民法改正運動の展開
事実婚と通称使用の扱い



民法改正の反対派たちは、なにかというと、
通称使用でじゅうぶんだ、事実婚でじゅうぶんだと、
主張してくるからですが、それに対処するために、
民法改正の推進派たちは、通称使用や事実婚の問題点やリスクを、
やたら強調するようになってきました。
 

戸籍に通称を並記できるようにすると、あわせて改正する法律が、
400以上も出てくると、その法制化の難しさを説き、
それにともなうコストも膨大になると主張します。
また「本名」というものは、ひとつでないとおかしいとし、
さらには、公的な本名はひとりにひとつなのが、
先進国の常識だなどと、いうかたもいらっしゃいます。(本当かな?)

また現状では、通称使用のために、結婚改姓しても、
更新手続きをあえてしないなどして、
旧姓の記載された身分証明書を、作っておくことがあります。
これも、戸籍名との不一致から、文書偽造にあたることがあり、
そのリスクがあることを主張してきます。

(リスクが強調されるわりには、実際に文書偽造が直接の原因で、
不利益を被ったというお話は、聞かないですが。
告訴されると、2万円以下の罰金が科されることがあると、
いちおうはなっているけれど。)
 

事実婚についても、法的に夫婦とみなされないゆえに、
さまざまなリスクあることを、主張してきます。
中には、配偶者が入院したとき、家族として認められず、
病院側が、面会や手術の同意に応じてくれないかもしれない、とか、
かなりシリアスな事例を出すこともあります。

さらには、推進派たちは、みずからを肯定するために、
こうしたリスクを、きちんと顧慮して行動するのが、
意識の高いオトナであるという、「価値観」まで作りあげているのでした。

かかるリスク評価の妥当性はともかく、
こうした認識は、「しろうと考えではない、
ある程度の知識や経験がある、事情に通じた人たちの常識」として、
推進派たちのあいだに、広く定着しているもののようです。


選択別姓が認められれば、事実婚のニーズは減るでしょう。
しかし、プライベートには婚氏を使うけど、
お仕事のときだけ、旧氏を通称として使いたい、
という人は、すくなからずいると思われます。
ダブルネームの煩雑さを、とかく主張する推進派ですが、
すべての人がそうとはかぎらないでしょう。

本来なら、こうした人たちに対する配慮も、あってもいいはずです。
選択別姓が認められるのは必要だが、事実婚や通称使用の権利も
同時進行で、もっと拡充させてもよいのではないかと、
お考えのかたもいらっしゃるかと思います。

ところが、推進派たちのあいだでは、
事実婚や通称使用に関しては、リスクや不備を強調するばかりで、
これらの「リスク」を小さくするための
権利確立の議論や活動は、ほとんどなされないのでした。


「夫婦別姓雑感(2001年11月14日)」は、
推進派のこうした風潮に対する、数少ない批判となっています。
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法律婚絶対視・戸籍名絶対視の風潮が再び頭をもたげる可能性があるのだ。
選択的夫婦別姓制度の存在を盾に、事実婚や通称使用を
排斥するような意識が芽生えないと誰が断言できるだろうか。
それは事実婚保護や通称使用制度の確立を同時に進めれば解決できるはずなのに。
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ようするに、推進派たちは、反対派の理解を得ることだけが
大事になっているのだと思います。
彼ら反対派に、「事実婚や通称使用でじゅうぶん」
という結論に、落とされたくないので、
むしろ、これらを切り捨てていくのでしょう。
(それ以前に、無責任な主張をくりかえす、
反対派のほうに問題があるのは、もちろんですが。)

(事実婚に移行すると、ことのほか不都合がすくないので、
そのまま民法改正への関心が薄れていくかたも結構います。
事実婚に対するリスクの強調は、興味がなくなって活動から
離れていくのを防ごうという、政治的意図もあるかもしれないです。)

法律婚や戸籍の絶対性も、反対派に戸籍擁護派が多いので、
やはり警戒されることを恐れて、疑うことを避けたがるようです。

 
インターネットの市民団体より、あとに出てきた市民団体の中には、
事実婚や通称使用の権利保証は求めないと、
あからさまに標榜するところもあります。
かかる排斥傾向は、ますます進んでいくもののようです。

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