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政治活動と大衆迎合主義
『惑星開発大辞典』の雑感

惑星開発大辞典 惑星開発大辞典(2)

「惑星開発大辞典」というサイトをご存知でしょうか?
(もしかすると、「ああ、あれ...」と反応するかたもいるのかな?)
いまはむかし、2002-03年ごろ作られたサイトです。
この辞典、当時はとても人気があったようです。
わたしも、いまさらのように読んでも、おもしろいと思います。

もともとは、『惑星開発委員会』というサイトのコンテンツで、
見たところ、サブカルチャー系の、レビューサイトのようです。
2003年3月に、いったん閉鎖しているのですが、
のちに『第二次惑星開発委員会』として再開しています。
残念ながら、「惑星開発大辞典」は加筆されず、放置されているようです。

このサイト、表紙ページから各項目へのリンクが、なぜか全部切れています。
コンテンツはまだあって、URLの"members.tripod.co.jp"の部分を、
"members.at.infoseek.co.jp"に書き直すと、ご覧になることができます。
リンクのURLを、絶対パスで書いているからですが、
たぶんどちらかが、ミラーサイトだったのでしょう。

それから、たんぽぽは、マッキントッシュ上で、
ファイア・フォックスを用いて、閲覧しているのですが、
どういうわけか、レイアウトがくずれまくっています。
どういう環境でブラウズすると、正しく表示されるのでしょうか?


この辞典は、1990年代の論壇や文壇の状況、
あるいは、サブカルチャーやオタクのことついて、背景知識がないと、
なにを言いたいのかわかりにくいのが、悩むところでしょうか。
(この「しきいの高さ」が、同人っぽいんだけど...)
かくいう、わたしもそうでして、いまだにすっかり、
理解できていないところもあったりします。

辞典の「文責」を見ると、何人かの名前が出てきています。
しかし、実際には、ひとりで書いている感じです。
文章の成熟度の雰囲気から、年かさのかたかと思ったのですが、
そうではなく、かなり若いかたが書いているようです。
「ブンガク」の項目を見ると、1990年代で高校生だったようで、
辞典を書いていたころは、まだ学生さんだったのかもしれないです。

わたしが、注目を惹いたのが、「落合信彦」の項目です。
「あるある大辞典」とデジャブしたので、とてもびっくりしたからです。
中学生程度の知識や思考力で、わかるはずのことにもかかわらず、
あやしげな「教養本」にだまされて、その気になる人は、
どうやら、むかしからたくさんいるみたいです。
21世紀の健康バラエティに、はじまったことではなかったのでした。

この場合は、楽をして「自分は国際政治を語れるんだ」なんて、
思いたがる人が、だまされやすいことになります。
最後のほうに、「この手の人と付き合うには論証なんて無意味。
おそらくもっとも有効なのは...」なんて書いてあります。
トンデモな人のご他聞にもれず、議論しても、
不毛なばかりか、おそろしいことにさえなるのでしょう。


落合信彦氏が、とんでもない本をいくら書いても、
問題にならないのは、同じレベルの本を書いている作家が、
ほかにもたくさんいるからというのも、「あるある」と事情が同じです。
健康バラエティも、「あるある」にかぎらず、いくつもありましたが、
どこも同じように、いい加減な情報を流していたのでした。

「あるある」は、番組内容への疑問が顕在化せず、
6-7年くらい続いて、ある意味驚異的だと、わたしは思っていました。
ところが、落合信彦氏や、広瀬隆氏といった作家たちは、
10年も20年も売れ続けているのですから、さらに輪をかけて驚異的です。

それでも、落合氏の読者諸兄なんて、「社会的影響力を持ってない」ので、
「事実上問題はない」として、笑いごととしています。
たいていはそうなのだと思いますが、カリスマのある政治家が、
マスメディアを使ってうまく喧伝すると、こうした人たちでも、
特定の政党や政治家を、大挙して支持したり投票したりして、
とんでもない影響力を、現実の政治に発揮することもありえるでしょう。

わたしが、もっと興味を惹いたのは、「藤岡信勝」の項です。
この項目で、いちばん言いたいことはなにか、おわかりでしょうか?
この辞典のコンセプトがわからないと、かなりわかりにくいと思いますし、
かくいうわたしも、なかなかわからなかったのですが、
おそらくポピュリズム(大衆迎合)のことだろう思います。

わたしはそうですし、これをご覧のかたもそうだと思いますが、
「選択別姓を実現したい」のように、はっきりした課題があり、
その解決のために、政治に関係していることになります。
生活に直接かかわっていて、切迫した課題だからです。


