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TBSの731部隊特集(6)
731部隊とはなにか?
免責された生物・化学兵器部隊
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ところで、これまでずっと話題になってきた、
「731部隊」とはいったい何者で、なにをしたというのでしょうか?
気になるかたもいらっしゃると思うので、
最後にこのお話を、すこししたいと思います。

「731部隊(関東軍防疫給水部隊)」とは、
日中・太平洋戦争中に活躍した、旧日本軍における、
化学戦(毒ガス戦)、生物戦(細菌戦)部隊です。
中国人の捕虜を使って、ペスト菌、コレラ菌などの細菌の感染や、
毒物効果に対する人体実験や、生体解剖を行なっていました。

ナチス・ドイツでも、ユダヤ人に対して、科学者や医学者たちが、
人体実験をして、ニュルンベルク裁判で起訴されていました。
これと同種のことを、日本軍も行なっていたのでした。

1949年、ソビエト連邦は、このとき抑留していた731部隊関係者を、
(東京裁判とはまったくべつに)、独自の軍事裁判にかけました。
1950年にこのときの記録、『細菌戦用兵器の準備及び使用の廉で
起訴されたる元日本軍軍人の事件に関する後半資料』を公表します。
これによって、731部隊による人体実験のようすが、
はっきりすることになります。(注1)


アメリカ合衆国は、細菌戦についての戦争責任の追求には、
はじめから乗り気ではなく、むしろ否定的でさえありました。
1945年秋、ウィロビー少佐(GHQ参謀第2部のボス)と、
マッカーサーが会見し「731部隊の解明は、彼らを戦犯に問わないという
保障をしてやらないとうまく進まない」という方針で合意しています。

日中戦争の責任追求にあたっていた、
検察局のモロー陸軍大佐は、731部隊長の石井四郎陸軍中将を
尋問させることを要求しましたが、石井を拘留していた
GHQ参謀第2部は、モローを石井と面会させることを拒否しました。
当然ながら、モローの捜査は、行き詰まります。
結局、細菌戦については、証拠をじゅうぶんそろえられず、
731部隊を起訴することができずじまいでした。

アメリカ合衆国が、細菌戦を免責したのは、
731部隊が行なった、人体実験のデータや資料を、
独り占めしたかったからだと言われています。(注2)
いずれにしても、アメリカは、あきらかな戦争犯罪が
あることを知りながら、わざと隠しこんだことになります。


もうひとつ、731部隊による毒ガス戦の証拠は、
モローはじゅうぶん堅めていて、起訴できると思っていました。
ところが、こちらもやはり、法定で審理されずじまいでした。

毒ガス戦が免責された理由は、よくわかっていないようですが、
モローよりずっと上の、アメリカの政府か議会のレベルで、
おそらくは決められたと考えられています。
裁判における検察側の立証が、まだ半分も進まないうちに、
とつぜんモローは、アメリカに帰ってしまうのですが、
これは、毒ガス戦を免責したことに対する、
アメリカ政府やGHQへの抗議だとも言われています。

日本の戦後処理にあたったGHQは、はじめは結構理想に
燃えていたのですが、冷戦の対立が目立つようになり、
途中から転換して、日本を西側陣営に組み込み、
ソビエト陣営に対する防壁にする方針になっていきました。

このとき、天皇制の維持、および日本の一部支配層の温存と引き換えに、
アメリカの反共政策への協力をもちかけたのでした。
そして、それ以外に生きていく道のなかった日本側は、
これを受け入れたことは、言うまでもないでしょう。

天皇の免責に深くかかわった、キーナン主席検察官は、
「私は日本の天皇を裁判にかけないこと、また証人として法廷に
出廷させないことに努力するのが第一の目的だ。
いまひとつは、日本の再軍備を勧めることだ。
アメリカは戦いに勝った。しかし勝ちの乗じて日本の軍備を全廃すれば、
アジアの赤化は日を見るより明らかである」とまで言って、
日本の関係者をおどろかせてもいます。


