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民法改正運動の展開 - 2006年
郵政造反議員、自民に復党

造反議員復党 西川京子のなみだ

郵政造反議員の復党(1)
安倍内閣が発足してしばらくすると、郵政民営化に反対して、
コイズミから自民党を追い出された、いわゆる「造反議員」を、
復党させようとする動きが、高まってきました。
「造反議員」は、無所属で当選したうち、
国民新党や、新党日本に入らなかった、12人です。
これらの議員たちも、全員集まって、新しい党を作ろうとはしたようですが、
政策などで一致できず、断念したのでした。

あえて復党させるのは、07年に控えた、統一地方選や参議院選対策でしょう。
自民党の公認を受けず、自力で当選した議員たちですから、
それだけ強力な支持基盤を、持っていることになります。
彼らの基盤を、きたるべき選挙に自民党の基盤として、
利用したいのは、とくに選挙に弱いという定評のある、
安倍首相にとっては、なおさらのことでした。

この時期に議論が高まったのは、政党助成金が、
ほしかったので、復党を急ぎたかったからです。
これは、得票数と獲得議席に応じて、配分される予算ですが、
年内に党員になっていないと、受け取れないからです。

復党問題を取り仕切ったのは、中川秀直幹事長でした。
郵政民営化をはじめ、自民党の政権公約を遵守することを条件とし、
さらに復党の直前に、誓約書を書かせることもしていました。
復党反対の急先鋒は、中川昭一政調会長だったので、
「どうせ最後は復党させる、ふたりの中川の茶番劇だ」と、
口の悪い人は言ったりもしていました。


そういうしだいで、12月4日に、誓約書の提出を拒んだ、
平沼赳夫議員を除く11人が、晴れて自民党に復帰することに決まりました。
復党した議員も、相当にうれしかったようです。
安倍首相を、命の恩人と礼讃したり、郵政民営化に、
じつははじめから本気で、反対していなかったと言い出したり、
こちらも無節操さをあらわにしていました。

政党組織に属さないのは、活動も制限があるでしょうし、
孤立するので、なにかと不安もあるでしょう。
また党の支持基盤からも切り離されるので、選挙の心配もあるでしょう。
それから、党籍のない無所属の議員は、企業献金が受けられないので、
こうした台所事情の都合もあったのでした。

郵政造反議員の復党(2)
「刺客」として送り込まれた議員は、この復党に、
まっこうから反対したことは、もちろんのことです。
「刺客」と「造反」とで、選挙区が重なることもありますし、
どちらが、つぎの選挙で党の公認を取るかで、死活問題にもなるからです。

西川京子議員(「家裁認可制」を提唱した、反対派のひとりです)も、
その一員で、派閥の総会で、「私たちは党の命令で、党のために戦った。
『刺客』という偏見的なことは言わないでほしい」と、
なみだしながら反論したこともありました。

郵政選挙では、「みかん箱の資格」とも言われて、
その当選は、政敵ながらも、その英雄ぶりに感心していたので、
この扱われかたは、いささか意外に思いましたよ。
どんなやりとりがあったのか、くわしい事情がわからないので、
なんとも言えないですが、「刺客」と「造反」とのあいだで、
熾烈な対立があったことは、たしかそうです。


もっと深刻だったのは、「コイズミ・チルドレン」です。
彼らも当然ながら、真正面から復党に反対したのですが、
新しい議連を作るも、分裂したあげく、2日で消滅させるなど、
効果的な抵抗は、まったくできなかったのでした。
むやみに執行部に逆らうと、かえって公認がもらえなくなる、
ということに、彼らが恐れたのも大きかったようです。

やはり、彼らはコイズミあっての存在であり、安倍内閣のもとで、
後ろ楯をなくして、党内の発言力が低下していたようです。
ちなみに、コイズミは、「彼らは降参の白旗を挙げて、
民営化に賛成したんだから、もういいじゃないか」と、
チルドレンを説得していましたよ。


歴代第4位の、高い支持率から出発した安倍政権は、
この造反議員を復党させたあたりから、じわじわと下がりはじめました。
いかんせん、選挙目当てというのが、見え透いていましたし、
「票の二重取り」と、世論でも批判が強かったのでした。
中川幹事長は、これだけきびしい条件をつければ、
内閣支持率は50%を割らないと、自分の措置に自信があったようですが、
つぎの世論調査では、50%以下にまで下がってしまいました。

それでも、郵政民営化賛成に転向したから、というのは、
復党の理由としては、いちおう筋が通っていますし、
中川幹事長のつけた条件は、違反したときの、
議員辞職などもあって、決して緩やかなものではないです。
国民とじゅうぶん向き合って、納得の行くまで時間をかけて議論をしたら、
それなりの支持は取り付けられたのでは、とも思います。