ところが、ここで言われる「『何か』がやりたくて仕方がない
困ったチャンたち」は、解決したい課題が直接にあるのではなく、
「自分は社会正義をまっとうしたい」というメタな動機で、
政治にかかわることになります。(ある意味しあわせだけど。)
ここで言う「困ったチャン」は、おそらく落合信彦の本を
真に受ける人たちのレベルだろうと思います。

このような人たちに対して、強力無比な「カリスマ」となる、
ポピュリストとして、藤岡信勝氏なる人物がいると言うのでしょう。
ポピュリズムは、ファシズムに陥りやすいという、
ご指摘もありますが、藤岡信勝氏の運動の手練手管は、
まさに「ハーメルンの笛吹き」です。

こうした人たちは、悪く言えば、ためにする活動であり、
直接の政治課題を持たないですから、はやりすたりで、
「受けがいい」ことに、興味の対象が動くこともありえます。
藤岡氏が、湾岸戦争を契機に、共産党から「つくる会」へ、
「転向」したのも、「ヒロイズム」の流行を追っただけで、
本人としては、世間で言われている意味での、
転向をした意識はないのかもしれないです。

ついでですが、運動に加わる一般の人は、本気で心酔していても、
運動を率いている「カリスマ」は、確信犯的なことが通常です。
ところが、藤岡氏にかぎっては、運動を指導している
ご本人からして、ファナティック(狂信的)なのだそうです。
「お前の息子を、お国のためにささげろ」のくだりで
言わんとしているのは、このことだと思います。


また、はじめは課題設定が、はっきりしている市民運動でも、
だんだんと、運動を続けるための運動をするようになる、
「運動の無限連鎖」におちいることが、残念ながらしばしばあります。
「薬害エイズ訴訟を支える会」もそうだったらしく、
小林よしのりが確執を起こして、脱会する原因にもなったのでした。
(これを聞いて、宮台真司氏は、運動なんてそんなものだ、
なにをいまさらのことで怒っているのだ、と言ったというお話ですが。)

こんなふうにして、政治運動が目的化した人たちが、
おちいりやすいのが、「受けねらい」「わかりやすい」だったり、
「自分が正義の側にいる」と、実感しやすいお題目になります。
ここにポピュリズムにはまりこむ構図が、出てくることになります。

かかる事態におちいっているのは、市民活動家をはじめ、
一般の人たちだけでなく、いわゆる「識者」もそうらしいです。
「つくる会」の教科書なんて、採択の可能性の低さから考えて、
「問題がある」とは、とても言えないしろものでした。
ところがみんな、メディア受けしたかったのでしょう、
肯定派も、否定派も、あまつさえ傍観派さえも、
「問題がある」ことにして議論していたのでした。

「『天下国家の問題』を捏造しなければいけないくらい、
我々が『こういうネタ』を欲していたか」というのは、
なぜそろいもそろって、大衆迎合に走るのかという問いかけでしょう。
しかも「天下国家を語る連中」が、ポピュリズムに、
おちっているのは、「右も左も一緒」であり、しかもそれは、
「日本の文化空間・政治空間の醜悪な戯画」でさえあるようです。

こうした付和雷同は、とくに運動にはありがちにもかかわらず、
教科書問題のときに批判したのは、浅羽通明氏くらいだとあります。
わたしには、よくわからないですが、ポピュリズムというのは、
もともとあまり、批判されないものなのでしょうか?

さらに、最後のくだりを見ると、ポピュリズムの蔓延に対して、
なんら効果的な対処ができないのは、むかしからそうだった感じです。
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あの「湾岸」のときにあの「ローカル受け」すらしなかった
「反戦アピール」の結果、内輪の学芸会的な盛り上がりにすら
失敗していたという事実から、我々は目を背けるべきではないだろう。
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この辞典ですが、全体の論調は「本気であたまが悪い人」とか、
「何かをやりたくてしかたない困ったチャン」なんて、
書いたりもしているので、愚民思想にも聞こえて、
反発なさるかたもいらっしゃるかもしれないです。
(ポピュリズムを批判すると、愚民思想的になりやすいので、
実際、注意が必要なことだと思います。)
ここでは、識者たちのメディア受けにも、原因があるというのですから、
愚民思想を言いたいのでないことは、わかるだろうと思います。

2000年代になって、「日本の文化空間・政治空間の醜悪な戯画」が、
深刻なカタストロフィーを、現実にもたらしたことまでは、
さすがにこの辞典の著者も、予想しなかったようです。
それでも1990年代から、こうしたことを取りざたしていたことは、
いまから見ると先見の明ではないかと、わたしは思います。

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