東京裁判は、日米協力のもとで、この体制の基礎を堅めるため、
「あれは軍部が暴走したのであり、われわれはその前に無力な文民だった」
という「歴史観」を定着させるのが、むしろ実際の意義でした。(注3)
だから、日本の戦争責任は、東京裁判で「終わり」であり、
日本の一部支配層の免責のためにも、アメリカの反共政策のためにも、
これ以上追求しないものとなったのでした。

こうしたことが可能だったのは、ドイツとちがって、
日本の戦後処理は、アメリカが単独で主導権を持ったので、
中国やオランダ、オーストラリアなど、
ほかの国の反対を押し切りやすかったことがあります。
また、日本の侵略した地域は、戦前は植民地だったので、
建国のためにいそがしく、また国際的発言力もなかったので、
彼らの声は簡単に無視できたこともあります。


東京裁判は、A級戦犯の第2、第3の公判も予定されていました。
ところが、アメリカの関心が冷戦に移っていくと、
日本の戦争責任の追求に不熱心になり、つぎつぎと戦犯を釈放していきます。
731部隊は、上でお話したように、べつの打算から、
占領政策が転換する前から、釈放する予定でしたが、
これも冷戦の激化にともなって、裁判に対する無関心が進み、
免責をうながしたことは、想像にがたくないでしょう。

東京裁判がはなばなしかったのは最初だけで、あとはしりつぼみでした。
戦犯たちが、釈放された理由もあいまいで、戦争犯罪を認めた上での
恩赦(アムネスティ)ではなく、免罪符を与えたようなものです。

安倍晋三氏が尊敬するおじいちゃんの、岸信介氏も、
もちろん、A級戦犯として拘留されていたのですが、
B、C級戦犯として起訴すると変更されたのち、
不起訴となり、結局なにもなく釈放されてしまいます。
岸信介は、ときどき「A級戦犯のなりそこない」と
揶揄されることがありますが、これは、こうした事情によるものです。

ようするに、安倍晋三のおじいちゃんと、731部隊は、
戦犯のなりそこないどうしで、その意味で「お仲間」とも言えます。
安倍晋三の信奉者が、TBSの「731部隊特集」に過敏に反応するのは、
同類扱いされた気になったからかもしれないです。

参考文献、資料
  • 『昭和天皇の終戦史』(吉田 裕著、岩波新書)
    日本の戦後処理について、概観したいかたはこの本をどうぞ。
    昭和天皇が免責されるプロセスにくわしいです。
  • 『戦争責任・戦後責任』- 日本とドイツはどう違うか
    (粟屋 憲太郎ほか著、朝日選書)
    2章「東京裁判にみる戦後処理」(粟屋 憲太郎氏の執筆)に、
    731部隊の免責も含めて、東京裁判のしりつぼみが述べられています。
    このページの内容は、ここからほとんどを採っています。
  • (注1)
    じつは、GHQの参謀第2部は、731部隊が人体実験をしていたことを、
    はっきり知らなかったようで、裁判の途中で、
    ソビエト連邦から通報が入り、ようやく事情を確認したようです。
    このとき、石井を尋問したいという、ソビエトからの要求を、
    アメリカが断わったので、ソビエト連邦は、
    ハバロフスクで、独自の軍事裁判を開いたのでした。
    『戦争責任・戦後責任』の95ページより)
  • (注2)
    さきの『戦争責任・戦後責任』という本によると、
    731部隊の免責は、『標的・イシイ』(常石敬一著、大月書店)
    という本で明かされたとあります。(96ページ)
    興味のあるかたは、探してみるとよいでしょう。
  • (注3)
    日本の多くのかたが、そう思っているであろう
    この歴史認識は、じつにナイーブだと思います。
    軍部はたしかに暴走しましたが、文民たちの無視、追認や、
    支持、協力があったから、それが可能だったからです。
    もちろん昭和天皇もしかりで、軍部の「活躍」に対して、
    じきじきにお墨付きを与えたことも、よくありました。
    日本の戦争責任問題というと、被害者意識ばかりが目立ち、
    「加害の論理」にとぼしいのは、東京裁判で方向付けられた「史観」も
    一役買っているのだと、わたしは思います。

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