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林道義氏の進化論(1) 父性が遺伝する? [1] [2] [3] [4] [5] |
林道義氏という、ユング心理学の研究者がいらっしゃります。 『父性の復権』という本で、一躍有名になった人物です。 本のはじめに、「父が父でなくなっている」と書いていますが、 現代社会の家庭問題は、父性が欠如したためだと考えているのです。 この林先生、若者の無気力や無秩序、自己中心的傾向といった、 現代社会の家庭「問題」は、健全な「父性」や「母性」を 取り戻すことで解決するのだ、などと主張しています。 そして、健全な父性や母性に対して破壊的だと言って、 フェミニズムや、男女共同参画を攻撃し、 さまざまなジェンダー平等政策も、反対を唱えています。 それで、バックラッシュの急先鋒となって、人気を博してもいます。 この『父性の復権』は、かなり売れた本でした。 父親の影響力なるものの低下に、悩んでいる人や、 「父の役割」とか「父の権威」といったものに対して、 お墨付きがほしい人たちは、かなり多かったのでしょう。 あるいは、こういったことが、現代の学校教育や家庭教育の 諸問題の解決策として、効果的と信じられているとも言えそうです。 ところで、その林センセイ、本の中で、「父性」とは、 社会的ないし文化的に作られたものではなく、遺伝するものあり、 生物学的な基盤がある、などと言っているのです。 ======== 人類の父性は決して人類史の中の比較的新しい 文化的な発明品などではなく、類人猿の時代にまでさかのぼる 遺伝子的な根拠を持っているということができる。 ========(22ページ) その遺伝のしかたですが、林道義氏はこう言うのです。 ======== おそらく初期人類は、このチンパンジーやボノボの、 オス同士の敵対関係を和らげ協力を可能にするという性質を 遺伝子の中に取り込み、それとゴリラなどの父性とを 結合することに成功したのであろう。 ========(21ページ) 「性質を遺伝子の中に取り込み」とは、いったいどうやるのでしょう? この前には、もちろん、ゴリラの父性行動や チンパンジーの挨拶行動が紹介されているのですが、 これらは、「獲得形質」と言って、産まれてから「学習」して 身に付けた性質であって、遺伝するものではありません。 想像するに、ゴリラやチンパンジーの、父性行動や挨拶行動は、 これらの動物の社会の中で、作られたものであり、 各個体はその中で、学習して身に付けていると思われます。 ごく簡単に言えば、おそらくは、こうした学習が、 何世代もくりかえされることによって、父性行動や挨拶行動が、 大昔から伝わっているのだろうと思います。 「獲得形質が遺伝する」というのは、遺伝や進化のことが よくわかっていなかった時代に、考えられていたことです。 遺伝や進化がどう起きるのか、そのメカニズムがわかっている現在では、 このようには考えられないことが、わかっています。 |
「遺伝」というのは、どうやって起きるのでしょうか? 生物の遺伝情報が書き込まれている「遺伝子」の本体は、 「DNA(デオキシリボ核酸)」と呼ばれる高分子です。 下の図のように、二重のらせんになっている分子ですよ。 この分子は、アデニン(A)、グアニン(G)、 シトシン(C)、チミン(T)という、4種類の「核酸塩基」が、 2本のらせんに橋をかけるかたちで、ずらりと並んでいます。 この4種類の塩基の並びかた(塩基配列)が、遺伝情報に当たります。 これら4つの核酸塩基は、アデニン(A)とグアニン(G)、 シトシン(C)とチミン(T)の組みで、結合を作ると決まっていて、 ほどけても、いつも前と同じ塩基の並びかたで、復元することになります。 したがってDNA分子は、材料の物質さえ与えられれば、 自分自身と同じものを複製できるので、 遺伝情報が失われることなく、数が増えていくことになります。 また、DNA分子は、生物のからだを作るもとである、 「たんぱく質」を、合成する役割もあります。 どのようなたんぱく質が作られるかは、DNA分子の塩基配列によります。 (DNA分子の塩基配列が、たんぱく質の材料である、 「アミノ酸」のうち、どれを作るかを決めている。) 