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民法改正運動の展開 - 2002年前半(2)
「市民派議員」のお人好し

「反対派議員たち、動き始める」を、ご覧になって、
反対派というのは、頑迷きわまりなくて、
どうやっても選択別姓のことなど、理解しないのだから、
彼ら相手に議論をするのは、まったく無駄なだけではないかと、
思うかたもいるでしょう。

あるいは、民法改正法案に賛成することは、
すでに選挙公約と決まっているのですから、
いまさら蒸し返すのは、選挙公約違反です。
そんな反対派議員たちは、蒸し返す態度からして、
批判されることで、もう一度議論などすることでないと、
お考えのかたもいるでしょう。

これは、もっともなことで、わざわざ時間と労力をかけて、
反対派議員たちと、議論する必要など本来ならなく、
賛成側はもっと強硬姿勢を、取ってもよかったのだと思います。
民主党のほうには、「反対派議員たちに、辞職勧告をせよ」という
意見も届けらていれたくらいです。

ところで、『国会議員を精神分析する』(水島広子著、朝日選書)
という本の、51-55ページを見ると、
どうも、賛成議員のほうから積極的に、
議論に応じるべしと、言ったみたいなのです。

========
市民派議員たちは、選挙公約をまるっきり忘れたように
自分たちの主張をする議員たちの存在を悲しく思うが
「議員辞職しろ」などと恫喝することは決してできないのだ。
あるいは、「もう決まっていることなのだから、
議論を蒸し返すな」と切り捨てることもできない。
========(53ページ)

しかも、賛成派議員(上述の「市民派議員」)たちは、
========
一度決まったことだからと言って、議論の自由まで奪うことはできない。
そういう意見があるということも尊重しなればならない。
誰かの意見を無理矢理封じ込めたというふうにしてはならない、
あくまで納得してもらわなければ。
========(53ページ)
とまで、言ったというのです。
(わたしに言わせると、「またそれか」という感じで、
いいかげんへきえきしてくるのですが...)


じつは、わたしは、反対派議員たちがあまりに騒ぐので、
もう一度議論してやらないと、おさまりが
つかなくなったのだろう、くらいに思っていたのでした。
(それで、「納得のいくまで議論を続け、
選挙公約を守ろうとする、民主党の姿勢は、評価したい」と、
前の記事で書いたのでした。)

そうではなくて、むしろ賛成派議員(「市民派議員」)のほうから、
議論するべきと、言い出したのだとすると、
あまり評価できたことではなさそうです。

こうした「市民派議員」たちの対応には、水島氏も批判的で、
「党の基本理念に照らして当たり前の政策なら、
少しは毅然とした態度を取っても良いではないか、
と恨めしく思った」(54ページ)と書いています。

「市民派議員」たちは、反対派の説得を、
楽観的に考えていたのかもしれないです。
これにかぎらず、どんな相手でも、じゅうぶん話し合えば、
かならす理解をしめすはずであり、強引なやりかたは、
本質的な解決をもたらさず、かえって、好ましくないことになると、
信じているのが、このようなタイプのかたは一般的です。

ところが、彼らはこのあたりに、教条的になっているようで、
相手の意見の内容や、やりかたにおかまいなしに、
それを「尊重」して、受け入れようとするところがあります。
(これには、上意下達的で有無を言わさない、
前時代の日本の悪しき体質の、反動もあるのでしょうか?)

あるいは、「市民派議員」たちは、
「とんでも」な人たちと、議論した経験があまりなく、
頑迷に自分の考えを改めないという、
独特の精神構造に、慣れていなかったのかもしれないです。
それで、選択別姓反対派と、議論することの非生産性が、
わからなかったのかもしれないです。


話せばわかる人も、たくさんいるのですが、
話しても、絶対にわかろうとしない人もいるのも、
残念なことですが、また現実です。
いや単に、わかろうとしないだけなら、ましなほうです。
「話せばわかるはず」と、友好的に近付く人を、
自分の利益のために、利用(悪用)する人たちもいるくらいです。

それは、つぎのお話に出てくる、自分を助けてくれた男を
かみ殺す蛇のようだとも、言えるでしょう。
ときには、こうしたタイプの人もいることも見きわめて、
相応の対応をする必要もあるのだと、わたしは思います。

http://marineko.moo.jp/kiite16.htm
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 『・・・ある寒い日、ひとりの男が畑のあぜ道で
凍えている蛇をみつけました。
可哀相に思い、彼はぐったりと動かない蛇を懐に入れて温めてやります。
しばらくすると、蛇が元気を取り戻したのでしょう、
男の懐のなかで、もぞもぞ動き始めました。

男は、自分が蛇を助けてやったのだと気をよくしながら、
もっと元気になれと、なおも蛇を懐に抱いていました。
蛇の動きはだんだん活発になり、
あっと思う間もなく男の脇腹に鋭い痛みが。
蛇に噛まれたのです。男は苦しみにもがきながら
自分のしたことを後悔しましたが、それも後の祭り、
その場に倒れ伏して死んでしまいましたとさ』
========

民法改正に、執拗に反対を続ける中には、
この「助けてくれた男をかみ殺した蛇」のような人たちも、
たくさんいらっしゃるようです。
もしかすると、反対派議員たちは、こうした機会が来るのを、
ひそかに待っていたのかもしれないです。

彼らに対して、不用意に寛容な態度で接すると、
かえって危険で、有害なこともあるでしょう。
水島氏も、「市民派議員」たちの過剰なお人好しに、
きびしい評価を下しています。
========
ルールを無視して強引に自分たちの意見を
通そうとする人たちから見れば、歓迎すべき態度である。
========(53ページ)


結局、反対派議員たちは、理解する気がまったくなく、
約3か月におよぶ、泥沼の議論となり、
最後は、トップダウンで、公約を守ると
決めざるを得なかったことは、前にお話した通りです。

議員辞職まで勧告するのが、よかったかどうかはともかく、
せめて、「すでに決まったことだから、いまさら蒸し返すな」と、
議論に応じないでおいたほうが、よかったのでしょう。

このときは、いちおうの収拾がついたものの、
このあとも、反対派議員たちは、くすぶり続けることになります。
「市民派議員」たちの「寛容」さは、かえってあだとなり、
反対派議員たちに、かえって影響力を持たせてしまい、
党内の不安定材料となったようです。

参考文献、資料
  • 『国会議員を精神分析する』 水島広子著 朝日選書

    ここでお話した、「市民派議員(リベラル議員)」の、
    行動パターンについて、つぎのようにも、書いています。
    ========
    以前、「多様な価値観を尊重するということは、
    多様な価値観を尊重しないという価値観も尊重するのか?」
    という禅問答のような質問をもらったことがあるが、
    リベラル議員の行動パターンはこの矛盾に陥ってしまいがちである。
    ========(54ページ)

    ========
    「多様な価値観を尊重する」社会を作ることが目的なのであって、
    多様な議員の意見を尊重することが最終目的ではないはずだ。
    多様な価値観を尊重する政策をアウトプットするためには、
    それを認めない人の声を黙殺する必要も出てくると思う。
    ========(54ページ)


    ところで、民法改正の実現を、官房長官にたのみに行ったとき、
    「お宅の党もたいへんそうじゃないの」と
    嫌味を言われた、というお話がある。(53-54ページ)
    このころ、民主党はこの造反に悩まされていたし、
    自民党は、「法務部会の実態」のような状況の最中だったのだ。

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