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民法改正運動の展開 - 2003年
自負の強い人たちだもの
市民団体の反応

インターネットの市民団体の反応(1)
2003年の法務部会の、あっけない終末によって、
「03年の通常国会でじっくり審議する」ということばを信じて、
自分たちの「声」が届いて、いよいよ審議されると思った
市民団体の人たちは、すっかり期待がはずれたことになりました。

「民主主義のルールとして、国会という開かれた場所で
法案が審議されることを、強く希望する。
国会で否決されたら、選択別姓は、日本では、
いまだ受け入れられないとして、それを容認する。」
というのが、代表世話人のスタンスだったのでした。

ところが、法案の成立はおろか、国会での審議さえ実現しなかったのです。
このログで、そのあたりについて、
代表世話人のかたが批判しているのを、ご覧になれます。
「載せて欲しかったニュース;夫婦別姓」
(こんなところで、批判するのも結構ですが、
自分たちが失敗したことを、わたしの前で認めるくらいのことは、
してほしいところです。)


ほかのメンバーのあいだでは、どんな反応があったかは、
このログで見ることができます。
ひとりの「ビリーバー」が、自信をなくしたらしく、
「強固な反対議員にいくら夫婦別姓への
切実な願いを訴えても無駄なんでしょうか?
だんだんむなしくなってきています。」と言ってきました。[715]

それで、代表世話人のかたが、
「相当強硬な反対派議員の中にも、国会で審議することに、
同意してくれる人はいる。」という、
いつもどおりのことを、言ったのでした。[718]

そこで、わたしは、いままでの持論に加えて、
「莫大な労力を注いで得るものがないと、
疲労してしまい、運動自体が消滅するおそれがある。」
「よく思われようとして、自民党に批判的な意見まで抑え込んでいると、
現政権の延命のもとになって、かえって有害だ。」
というところまで、思いきって、言ってみました。[729]

しかし、この期におよんでも、そんな意見に聞く耳はないようです。
いままでとおんなじ主張を、長ながと繰り返し、[730][732]、
ほかの人も、それに無批判に賛同する、という始末です。[734]

インターネットの市民団体の反応(2)
とはいえ、こんどは、いくばくかの反論も現れました。
はじめに、「たんぽぽの考えは、手法がちがうだけで、
ひとつの答えではないか?」という反論がありました。[731]
しかし、市民団体のかたのお答えは、
「それは、手法を示されたことになっていない」と、
いつもどおりのものでした。[733]

もうひとつ、「内心では選択別姓に反対だが、
票のために、表向き賛成しているだけの議員も多い。
そんな人たちが、公約していても、守るかどうかとてもあやしい。」という、
彼女たちの信念の、核心にかかわる指摘だったのでした。[735]
さらに、「市民運動が、肝心の反対派とまともに対峙したことは、
ほとんどなく、運動内部での対立のほうが激しい」とも、
付け加えられていました。

くだんの市民団体の人たちは、理解を得るためには、
批判するべきでないと言って、反対派をやさしく擁護し、
賛成派の中で意見の異なるものには、実用的でないと決めつけて、
排他的な態度を取ってきたのですから、
期せずして、いままでの事実を、ずばり言われたことになります。

これにも、反論できなかったのか、市民団体のかたは、
「それなら、有効な手法をしめして、自分たちを導いてください」と、
これまたいつも通りの、交換条件を出してきたのです。[736]


反対派の抵抗は、自分たちが、誠意を込めて伝え続ければ、
なんとかなると信じている(信じたい?)人たちから見れば、
「頑迷すぎてどうにもならない」と思うのは、
いっさいを「あきらめた」のであり、「なにもしていない」にしか
どうやっても、見えないもののようです。

そして、自分たちは、政治意識が高く、活動的なのだから、
有効な手法なら、自分たちが納得できるはずだし、
また、自分たちが納得できなければ、それは有効な手法ではなく、
なにも提示されていないに等しくなるのでしょう。
(これくらいは、言ってあげたけど。[739])

はじめに出てきた悩める「ビリーバー」も、
「別姓の必要性を伝えれば、頑迷な反対派でもかならず理解するはずです。」
という「耳障りのいいことば」を聞いて、納得して、
自信を取り戻したかっただけなのかもしれないです。
異論など、はじめから聞くつもりは、なかったのでしょう。

自負の強い人たちだもの...

老舗の市民団体の反応
いつも、インターネットの市民団体のことばかり、
お話していますが、今回は老舗の市民団体についても、
すこしだけですが、情報があるので、触れておきたいと思います。

このログで、そのときのようすを見ることができます。
こんな動きもあったと、例の直談判の記事(ウェブ版)を
紹介していたので、そのあっけない結末(佐々木議員のページ)を、
わたしがお話してあげたのでした。

すると、「論理も何もなし、ただの感情論だ」を取り上げて、
「感情」に「論」がつくのは、「静かな騒音」と同じナンセンスだ、
などと言ってきたのでした。
そのように単語に反応するのでしたら、「論理も何もなし、ただの感情だ」
にしておけば、よいのでしょうか?
(自分でも、「揚げ足取りだ」と、言ってはいますが。)

「オレの目の黒いうちは」発言についても、
それは、論理ではなく願望だ、などと免責しているのです。
法務部会という議論の場で、反対理由として述べていると思うし、
当人にとっては、論理のつもりだと思うのですが。


このかたは、反対派の別姓に対する認識が、
いまのようになったのは、左翼や、フェミニストが、
ふっかけた議論のせいだと信じているようです。
それで、彼らは、頑迷きわまりなくなって、
選択別姓の実現が遠のき続けるのだと、思っているみたいなのです。

そのためか、別姓を望む人たちが、堅実な生活を営みつつ、
両親や子供への配慮も欠かさないことを話し合えば、
反対派たちも理解するはず、という、わたしに言わせれば、
とうてい信じがたい反対派認識を、お持ちのようなのです。

それで、自民党推進派は、サヨクやフェミとちがって、
別姓の必要性をふまえた、まとも主張をするから、
(「佐々木氏の主張自体はそう間違ってないので」と、認めている。)
反対派が理解するのは、時間の問題だろう、
くらいに思っていたんだろうと思います。

そこへ、わたしが、自民党主導になっても、ぜんぜんだめですよ、
ということをお話したからでしょう。
「『フェ理屈』をゴリゴリと相手に押しつけようとしているだけのこと」
「終わりません。始まるのです。フェ理屈が滅んだ後に」
などなど、お得意の(?)「フェミニズム陰謀論」で、
お茶をにごしたのかもしれないです。

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