ところが、政党助成金が欲しかったので、ことを急いでしまったわけです。
国民の同意を取り付けず、自分たちの都合だけで決めてしまう、
安倍内閣の体質が現れたとも言えるかもしれないです。

野田聖子議員、自民に復党する
長いあいだ自民党で、選択別姓推進の中心的役割りを果たしてきた、
野田聖子議員も、造反議員の一員でしたが、
(というか、造反議員の中でも、とりわけ話題性があったのですが)
この機会に、めでたく復党が決まりました。
「自民党は優秀な法案作成マシン」とか、そんなことを言うくらい、
愛党心の強いかたですし、ほかの復党議員にも増して、
よろこんでいたことは、想像にがたくないでしょう。

そういう調子ですから、このころ審議が進められていた、
教育基本法の「改悪」も、ほかの造反議員10人とともに、
野田議員もあっさりと賛成していました。
復党の条件だから、とうぜんとはいえ、
これからは党の方針には、逆らいにくくなるでしょう。

民法改正は、自民党の公約にはないので、復党の条件には含まれないですが、
バックラッシュ閣僚でがっちり堅められた、安倍政権ですから、
野田が党内で活動することが、快く思われないかもしれないです。
今後なんらかの制限がかかることも、もしかするとありえるでしょう。

そういうしだいなので、復党したところで、自民党での、
民法改正の進捗は、あまり期待できないことが、強く予想されます。
そんなことよりも、当面は党内での保身のほうが、
野田聖子議員にとって、大事ではないかと思われます。
これをご覧のみなさんも、野田を含めた復党議員の無節操ぶりに、
あきれたかたも、いらっしゃるのではないかと思います。
わたしも、「もういいよ、野田聖子なんて...」と、思ってしまいましたよ。


ところがです。
自民党重視の選択別姓の市民団体、「実現協議会」の、
メンバーの受け止めかたは、まったくちがいました。
野田聖子議員の自民党への復党を、心から歓迎していたのです。

自民党政権であるかぎり、自民党が賛成しないと法案提出できないと、
信じて疑わない人たちですから、野田聖子という熱心な議員さんが、
自民党に戻って来たことで、ふたたび選択別姓法案が
実現する可能性が出てきた、という理由なのは、もうおわかりでしょうね。
もっとも、「実現協議会」は、野田聖子議員を、
顧問にしているので、それもあるのだとは思いますが。

政権交代に、みずから否定的になり、国民の批判の強い、
郵政造反議員の復党に、諸手を上げて賛成している
「別姓を望む人たち」は、政治の刷新を望む、多くの国民たちの眼には、
いったいどのように映るでしょうか?

佐藤ゆかり議員、復党に警戒する
野田聖子の復党によって、立場が悪くなるのが、これまたチルドレンの中でも、
とりわけ話題性のあった、佐藤ゆかり議員です。
野田議員は、佐藤と協力したいと、言ってはいるのですが、
佐藤議員が「にわかには信じがたい」と言って、警戒心が解けないのでした。

岐阜の支持基盤も、野田派が多く、秘書も野田寄りで、
佐藤は、守秘義務誓約書へのサインを、秘書にさせたり、
あるいは、何人もの秘書にやめられたりして、
自分の基盤を維持することに苦労していたので、無理もないとも言えます。
野田と佐藤のふたりは、このあともずっと、
仲がぎくしゃくしたまま、過ぎていくことになります。

ここへきて、なにを思ったのか、佐藤ゆかり議員は、
選択別姓法案への反対を、声高だかとやるようになりました。
もともと反対寄りだったのですが、きゅうにお盛んになったのは、
やはり、野田聖子議員への対抗を、意識したのでしょう。
ほかにも、自民党の支持層にアピールして、
確実に支持を堅めたくなったのも、あるのかもしれないです。


わたし、たんぽぽの希望を言えば、つぎの衆院選の岐阜1区は、
民主党には、民法改正に熱心な候補者を、立ててほしいと思います。
政策内容はもちろんですが、容姿のほうでも、
野田と佐藤の両方に対抗できる、女性がいいでしょうね。
そして、「民法改正は、自民党政権下では、絶対実現しません」と、
「自民党法務部会の実態」を、アピールしていただきます。
ようするに、野田と佐藤の共倒れをねらう、というわけです。

そうした場合、どうなるかの、わたしの予想ですが、
野田聖子は、基盤が堅いですから、それでもじゅうぶん当選しそうです。
佐藤ゆかりは、基盤が不安定ゆえに、当選が難しくなりそうです。
(もともと、選択別姓に反対する議員は、そうでない議員より、
落選傾向が強いので、それだけで、じゅうぶん危ない気がしますが。)
民主党の候補は、比例復活で残れば御の字、というところでしょうか。


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