トップページ民法改正運動の展開

民法改正運動の展開 - 2004年
高市早苗氏が結婚(2)

この議論のログ

ウェブログの反響(1)
選択別姓反対の急先鋒だった、高市早苗氏が結婚して、
今後は、旧姓を通称として使うというので、民法改正、夫婦別姓に
関心のある人たちでも、もちろんのこと話題になりました。
つぎにご紹介のように、いくつかのブログでも記事になっています。

論調としては、「選択別姓に反対していたのだから、
通称使用をするのもおかしい」というものがあります。
前にも書きましたが、対外的にも夫婦同姓がいいから、
通称を使うのはいやだと言って、夫氏と口論するくらいですから、
通称使用であっても、夫婦別姓のうちと思っている気もしてきます。
http://memrandum-coup.at.webry.info/200409/article_10.html
http://plaza.rakuten.co.jp/geinou/diary/200409230000/


これに対して、「通称使用でじゅうぶんと言ってきたのだから、
自分が通称を使うのはとうぜん」という意見があります。
この場合、通称を使うのを渋るほうが、納得いかないということになります。
http://ohisamablog.seesaa.net/article/757968.html

わたしも、「便利になればいいなと思って法案を書いただけ」
「自らを実験台にして」という言いかたに、ひっかかります。
「法案内容に追加すべき点を探せって言うの?」とも反駁していて、
法案を改良することも、興味がないみたいです。
しょせんこのかたにとって、通称使用でも、非改姓結婚をするかたは、
「他人ごと」であり、「お前たちのためにしてやっている」
という感覚なのかもしれないです。

また、通称を使う場合、「国会議員は、通称が使いやすいので
かえってずるい」という意見もあるようです。
自分の活動をもって、「やっぱり、通称使用でじゅうぶんなんだ」
なんて納得されると、かえってやっかいだな、という気もします。

いずれにしても、いかなる選択をしても、高市早苗氏は、
だれかからうらまれ、なんらかの批判されることになりそうです。
いままでずっと、選択別姓に反対してきて、
日本中の別姓夫婦のしあわせを、踏み付けてきたのですから、
これはこれで無理もないことかもしれないです。


それから、ときどき高市早苗氏への批判をこめて、
「山本早苗」と書くかたがときどきいらっしゃります。
結婚しても旧姓を通称として使っているかたに、
婚氏で呼ぶのは、一般にハラスメントになるので、
いやがらせの含みも込めて、このように書くのでしょう。

しかし、前のコンテンツでお話したように、
ご本人は、山本姓を名乗りたかったのでした。
「山本早苗」と書いても、嫌がらせにならないどころか、
かえって喜ばせてしまいそうで、逆効果かもしれないですよ。

ウェブログの反響(2)
つぎのエントリは、もっと立ち入った分析をしています。
選択別姓に反対するよくある理由である、「家族の一体感」や
少子化対策に、本当に役に立つのかということです。
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2004/09/post_27.html

通称を使用するとなると、公私のさまざまな場面で、
ふたつの名前を使いわけることになります。
通称を使う範囲を、どこまでにするかにもよりますが、
家庭でも使いわけをするとなると、いっしょにくらしている、
配偶者や、親や子どもまで、ふたつの名前を使うことになります。

より具体的には、たとえば、電話の応対などで、
「高市さんのお宅ですか」と「山本さんのお宅ですか」の両方に
家族全員が、お返事できるようにする必要がある、ということです。
家族が同姓であることで、家族の一体感を実感しようというのなら、
通称使用は最悪の選択だろうと、エントリ作者は結論しています。

さらに、「妻が夫の姓をなのらないのはケシカラン」と
言い出す人間が、親戚や選挙区の支持者にいるとして、
こんな人には、「戸籍は同姓ですよ」と言って、
前の記事で紹介した、山本拓氏の言う理由を述べても、
効き目がないだろうともしています。
こうした人たちは、子どもが犠牲になっていると言いがちであり、
彼らの存在も、家族の一体感のさまたげになるだろうとしています。


少子化対策は、9月22日の時事通信の記事によると、
山本拓議員が、インタビューで、記者に照れながら答えたとのことです。
「少子化問題調査会」や「男女共同参画推進協議会副会長」
といった役職に、山本拓氏はついているので、
この方面にも関心があるのでしょう。

山本議員は福井、高市氏は奈良で、選挙区は離れています。
当分は別居で、それぞれが政治活動に励むのだそうです。
家族の一体感が大事と言いながら、新婚早々から別居というのも、
矛盾しているような、皮肉にもなっているような感じです。

その後の高市早苗氏ご本人ですが、「検討中」だった通称使用は、
いつのまにか、本格的に行なうようになっていきます。
公式サイトを見ても、名前は「高市」のまま、
「山本」に書き直される気配は、どこにもないようです。
ずっとくだって、2005年9月の郵政選挙で、公認候補となるのですが、
このときもしっかり「高市」姓で出馬です。

