林道義氏に言わせると、ゴリラの父性行動と、
チンパンジーの挨拶行動を、人間は取り込んだとなります。
ところが、ゴリラからは父性行動で、チンパンジーからは
挨拶行動なのはなぜなのか、その根拠を林氏はしめしていないです。
下の図にしめした系図のように、ゴリラよりも、
チンパンジーのほうが、人間に近い種です。
行動様式や家族様式が、遺伝したというのなら、
人間はチンパンジーのように群れを作り、乱交傾向になるはずです。
ゴリラのように、オスとメスのつがいと、
その子どもたちが単位の「家族」にはならないはずです。
あるいは、ゴリラと人間が種分化してから、
それぞれが独自に、「家族」を発達させたのだというなら、
(遺伝でなければなおさらですが)、遺伝であっても、
ゴリラから取り込んだとはならないです。
ようするに、ゴリラの父性行動や、チンパンジーの挨拶行動が、
ご自分の考える父性観や家族観に、都合がよかったのでしょう。
それで、林センセイは、これらをつなぎ合わせて、
「人間が取り込んだ」ことにしたのだろうと思います。
林道義氏のご都合主義は、つぎのくだりによく現われていると思います。
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このように、研究者たちが「父性行動」と呼ぶ場合には、
たいていの場合に母親が行う育児行動も含まれていることが多い。
しかしそれは母親の代わりの行動、ないしは母親を助ける父親の行動と
言うべきであって、母性とは異なる父性独自の行動とは言いがたい。
したがってそれは「父性行動」と呼ぶよりは、
「父親による母性行動」と呼ぶほうが適当であろう。
========(『父性の復権』17ページ)
これを見ていると、自分の父性観に合わない行動が、
類人猿のオス親に見られると、「それは父親による母性行動であって、
父性行動でない」となるのは、想像にがたくないでしょう。
こうして、いつも自分の考えかたに都合のいいように、
類人猿の行動が、「父性的」とか、「母性的」とか決められて、
「人間に遺伝する」ことになるのだと思います。
このあたりは、『道義リンクス』でも、つぎのように指摘されています。
http://www.ne.jp/asahi/hyo/tadaon/michilyn/reviews/fusei.html
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つまり林氏は、山極氏の記述したゴリラの父性行動から
恣意的にある一部分を切り取って、それを「父性行動」と
呼んでいるのですが、さて、なぜそう呼ぶほうが「適当」であるのか。
それは林氏の独断以上のものではない訳ですが、
彼はこれを前提に論を先へ進めてしまいます。
つまり、ここで彼のいう「父性」というのは、結局のところ
彼自身が個人的に考える父性の条件に過ぎない、ということです。
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