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林道義氏の進化論(1)
父性が遺伝する?
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林道義氏という、ユング心理学の研究者がいらっしゃります。
『父性の復権』という本で、一躍有名になった人物です。
本のはじめに、「父が父でなくなっている」と書いていますが、
現代社会の家庭問題は、父性が欠如したためだと考えているのです。

この林先生、若者の無気力や無秩序、自己中心的傾向といった、
現代社会の家庭「問題」は、健全な「父性」や「母性」を
取り戻すことで解決するのだ、などと主張しています。
そして、健全な父性や母性に対して破壊的だと言って、
フェミニズムや、男女共同参画を攻撃し、
さまざまなジェンダー平等政策も、反対を唱えています。
それで、バックラッシュの急先鋒となって、人気を博してもいます。

この『父性の復権』は、かなり売れた本でした。
父親の影響力なるものの低下に、悩んでいる人や、
「父の役割」とか「父の権威」といったものに対して、
お墨付きがほしい人たちは、かなり多かったのでしょう。
あるいは、こういったことが、現代の学校教育や家庭教育の
諸問題の解決策として、効果的と信じられているとも言えそうです。


ところで、その林センセイ、本の中で、「父性」とは、
社会的ないし文化的に作られたものではなく、遺伝するものあり、
生物学的な基盤がある、などと言っているのです。
========
人類の父性は決して人類史の中の比較的新しい
文化的な発明品などではなく、類人猿の時代にまでさかのぼる
遺伝子的な根拠を持っているということができる。
========(22ページ)

その遺伝のしかたですが、林道義氏はこう言うのです。
========
おそらく初期人類は、このチンパンジーやボノボの、
オス同士の敵対関係を和らげ協力を可能にするという性質を
遺伝子の中に取り込み、それとゴリラなどの父性とを
結合することに成功したのであろう。
========(21ページ)

「性質を遺伝子の中に取り込み」とは、いったいどうやるのでしょう?
この前には、もちろん、ゴリラの父性行動や
チンパンジーの挨拶行動が紹介されているのですが、
これらは、「獲得形質」と言って、産まれてから「学習」して
身に付けた性質であって、遺伝するものではありません。


想像するに、ゴリラやチンパンジーの、父性行動や挨拶行動は、
これらの動物の社会の中で、作られたものであり、
各個体はその中で、学習して身に付けていると思われます。
ごく簡単に言えば、おそらくは、こうした学習が、
何世代もくりかえされることによって、父性行動や挨拶行動が、
大昔から伝わっているのだろうと思います。

「獲得形質が遺伝する」というのは、遺伝や進化のことが
よくわかっていなかった時代に、考えられていたことです。
遺伝や進化がどう起きるのか、そのメカニズムがわかっている現在では、
このようには考えられないことが、わかっています。

「遺伝」というのは、どうやって起きるのでしょうか?
生物の遺伝情報が書き込まれている「遺伝子」の本体は、
「DNA(デオキシリボ核酸)」と呼ばれる高分子です。
下の図のように、二重のらせんになっている分子ですよ。

この分子は、アデニン(A)、グアニン(G)、
シトシン(C)、チミン(T)という、4種類の「核酸塩基」が、
2本のらせんに橋をかけるかたちで、ずらりと並んでいます。
この4種類の塩基の並びかた(塩基配列)が、遺伝情報に当たります。

これら4つの核酸塩基は、アデニン(A)とグアニン(G)、
シトシン(C)とチミン(T)の組みで、結合を作ると決まっていて、
ほどけても、いつも前と同じ塩基の並びかたで、復元することになります。
したがってDNA分子は、材料の物質さえ与えられれば、
自分自身と同じものを複製できるので、
遺伝情報が失われることなく、数が増えていくことになります。

また、DNA分子は、生物のからだを作るもとである、
「たんぱく質」を、合成する役割もあります。
どのようなたんぱく質が作られるかは、DNA分子の塩基配列によります。
(DNA分子の塩基配列が、たんぱく質の材料である、
「アミノ酸」のうち、どれを作るかを決めている。)
生物のからだは、ほとんどたんぱく質ですから、塩基配列は、
生物のからだや形質を決める「設計図」とも言えるでしょう。