高市早苗を擁護する市民活動家(1)
インターネットの選択別姓の市民団体のかたたち
(といっても、以前の関係者が、そのまま掲示板に残って
会話しているだけという感じですが。)のあいだでも、
高市早苗の結婚のことは、話題になったのでした。

「高市姓で政治活動したら、自分は選択別姓に反対していたのに
旧姓を使うのか?と、抗議されるにちがいない」と、
投稿したかたが、はじめにいらしゃったのでした。[418]
これに対して、「高市氏は、通称使用を法制化しよう、
というのだから、通称を使うことは矛盾していない」という
反論があって[420][421]、議論になったのでした。

前のページでも紹介しましたが、高市早苗氏のところに、
「選択別姓に反対なのに、旧姓を通称として使うのはおかしい」という
抗議が来た事実はありますし、それゆえに活動日誌で釈明をしたのでした。
[418]の投稿にある、「批判が殺到した」というのは、
(「殺到」かはわからないですが)まちがっていないですよ。
========
記事を見て誤解された方から「国会議員時代に
夫婦別姓を実現する民法改正案に反対していたくせに、
自分は夫婦別姓を選択するとはけしからん」
というお叱りのメールをいただいて、大変迷惑しています。
========


反対論者とおぼしきかたが出て来て、「高市が通称を使うのは、
自分の主張を実践しているだけだ」と、尾に足してきました。[421]
それで論点は、「国会議員は通称が使いやすいので不公平だ」に対して、
「高市が通称を使うのは、矛盾がない」になりました。
ところが、高市批判派は、論に無理がありましたし、
感情的反発が浮き彫りになったこともあって、
比較的筋の通っていた、高市擁護派が優勢となりました。

高市に対する批判として、ご自分は選択別姓に反対しておいて、
自分は国会議員という、通称を使いやすい立場で、
通称使用をすることに、不公平を感じるかたは多いでしょう。
有名人なので影響力があるし、「通称使用でじゅうぶん」と言う、
反対派の広告塔のようになるのではと、懸念する意見もありました。

しかし、こうした意見はあまり顧みられず、
人数が多かったこともあって、「高市の通称使用に矛盾がない」
というかたたちのほうが、ずっと優位になっていきました。
最後のほうで、「高市擁護派は、『正論』や『諸君』の読み過ぎだ」なんて、
あまり本筋と関係ない意見まで、出てきたこともあって、
高市擁護派が、なおさら有利になってしまった感じです。

高市早苗を擁護する市民活動家(2)
それにしても、へきえきするのは、市民活動家たちが、
高市早苗を擁護するために、全力をあげているところです。
過去にも卑怯なやりかたで、反対派をかばいましたが(参照1)(参照2)、
今回のように、賛成派のお仲間の論に無理があると、
正々堂々と反対派擁護ができるので、いつになく攻撃的なのでしょう。

このときは、わたしは、この掲示板はアクセス禁止でした。
「じゃま立てするいやなやつが、出て来なくなった」というので、
安心して反対派の擁護ができたのも、あるのかもしれないです。


代表世話人のかたが、「たとえ反対派に対してであれ
『事実誤認に基づく批判』はすべきでないと考えているだけです。
なぜなら、それは、民主主義社会においてアンフェアなこと」
などと、きれいごとを吐いていらっしゃります。[454]

わたしは、このかたに、言ってもいないことを、言ったことにされて、
打ち負かされた(されかけた)ことが、何度もありました。
彼女にとっての「実務的」「民主的」とは、反対派に対しては、
フェアでのぞむ必要があるが、賛成派に対しては、気に入らなければ
アンフェアでもかまわない、ということのようです。

もっと強烈と思ったのは、管理者が出て来て、「高市早苗の批判を
気楽にやっていいところではない」などと言ったことです。
========
この掲示板なら高市早苗のことを気軽に批判してよい、
というのは間違いですので、誤解のないようにお願いします。
========[428]

わたしは、賛成派でしたが、都合が悪いというので、
このかたに、アクセス禁止にされて、排除されたのでした。
この市民団体の人たちは、選択別姓の実現を標榜していながら、
本当は反対派の批判を封じ、反対派の利益を守りたいのだ、
ということを、あらためて表明したのかもしれないです。


これとべつに、気になるのは、高市早苗の活動日誌『大和の国から』が、
紹介されているのに([438])、だれもそれを読んで検討しないことです。
ご覧になったかたが、ひとりだけいたのですが([439])、
ほかの掲示板参加者からは、相手にされずに流されています。

ごちゃごちゃ議論していないで、せっかく資料が提示されているのだから、
それを見ればいいのにと、わたしなら思うところです。
そうではなくて、原資料に当たらないで、その場でやりこめて、
自分たちが正しいという雰囲気を作るのが、この市民活動家たちの、
あいかわらずの「議論」のやりかたのようです。

参考文献、資料

「民法改正運動の展開」にもどる
トップにもどる


inserted by FC2 system