ところが、役割分担をはっきりさせなかったのが、
大きな原因とされていますが、既存ポストの閣僚と
衝突ばかりしていて、まともに機能しなかったのでした。

そこで、改造内閣では、ふたりに減らすことになりました。
拉致問題の中山恭子氏と、教育再生の山谷えり子氏です。
山谷氏も、教育再生会議で、大臣の伊吹文明氏ともめまくっていたし、
その伊吹氏は留任なのですが、だいじょうぶかという気もします。

それはともかく、このふたりを留任させたのは、
拉致問題と教育再生がとくに大事だ、ということだろうと思います。
つまり安倍首相にとって、「理想の家族」は、
拉致問題とおなじくらい、ゆずれないイデオロギーであり、
まだまだあきらめる気がないことを、しめしていると思います。
これは警戒が必要なことだと思います。

改造内閣が発表されたのもつかのま、半月後の9月12日、
なんと安倍晋三首相は、とつぜん辞任を表明するのでした。
参院選の大敗をはじめ、逆風が続いていて、ついに降参したのでしょう。
所信表明演説からわずか2日、国会開会の真っ最中、
代表質問の直前に、あたかも敵前逃走するかのようにやめるという、
とてつもない「サプライズ」ですよ。(わたしも、とてもびっくりです。)

こんどの辞任は、健康上の理由もあったみたいです。
去年(06年)のクリスマスも、おかゆを食べていたというし、
ずいぶん前から心身ともに、まいっていたのかもしれないです。
(やはり人生最大の挫折に直面しているのでしょうか?)

辞任を表明すると、そのつぎの日からすぐ病院に入院でした。
つぎに表に現われたのは24日ですが、会見時間は10分だけでした。
25日の首相指名選挙には出席するのですが、そのあとまた入院です。
本当に相当なまでに衰弱していたようです。


安倍の前代未聞の辞任劇ですが、アメリカのブッシュ大統領が、
北朝鮮に対するテロ支援国家の指定を解除すると
決めたことが、直接の原因だと言われています。
「安倍辞任の真相はブッシュ会談だった」

指定解除をしてほしくない安倍晋三氏は、テロ対策特別措置法
(インド洋での自衛隊の給油活動)の延長を引き換えにして、
ブッシュ大統領に、解除延期をしてもらう約束を取り付けたのでした。
安倍晋三氏は、テロ対策特別措置法の延長に「職責を賭ける」と
言っていたのですが、こういうことだったのでした。

ところが、ブッシュ大統領と約束できて、よろこんだのもつかのま、
小沢一郎代表は、テロ措置法の延長は断固反対でした。
日本の民主党を説得できる見込みがぜんぜんないので、
自分が約束を守るのが絶望的となり、一気に吹っ切れたみたいです。
やはり、参院選で民主党が第1党になったのが、運のつきでした。


かくして、安倍晋三氏は、無理に首相の座にしがみつこうとして、
過去や他国に例を見ないような、大失態をしたことになります。
日本の現代史にさえ、重荷を残しかねないことだとも思います。
参院選で大敗したとき辞任していれば、それは自然な流れですから、
ここまでダメージを受けなかったでしょう。

安倍晋三首相に期待していた、国粋主義者たちも、相当なまでに
ショックを受けたようで、「安倍の政治生命は終わった」などと騒ぎだし、
(いくらなんでもこれは大げさで、議員生命くらいは無事でしたが)
後任の福田康夫氏に、当たり散らしたりもしていました。

マスメディアや論壇のみならず、身近なウェブもしかりのようです。
たとえば、南京事件の否定論や、嫌韓、嫌中的言説が、
ネットでもだいぶおとなしめになった感じです。

支持者たちの、阿鼻叫喚ぶりや意気消沈ぶりも、おもしろいですが、
バックラッシュ政権が、とつぜん崩壊してくれたのですから、
わたしとしては、うれしいかぎりなのは、言うまでもないでしょうね。

参考文献、資料

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