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民法改正運動の展開 - 2006年 高市早苗さんに期待する?(1) 高市早苗に期待? |
ほかの安倍内閣のメンバーを見てもそうですが、 男女共同参画相が、あの高市早苗議員になったので、 民法改正の実現は、とても絶望と思ったかたもいると思います。 『AERA』06年11月13日号の記事『夫婦別姓は死んだ』でも、 「別姓ブロックシフト」ありますし、そう思ったかたは多いのでしょう。 ところが、なにを思ったか、その高市早苗議員に、 選択別姓実現の期待を寄せるかたが、いらっしゃるのです。 どうやら、高市早苗氏が、旧姓を通称で使っているのは、 選択別姓反対から、賛成に転向したからだ (あるいは、もうすこしで転向しそうだ?)と、思っているようです。 「高市早苗さんに期待する」 http://plaza.rakuten.co.jp/isanotiratira/diary/200609280000/ ======== さて、私の記憶では、高市さんは夫婦別姓には反対だったはずですよね。 ところがご自身は結婚されてもなお高市氏でご活躍されておられる。 別に揚げ足取りをしているのではありません。 ましてやイデオロギー闘争をしかけているわけでもありません。 別姓、あるいは旧姓使用を国会議員の「特権」から 普通の「権利」にして欲しいだけです。 結婚改姓を不便に感じるのは国会議員だけではないのです。 ======== 『isaの同時代フィールド・ノート』というブログで、 作者は諫山陽太郎氏(『<別姓>から問う<家族>』の著者)です。 20年近く前から続いている、民法改正実現をめざす市民団体、 「結婚改姓を考える会」を主催しております。 活動歴の浅いかたが言うならいざしらず、 これくらいキャリアのあるかたが言っているのが、すごいですね。 前にお話したように、高市早苗議員が、旧姓を通称使用しているのは、 「通称法案のために、自分を実験台にしろ」と、 夫君に言われたので、不本意にそうしているからでした。 自分が改姓して同姓になるほうが、本当はよかった気持ちや、 民法改正大反対のお考えは、ぜんぜん変わっていないのでした。 諫山陽太郎氏は、活動歴が長いと言っても、民法改正運動が、 下火になってひさしいので、それほどていねいに 情報を追うことは、しなくなっていたのかもしれないです。 高市早苗氏が結婚した事情も、よく知らなかったのでしょう。 彼女が通称使用をしているというので、どなたかお話のわかる人が説得したから、 選択別姓の必要性を理解したのではと、漠然と思ったのでしょう。 |
諫山陽太郎氏は、別姓反対派が頑迷きわまりないのは、 いわゆる「サヨク」や「フェミ」がしかけた、 「揚げ足取り」や「イデオロギー闘争」のせいで、 別姓に対する偏った理解になったからだと、思っているようです。 そんなことを、ご自分の掲示板に投稿することもありますし、 2003年の法務部会のときも、そうしたことを言っていました。 わたしが知っている議論は、最初は推進側は、 いま必要とされていることを、解決する手段について、語っていたのですが、 反対派がそれをまったく聞き入れず、一方的に「揚げ足取り」をしたり、 「イデオロギー論」と決めつけて、紛糾させたにほからなないです。 反対論者というのは、「はじめに結論ありき」で、 もとから頑迷きわまりないのであり、だれかのせいで、 そうなったのではないのだと思います。 諫山陽太郎氏がかかわった議論も、本質的におなじものと思われます。 反対論者のしかけたペースに乗せられた推進派側が、 戦略的に失敗だったという、批判の余地はあると思います。 しかし、不毛な議論をさきに仕掛けたのは、 上に述べたことから考えて、反対論者のほうでしょう。 「自分ならもっとうまく議論できる」という幻想は、 それだけ強いと言ってしまえば、それまでかもしれないです。 それでも、不毛な議論をさきにしかけたのが、推進派に見えたのなら、 リテラシー能力を疑ったほうがいいかもしれないです。 諫山陽太郎氏は、そうした不毛な議論の主導権を取ったのが 「フェミ」だから、反対論者はいわゆる「フェミ」ばかり攻撃して 一般の人の必要性を聞かなくなった、などと信じているようです。 運動の性質上、近くにはフェミニズムにかかわるかたや、 それに近いかたも実際にいたので、そう見えたのもあるのでしょう。 実際、諫山陽太郎氏は、リンクした掲示板の投稿だけでも、 「フェ理屈」とか、「フェミニストや某党党首のようなパー」とか、 書いていますし、それ以外のところでも、あちこちで、 「フェミ」に対するうらみつらみを、書いているようです。 しかし、反対論者というのは、民法改正運動は、 もともとから「フェミ」の陰謀だと信じている人たちです。 最初から、民法改正を主張するものは、「フェミ」と決めつけていて、 そんな彼らと議論で対峙したから、「フェミ」になったのもあるのでしょう。 したがって、いわゆる「フェミ」を、議論の主導権からはずしても、 新しく議論の矢面に立ったかたが、「フェミ」に認定されるだけで、 なんの解決にもならないのだと思います。 |
参考文献、資料
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