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民法改正運動の展開 - 2003年 2003年の法務部会 あっけない終末 |
直談判前の年(2002年)の暮れに、「今回の臨時国会は取りやめて、 来年(2003年)の通常国会で、じっくりと審議する。」と言って、 自民党の推進派議員たちは、先延ばしにしたのですが、 6月になっても、法務部会が開かれない、という状況でした。 業を煮やしたのか、笹川会長と、野田氏は、 部会を開いてくれるよう、官房長官らに「直談判」したらしいのです。 6月11日の読売新聞の政治欄に、このことが、ごく小さく出ています。 記事は、以下の引用で全文です。 (よくこんなものを、捜し出せたと、自分でも思っています。) ちなみに、ウェブでは、前日の10日に記事が出ていました。 ======== ◆夫婦別姓実現へ理解求める。 自民党の「例外的に夫婦の別姓を実現させる会」の 笹川会長、野田聖子事務局長らは10日、福田官房長官らを相次いで訪ね、 家庭裁判所の許可で例外的に夫婦別姓を認めることを柱とする 民法改正法案の今国会提出に理解を求めた。 ======== まがりなりにも、直談判の甲斐はあったのか、 このあと、どうにか法務部会が、開かれたのでした。 佐々木議員のサイトの、「最近思うこと」のコーナーに、 そのようすが、ややくわしく書かれています。 「自民党で握りつぶしていいはずはない」 http://www.sasaki-law.com/memberof/general67.htm#10 内容は推して知るべし、2002年のときと同じです。 「伝統文化の破壊」「子どものことを考えていない」といった、 感情むきだしの反対にあって、あっさりつぶれてしまいました。 今回は、通常国会の閉会直前ということで、 「なぜ国会閉会直前になって慌てて部会を開くのか」という 非難も出てきたのでした。 そして、反対派議員たちは、「部会の意見集約は困難だから 上のレベルに上げたいとする私たちの主張に対しては『部会でやってくれ』 (つまり絶対に通さないということだ)の一点ばり」だったのでした。 法務部会にとどめておくかぎり、法案提出が阻止できるが、 外に出したら、阻止はもはやできないことを、 彼らは、よく承知しているのでしょう。 一部の反対派が、これで妥協するなら賛成すると言った、 家裁認可制も、「家裁の許可だというが、裁判所は信用できない」 という反対派が出てくるしまつです。 おそらく、この反対派にとっては、どんな条件がついても 「信用できない」のではないかと思います。 |
あっけない終末かくして、婚外子差別の撤廃を切り捨て、 さらに、例外制、家裁認可制と、 頑迷きわまりない反対派の前に、撤退を続け、 審議を翌年にのばすと言った、あげくのはてに、 その審議もぜんぜんできずに、終わってしまったのでした。 わたしの予想通り、いや、予想をはるかに上回る、あっけない終末でした。 法務部会も、開かれたところで、 去年の実態を見て、どうなるかわかっていたので、 どうせこんなことだろうくらいに、わたしは、思っていました。 じつのところ、あまり気に止めていなかったのでした。 (民主党が、去年の危機を脱出して、比較的安定してきたので、 むしろ、事態の好転を感じていたくらい。) あまりに、あっけなかったからでしょうか、 マスコミ各社は、03年にも、選択別姓法案の 法務部会が開かれたことを、知らなかったもののようです。 翌年、04年の記事では、どこの新聞でも、 「選択別姓の法務部会が、1年8ヶ月ぶりに再開」と、報じています。 3-4月くらいに部会を開かないと、国会での審議に入るのは 無理がありますから、実質的に部会はなかったと 言ってもいいかもしれないです。 あるいは、マスコミは、このように見なしたのかもしれないですが。 こうした、執拗な反対を続ける動機として、 「ここまで強硬に反対するのは、個人の信条というより むしろ某圧力団体の意向を受けているとしか私には思えない。」と、 背景に宗教右派系の団体があることが、 佐々木議員のページでは、ほのめかされています。 なぜか、「某圧力団体」と、名前が伏せられているのですが、 しかし、あとに出てくる、寄せられたメールを 引用しているところでは、「神道政治連盟」の名前が出ています。 ======== 悔しくて悔しくて、涙が止まりません。 今年こそ、夫と入籍できると思っていたのに、神道政治連盟がいる限り、 永久に入籍できないのではないかと人生が真っ暗になります。 ======== |
忘れられた陰で...ところで、佐々木さんに、泣きながらメールを送ったかたを、 引き合いに出すまでもなく、選択別姓の実現を期待する人たちの中には、 「あっけない終末」の与えたショックが、 相当大きかったかたもいらっしゃったようです。 前年2002年は、いつになく運動が盛り上がり、 自民党の推進派のもとで、実現に手が届きそうだと、 確信していた人たちが多かったのでした。 ところが、それがまったくの茶番だったことが はっきりしたのですから、無理もないと思います。 (あえて、薄情な言いかたをすれば、 かかる茶番劇を予想するだけの材料は、2002年の前半から (いや、それ以前から)すでにじゅうぶんあったのでした。 わたしが、それを再三指摘したにもかかわらず、 市民活動家たちは無視し、あまつさえ「実現をあきらめている」 「非建設的だ」と決めつけて、繰り返し排除さえしたのですから、 自業自得とも言えるとは思いますが。) それはともかく、マスコミからも、すっかり忘れられて、 取り上げられもしなかった陰で、今回の「あっけない終末」は、 自民党偏重になりすぎた、民法改正運動に、 大いなる重荷を残してしまったもののようです。 |
参考文献、資料
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