動物のからだは、たくさんの細胞からできていますが、
この中にある「染色体」に、遺伝情報を持ったDNA分子があります。
細胞が分裂してからだが大きくなると、さきにお話したように、
DNA分子も分裂して、自分自身を複製することで、
ふたつの新しい細胞に入っていくことになります。

オスとメスのつがいから、子ができる生物の場合、
生殖細胞(精子、卵)が合体することで、
親の持っていた染色体のDNA分子が、子どもに伝わることになるので、
これで親の持っていた形質が、子どもに「遺伝する」ことになります。
ようするに、DNA分子の塩基配列によって、
発現のしかたが決まる形質が、「遺伝する形質」ということです。

産まれてからは、なにを学習してどのように身に付けても、
親からもらったのち細胞分裂によって、からだ中の細胞に
含まれるようになったDNA分子の塩基配列は、変わりようがないです。
つぎの世代に伝える生殖細胞も、おなじように変化しないですから、
学習の効果が、遺伝子(DNA分子)に反映されるはずもなく、
その個体限りの形質で、遺伝するはずないことがわかるでしょう。


 

『父性の復権』を読むと、林道義氏は、「母性」は本能であり、
生物的基盤があり遺伝すると、信じていることがわかります。
(じつは、この「母性」の認識も、あやしいのですが。)
ところが、「父性」は、文化的な発明品であり、
近代の新しい時代に出てきたと、これまでは思っていたみたいです。
========
母性すなわち母であることは遺伝的本能的な基盤を
持っているのに対して、父性すなわち父であることは
後天的で文化的な産物だというのが、これまでの定説であった。
========(11ページ)
父であることは母であることに比べて、人類の歴史の中でも
たいへんに新しい産物だということになり、
ますます遺伝的基盤を持たない弱いものだということになる。
========(12ページ)

そして、林センセイ、「父性」が「母性」とくらべて
かようにも脆弱なことを、ゆゆしくも思っていたようです。
========
歴史をさかのぼればさかのぼるほど父としての男性の影は
薄くなると考えている人は多いだろう。
私にかぎらず、「父性はもろいものだ」というのが、
男たちの自嘲をこめた定説のようになっている。
========(12ページ)

そんなところへ、『家族の起源 父性の登場』という本を読んだようです。
この本では、さきにお話したように、ゴリラなど類人猿に、
父性行動が見られることが紹介されています。
それで、林センセイは、「母性だけでなく父性にも、
生物学的基盤があるにちがいない」と、
飛びついたのだろうと、わたしは憶測します。


『家族の起源 父性の登場』の著者、山極寿一氏は、
ゴリラ研究の第一人者で、ゴリラの中に入って生活することで、
その行動をていねいに観察したりもしています。
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000225_01.html

リンク先を見ると、類人猿の研究をすることで、
人間の家族の起源についても、ヒントが得られないか、
ということも動機にあったようです。
実際、現生する類人猿を観察する以外に、
人間の家族の起源を探る、有力な手段がないことが多いですし、
こうしたスタンスの研究は、一般的になされてもいます。

しかし、類人猿の研究が、手がかりにはなるにしても、
それで類人猿の家族生活が、人類に遺伝したかどうかは別問題です。
化石などに残る性質のものではないですし、
どのように受け継がれたかを探るのは、ひじょうに困難です。

リンクのサイトを見たかぎりでは、山極寿一氏は、
父性行動が遺伝するなどとは、言っていないようです。
その前に、ゴリラと人間とで、ともに受け継いでいる、
父性行動が見られたと、結論しているのでもないようです。
山極氏の本を読んで、父性行動が遺伝するとか、
ゴリラの父性行動を人間が取りこんだとか、言っているのは、
林道義氏のオリジナルではないかと思います。

参考文献、資料
  • DNA分子や、遺伝のことについて、よくわからないというかたは、
    入門的な分子生物学の本を、ご覧いただけたらと思います。
    ウェブで簡単に読めるものとしては、つぎのサイトがよいでしょう。
    かずさDNA研究所
    基礎知識編-「DNAってなに?」
    http://www.kazusa.or.jp/j/dna/dna-p.pdf
  • こだわりアカデミー
    「ゴリラの社会には、人間の社会構造の根底を探るヒントがあります。」
    http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000225_01.html
    『家族の起源 父性の登場』の著者、山極寿一氏へのインタビュー記事。
    本当は本自体を読む必要があるのだと思いますが、
    時間の都合で記事で判断させていただきます。

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