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民法改正運動の展開 - 2001年
婚外子差別撤廃の切り捨て(1)

婚外子差別撤廃の切り捨て
民法改正には、選択別姓の実現と、
婚外子の相続差別の廃止という、ふたつの大きな柱があります。
ところが、2001年の春ごろからですが、民法改正から、
婚外子差別を切り離して、選択別姓の実現だけにかぎろう、
という動きが出てきました。

その原因は、自民党内の反対派議員の、強い抵抗にありました。
婚外子の相続差別を廃止することに、猛烈に反対する議員がいるので、
(たとえば、扇千景氏。)選択別姓だけにすれば、
受け入れやすくなるのではと、考えたのでしょう。
自民党内の推進派グループは、そうした動きに移っていきました。

民法改正を求める市民活動家の中にも、
これに同調する動きが、出てくるようになりました。
とくに、わたしがよく見ている、インターネットの市民団体、
「氏名を大切にする市民の会」は、婚外子差別撤廃を、
切り捨てることが、強く主張されていました。
自民党の推進派グループの動きが、
急に活発になってきたので、それに呼応したのだと思います。


こうした動きには、反発もありました。
婚外子差別撤廃の切り捨てへの、市民団体内部からの反対意見は、
つぎのサイトで読み取れそうです。
「夫婦別姓雑感(2001年11月14日)」
 
一般の個人が、別姓での結婚を望むという
レベルとちがって、代議士たちや市民運動家たちは、
大局を見据えなくてはならないはずである。
もともとの理想であった、民法改正問題全体を
視野に入れなくてはならないはずだ、ということのようです。
今まで腰が重かった自民党が「夫婦別姓!」と言い始めれば、 その尻馬に乗っかって、従来から民法改正運動に 参画していた議員さん達も運動家さん達も、 非嫡出子相続差別撤廃問題を切り捨てる勢いで話を進め始めたようである。 「民法改正問題」が、いつのまにか「夫婦別姓問題」にすり替わってしまった。
もうひとつ、問題を限定することで、 当面の選択別姓が実現すると、そこで止まってしまい、 ほかのことが解決しないまま放置されるか、あるいは解決が、 ずっと遅れるのではないかという、現実的な危惧もあるようです。
ニンジンを食った後のこともちゃんと考えている、 と言われるかもしれない。ならば、考えているのなら、 現状固まっている範囲で良いからちゃんとゴールするための 具体的なヴィジョンを見せてもらいものである。

婚外子切り捨てをすすめる市民活動家
インターネットの市民団体の人たちは、このような主張は、
理想の旗を降るだけで、非現実的であり、実践的な自分たちは、
とても受け入れられないと、賛同をしめしませんでした。
選択別姓と婚外子差別は、たまたま民法改正という
課題の中に同居していただけで、もともと別の問題であり、
いっしょに扱う必要はないと、言う人まで出て来たのでした。

彼女たちに言わせると、婚外子差別といっしょだと、
実現がいつになるかわからないが、選択別姓だけにすれば、
実現する可能性がきわめて高いのだそうです。
50年後でも到達できるかどうか分からない理想よりは、 1年後に実現する状況改善の方が、私にとっては意味のあるものです。
したがって、民法改正を、自分自身の問題として、 とらえている人であるならば、婚外子差別問題の切り離しに、 賛同するはずだと、言う人もいました。 こうした考えには、とくに根拠があったのではないです。 市民団体の人たちは、自民党推進派の意向に、 全面的にしたがうことが最善と、信じていたので、 自分たちも、そうしたくなったのでしょう。 婚外子を切り捨てれば、選択別姓は実現するとか、 「実務的」だというのは、たぶん後付けの理由なのだと思います。 しかし、一般的には、解決する課題が少ないほうが、 実現しやすいですし、多くなればそれだけ「理想的」です。 それに、「1年後に実現する状況改善」と言われても、 この時点では反証不可能でしたから、だれも言い返せませんでした。 それで、市民活動家たちの言いぶんに、説得力を感じて、 賛成した人たちは、たしかに多かったのだろうと思います。 市民活動家たちは、「批判するなら現実的な対案を出せ。 批判ばかりの評論家はいらない」と言って、反論を封じていました。 この「対案」「評論家」も、実務的、現実的でありたいという、 「別姓を望む人たち」にとって、非常に説得力があり、 しばしば「殺し文句」となることがありました。 ところで、選択別姓の実現も必要だが、自分自身が、 婚外子であるなどの理由で、婚外子差別の解消も、 たいせつと考えているかたも、彼女たちの集まっている掲示板で、 ときどき見かけることがありました。 こうしたかたは、市民活動家たちの言いぶんには、どう感じたでしょうか? 表立っての発言がなかったので、わたしには、わからないです。 すくなくとも、市民団体の人たちの多くは、 選択別姓しか興味がなかったし、自分たちのやりかたで うまくいくという、信念があったので、こうした人たちのことが、 見えなくなっていたことは、たしかそうです。

わたしの見解
わたしの見解ですが、自民党の推進派グループが、
こんな動きになったことに、たいしたウラはないと思っています。
おそらくは、このころ(2001年春)になって、
「婚外子差別を切り離せば、なんとかなるかも?」という発想が
出てきただけのことだろうと思います。

これまでに何年も、反対派議員たち相手に交渉を続けて、
らちがあかなくなっていたのでしょう。
ひさしぶりに新しい可能性を思いついたので、
動きが活発になったのではないか?というのが、わたしの想像です。
「夫婦別姓雑感」(2001年11月14日)で、書かれているように、
人気取りのために、受けのよさそうな別姓にターゲットを限った、
というほどではないだろうと、わたしは見ています。

それでも、「ニンジンを食った後」の心配は、わたしにもあるのでした。
インターネットの市民団体は、「現実的な活動」と称して、
自分たちの要求だけ、押し通そうとするのですから、
それがかなったら、きゅうに無関心になることが予想されます。

「早く選択的夫婦別姓だけでも通してもらって、
それから婚外子差別の問題の解決に向かって取り組んでいく」
と言われても、「具体的なヴィジョンを見せてもらい」たいが、
「そういうものを見たことがない」のですから、
信用などとてもできないでしょう。


しかし、わたしに言わせれば、そんなことよりも、
ずっと深刻なのは、選択別姓だけにターゲットをかぎれば、
近いうちにかならず、実現するはずという、
市民団体の人たちの、根拠のない確信だと思います。

婚外子差別撤廃を、切り離したくらいの譲歩で、
妥協してくれる選択別姓反対派とは、とても思えないからです。
すくなくとも、1年かそこいらでは、状況が改善しないでしょうし、
過剰に期待しても、かえってエネルギーを
むだに使い果たすだけになることが予想されます。

それでいて、インターネットの市民団体のように、
婚外子切り離しに反対する人を、押さえ付けるやりかたは、
運動の中に分裂を招くことになって、損失にもなりかねないでしょう。
実際、民法改正運動の中の意見の異なる人たちを
押さえつける態度は排他的だ、という批判もありました。

ところが、市民活動家たちは、これで深刻になるほど、
自分たちから仲間が離れていくとも、思っていなかったみたいです。
よほど自分たちのやりかたに、自信があるもののようです。

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