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民法改正運動の展開 - 2003年後半 集団妄想のなれのはて |
インターネットの市民団体(「氏名を大切にする市民の会」)の、 してきたことは、結局なんだったのでしょうか? 自分たちのやりかたが最善だと確信していたときは、 異なる方針を主張する者は、非現実的で解決にならないと、 決めつけて、攻撃や排除をしてきたのでした。 ところが、自分たちが失敗したと気がつくと、 こんどはいままでを、なかったことにしようとしました。 それを批判されるのが、都合が悪くなったので、 その追求を、非建設的だと決めつけて、排除をしたという、 無責任の典型的なパターンだったと言えます。 こうもうしてはなんですが、この市民団体の残した成果は、 まったくないと言ってもいいでしょう。 多少は世論の喚起に、役立ったのかもしれないですが、 自民党の推進派議員の前で、騒いでいただけと言った感じです。 彼女たちは、反対論者たちに、よく思われようとして、 「北風と太陽」の寓話を信じて、不当な過剰擁護をしてきました。 そのため、反対論者たちを、かえってはげまし、 自信を持たせることになりました。 また、もともとの仲間内で、反対論者たちが「極端な人たち」と、 見なす人たちを、「反対派の理解が得られない原因」と、 決めつけて、攻撃や排除をしてきました。 このため、推進派が分断されて、運動全体の弱体化をもたらしました。 相手の分断をさそうのは、体制側のいちばんの得策ですが、 推進派がみずから、分断されてくれるのですから、 反対論者たちにとって、こんなに都合のいいことはないでしょう。 反対論者にとって、自民党の法務部会は、言ってみれば、 民法改正法案の成立阻止の、最後のとりでです。 そんな反対派たちは、政権交代を、もっとも恐れることになります。 ところがこれも、推進派が率先して、政権交代に否定的になったので、 これまた反対論者にとって、とてもありがたいことになりました。 ようするに、彼女たちの活動は、民法改正の実現に、 役に立たないどころか、反対論者の利益のために働いてきたと、 言ってもいくらいで、マイナスですらあったと思います。 |
失敗に終わったとはいえ、彼女たち市民団体の存在が、 「別姓を望む人たち」の、はげみになったなら、 それでもよいではないかと考えるかたも、いるかもしれないです。 思考停止したビリーバーはいざしらず、 ほかの人たちにとっては、必ずしもそうでもないようです。 「必ず実現するから、自民党にお願いしなさい」と メンバーをしかりとばして、無茶な活動を続けてきたため、 失敗したと気がついたときの落胆は大きく、 関係者たちは、すっかり疲弊してしまいました。 とくに、掲示板の衰退は、いちじるしいものがあります。 自民党や反対論者に、批判的な意見を押さえ込んだために、 不健全になってきたところへ、アクティブなメンバーの、 失敗と向き合いたくないやましさが加わって、 活発に会話する雰囲気が、しだいになくなっていきました。 インターネットのコミュニティの消滅ですが、 おそらく、これが最大の損失だろうと、わたしは思います。 (わたしが、真正面から批判を続けなければ、 低調ながらも続いていたのでは、という気もするが...) ほかにも、「夫婦別姓選択制実現協議会」という、 市民団体があるのですが、氏名の会の代表世話人が、 方針に強い影響を与えたため、その後もずっと、 「自民党政権下では、自民党にお願いするしかない」 というドグマから、抜けだせないでいます。 「氏名の会」の活動は、自分たちのみならず、よその団体にも、 のちのちまでの、深刻な影響を残したことになります。 「氏名の会」のように、自分たちは絶対正しいのだと、 選民意識に酔いしれると、どうやっても、ろくなことをしないようです。 しょせん、退廃思想がもたらすものは、 混沌とした作物だけであるという、ひとつの典型でしょう。 ところで、「氏名の会の、一部のメンバーだけが悪いのであり、 ほかの人たちは、しかたなしに同調しただけだった」という意見を、 市民団体に批判的な賛成派の中から、聞くこともあります。 しかしこれは、正当な評価ではないと、わたしは思います。 わたしが見たかぎり、アクティブな掲示板参加者は、 みんな積極的に協力していた感じです。 それ以外のかたたちも、たとえば、掲示板で、 どんなに汚いことがなされても、批判するものがいないことは、 強引なやりかたをやりやすくしたことは、まちがいないでしょう。 一部のメンバーたちは、たしかに強引で独善的でした。 しかし、それは、それ以外の人たちの黙認や賛同、 あるいは支持、協力があったから、可能だったのだと思います。 |
集団妄想のなれのはて
インターネットの市民団体は、集団妄想(集団ヒステリー)に、 陥っていたのではないかと、わたしは考えています。 「集団妄想」とは、ありえそうにない超自然的な現象が起きたと、 一定の集団の人たちが、同時に確信する群集心理です。 現象の理解には、根拠のない説明がなされるのですが、 集団の構成員にとっては、偏見や思い込みを反映していて、 わかりやすいものとなっています。 人間というのは、不安などから、強いストレスにさらされ続けると、 そこからの脱出のために、「わかりやすい説明」を求めやすくなり、 こうした妄想に、おちいりやすくなるもののようです。 また、カリスマ的人物現われると、それを信奉する人たちが 追随するようになり、集団妄想が強化されやすくなります。 2001-02年ごろは、自民党の推進派議員の動きがさかんで、 民法改正が実現するかもという雰囲気が、高揚していました。 長いあいだ、法改正が実現しない状況で、 関係者たちは、ストレスにさらされていたのでしょう、 「いつまでも実現しないのは、自分たちが積極的に要求しないからだ」 のような、「わかりやすい説明」がなされ、 「自民党の反対派議員が、想像を絶する抵抗を続けている」 という現実は、無視されました。 そこへ、「氏名の会」の代表世話人のような、 求心力を持った人物が現われました。 代表世話人のかたの、マインドコントロールはかなり強く、 カリスマとそれを信奉する人たちという(ことばは悪いですが)、 集団妄想の典型的なパターンへと、進んでいったのでした。 この市民団体は、自分たちのやりかたで実現するという 自負がとても強く、反対する人たちに対して排他的、攻撃的で、 内外の関係者たちに、さまざまな悲劇をもたらしました。 自分たちを絶対の正義と考え、反対するものを排撃する態度は、 集団妄想に陥った人たちに、まさに典型的です。 どこかで現実の壁に突き当たると、妄想から覚めていくのですが、 2003年の法務部会の茶番劇が、市民活動家たちを、 現実の世界に引き戻させる、その契機となったようです。 現実に帰ると、それまでに、自分たちが引き起こした惨劇は、 なかったことにして、無視黙殺を決め込むのが相場ですが、 市民団体の人たちも、まさにそうしたのでした。 掲示板などで、政治の話題が出てきても、あたかもはじめから、 そんなことはしていないと言わんばかりに、 自分には関係ないことにして、極力避けるようになりましたよ。 まだ、妄想から覚めきっていないのか、 なんとかしたいと思っているメンバーも、いたことはいました。 しかし全体としては、「フェードアウト」していくことになります。 |
参考文献、資料
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