生物のからだは、ほとんどたんぱく質ですから、塩基配列は、 生物のからだや形質を決める「設計図」とも言えるでしょう。 動物のからだは、たくさんの細胞からできていますが、 この中にある「染色体」に、遺伝情報を持ったDNA分子があります。 細胞が分裂してからだが大きくなると、さきにお話したように、 DNA分子も分裂して、自分自身を複製することで、 ふたつの新しい細胞に入っていくことになります。 オスとメスのつがいから、子ができる生物の場合、 生殖細胞(精子、卵)が合体することで、 親の持っていた染色体のDNA分子が、子どもに伝わることになるので、 これで親の持っていた形質が、子どもに「遺伝する」ことになります。 ようするに、DNA分子の塩基配列によって、 発現のしかたが決まる形質が、「遺伝する形質」ということです。 産まれてからは、なにを学習してどのように身に付けても、 親からもらったのち細胞分裂によって、からだ中の細胞に 含まれるようになったDNA分子の塩基配列は、変わりようがないです。 つぎの世代に伝える生殖細胞も、おなじように変化しないですから、 学習の効果が、遺伝子(DNA分子)に反映されるはずもなく、 その個体限りの形質で、遺伝するはずないことがわかるでしょう。 |
『父性の復権』を読むと、林道義氏は、「母性」は本能であり、 生物的基盤があり遺伝すると、信じていることがわかります。 (じつは、この「母性」の認識も、あやしいのですが。) ところが、「父性」は、文化的な発明品であり、 近代の新しい時代に出てきたと、これまでは思っていたみたいです。 ======== 母性すなわち母であることは遺伝的本能的な基盤を 持っているのに対して、父性すなわち父であることは 後天的で文化的な産物だというのが、これまでの定説であった。 ========(11ページ) 父であることは母であることに比べて、人類の歴史の中でも たいへんに新しい産物だということになり、 ますます遺伝的基盤を持たない弱いものだということになる。 ========(12ページ) そして、林センセイ、「父性」が「母性」とくらべて かようにも脆弱なことを、ゆゆしくも思っていたようです。 ======== 歴史をさかのぼればさかのぼるほど父としての男性の影は 薄くなると考えている人は多いだろう。 私にかぎらず、「父性はもろいものだ」というのが、 男たちの自嘲をこめた定説のようになっている。 ========(12ページ) そんなところへ、『家族の起源 父性の登場』という本を読んだようです。 この本では、さきにお話したように、ゴリラなど類人猿に、 父性行動が見られることが紹介されています。 それで、林センセイは、「母性だけでなく父性にも、 生物学的基盤があるにちがいない」と、 飛びついたのだろうと、わたしは憶測します。 『家族の起源 父性の登場』の著者、山極寿一氏は、 ゴリラ研究の第一人者で、ゴリラの中に入って生活することで、 その行動をていねいに観察したりもしています。 http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000225_01.html リンク先を見ると、類人猿の研究をすることで、 人間の家族の起源についても、ヒントが得られないか、 ということも動機にあったようです。 実際、現生する類人猿を観察する以外に、 人間の家族の起源を探る、有力な手段がないことが多いですし、 こうしたスタンスの研究は、一般的になされてもいます。 しかし、類人猿の研究が、手がかりにはなるにしても、 それで類人猿の家族生活が、人類に遺伝したかどうかは別問題です。 化石などに残る性質のものではないですし、 どのように受け継がれたかを探るのは、ひじょうに困難です。 リンクのサイトを見たかぎりでは、山極寿一氏は、 父性行動が遺伝するなどとは、言っていないようです。 その前に、ゴリラと人間とで、ともに受け継いでいる、 父性行動が見られたと、結論しているのでもないようです。 山極氏の本を読んで、父性行動が遺伝するとか、 ゴリラの父性行動を人間が取りこんだとか、言っているのは、 林道義氏のオリジナルではないかと思います。 |
参考文献、資料
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