民法改正運動の展開
家裁認可制法案(4)



結婚するのに、わざわざ、家庭裁判所におもむいて、
裁判官の審査を受ける、そのために1ヶ月もかける、
そんなことは、とても受け入れられない、というかたも、
もちろんいらっしゃいます。
そんな中でも、「家裁許可制夫婦別姓反対声明」は、
声高だかに、反対を唱えていると言えるでしょう。
http://www31.ocn.ne.jp/~eighsaqu/statement01.htm

このサイト作者の以前書いていた、
「夫婦別姓雑感」というコンテンツが、
http://www31.ocn.ne.jp/~eighsaqu/zakkan.htm
だいたい、婚外子差別撤廃切り離しと、例外制法案の反対記事に
なっていると見られるので、この家裁認可制案の反対声明を入れて、
3部作と言えるかもしれないです。


「家裁許可制夫婦別姓反対声明」の反対理由は、
(ある意味とうぜんだけど)もっぱら、法学的な根拠となっています。
それはもちろん、憲法24条の「婚姻の自由」と、
14条の「法のもとの平等」に反する、というものです。

家裁案はあくまで、一部の人たちだけでも救済するための、
中間段階であり、将来、公平な法律にまで、
改正することを前提にすれば、いまはそれでもやむをえない、
という容認派の意見に対しても、いっさいの妥協を認めません。
 
「そのような立法は、一部の受益者の『利便性の実現』という
要求があるからといって、また将来の制度見直しを
視野に入れるからといって、許されることではありません」
「自らの欲求の実現のためには法体系破壊の危機をも
致し方なしとする自己中心的な姿勢」と糾弾しています。

なにしろ、ほとんどの賛成派が反対しなかった、
例外制法案でさえ、24条と14条を根拠に反対していたくらいです。
家裁案では、婚姻成立の際の外的要因や、法のもとの不平等が、
あからさまですから、なおさら強烈に反対するのは、
想像にがたくないでしょうね。


しかも、それだけではないようです。
容認派たちのいわゆる、「一部の人たちだけでも助かれば...」
という「謙虚さ」にも、疑いをはさんでいます。

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理性的な社会的平等論や男女共同参画論を題目とし、
また夫婦別姓反対論者や社会の不寛容を嘆きながら、
一方で自らの夫婦別姓への欲求のみによる理由で、
このように憲法上の自由と平等を制限する「家裁許可制」案を
後押したり黙認したりすることは、ダブル・スタンダードとも言うべき大変な矛盾である
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インターネットの市民団体は、
「自分たちは実務的だから、近い将来に実現することにだけ意味がある。」
と強く主張して、反対意見を押さえ付けてきました。
そして、婚外子差別撤廃を切り捨てたり、
家裁認可制などの譲歩案に、無批判に賛成してきたのでした。
そこには、自分たちさえ認められればよいのだ、という
独善的な態度が潜んでいるのを感じるかたも、
たしかにいるでしょう。

こうした人たちは、家裁認可制でも可決して、
自分たちが別姓を選択できたら、それでおしまいではないのか、
そのあともまだ、別姓が認められない人たちのことや、
ましてや婚外子差別のことなど、どうでもよくなるのでは、という、
疑惑を感じる人も出てくることでしょう。

かくいうわたしも、
「完全な選択的夫婦別姓法実現を、あくまでも目指していくために、
家裁案はそのための、一過程なんだという認識を忘れないために。
最終終着点を確認することは、なにかを成しとげるためには、
いちばん大切です。」なんて、ネットの市民団体のかたが
言うのを聞いたときは、どこかしらじらしいものを
感じたりもしました。


ところで、この著者は、民法改正実現のために取るべき戦略
(とくに反対派の対処)については、どう考えているでしょうか?

「家裁案などという、中途半端なしろものなら、むしろいらない。」
というふうに、あえて強硬姿勢を前面に出すのも、
「戦略」として取られることは、考えられます。
しかし、この「家裁案反対声明」では、
そうした政治戦略としては、述べられてはいないのでした。

じつは、「家裁案反対声明」にも、その背景となっている
思考について述べられた「雑感」にも、どこにも出てこないのです。
というより、「反対派対策」「政治戦略」という視点
それ自体が、すっぽりと抜け落ちています。


インターネットの市民団体のかたたちの中には、
「家裁案が成立したら、別姓を認めてもらうために必要なら、
わたしは何回でも、裁判所に行くつもりだ。
またこれによって、反対派に対して、別姓の必要性の切実さを
伝えることにもなるからだ。」というふうに、
自分の生活を直接楯にしてでも、という、
とても根性のあるかたもいらっしゃいます。

ネットに市民団体の人たちが、かなり具体性の強い
ビジョンがあるのに対して、現実対応についてのかかる無策ぶりは、
(自分たちは実務的という、自負の突出した、
市民活動家たちなら、なおさらでしょうが、)
わたしでさえ、「対案がしめされていない」と思うところです。


そうではなくて、よけいに時間がかかっても
公平なかたちで法案提出するのが、のぞましく、
はなはだ残念だけど、別姓法案の早期実現は断念しているのだ、
ということなのでしょうか?

ところが、02年4月20日付けの「雑感」には、
つぎのような、法改正実現の見通しが述べられています。
これを見ていると、どうも、家裁認可案で「日和る」より、
公平な選択制を主張し続けたほうが、実現が早いと信じているらしいのです。

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更に日和るとなった末には、もし今度の夫婦別姓導入機運の
盛り上がりを逃がす結果となったとしたら、
恐らく夫婦別姓制度が実現する可能性は果てしなく遠のくことであろう。
根拠はないが、団塊ジュニアと呼ばれる世代以降が
国会議員の大多数を占めるような時代になるまで、
事実上の一事不再理ということになるような気がする。
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民法改正の反対派というのは、はじめに結論ありき、
カルトか疑似科学のビリーバーのように、自説を妄信している連中です。
いったいどうやって、理解を得ようというのでしょうか!?
法体系の整合性を説くだけで、反対派たちの理解が
得られるつもりなのでしょうか?

おそらくは、世論が盛り上がればなんとかなる、
くらいの認識でいるのでしょう。
反対派の抵抗を、このくらい徹底して過小評価していれば、
反対派への対策など、ほとんど考えがなかったとしても、
無理もないかもしれないです。


ところで裁判所は、家裁認可制案を、
どのように考えているでしょうか?

そのむかし、別姓を選択したけれど、
子どもの苗字が決まらないなら、判断を家裁にゆだねるとしたとき、
最高裁が難渋をしめした、というお話を聞いたことがあります。
これが本当だとすれば、例によって、
最高裁の消極主義ゆえの、態度なのだろうとは思います。
もしかすると、「そんなことくらいで、われわれ裁判所の手を
わずらわさないでくれ」とでも、思ったかもしれないです。

このあたりから類推すると、家裁認可制案についても、
ほかの裁判所はともかく、最高裁判所は、
あまりこころよくは思っては、いないのかもしれないです。
いかんせん、夫婦別姓にしてもだいじょうぶかを、
家裁がわざわざ判断しなければならない、というのは、
とてもばかばかしいことだからです。
 

くわしいことは、わたしはなにも聞いていないので、
残念ながら、これ以上はわからないです。

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