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宗教としての家族思想

太平洋戦争後の日本社会は、「家族観」や「家族のありかた」が、
多くの人たちがこころのよすがとする
実質的な「宗教」として機能してきたと、わたしは思っています。
「家族思想信仰」とか「家族教」と呼んでよいと思います。
いまも機能しているし、さまざまな影響をおよぼしていると思います。

これは「家族思想」が定める「家族」こそ「正しい家族」であり、
「正しい家族」を実現すれば幸せになれるとされるものです。
「正しい家族」とはどんな家族形態かというと、
端的には高度経済成長期に定着した「標準家族」です。
「夫が外で働き妻が専業主婦で子どもはふたりがよい」というものです。

ほかに「家族思想信仰」にもとづく「正しい家族」の形態は、
法律婚主義(婚姻届けを出した結婚が正当)、夫婦同姓(女性が改姓)、
男女で結婚、子どもはすべて婚内子、といったことがあります。

家族思想信仰に当てはまらない家族は、あるべきでないとされる、
いわば「異教徒」とされる存在ということになります。
具体的には、夫婦別姓、事実婚夫婦、同性結婚、婚外子、
単身者(非婚主義)、ひとり親家庭、子どものいない家庭、
妻が働いている(専業主婦でない)家庭などがあります。


「家族思想信仰」は日本が急速に復興を続けた時代に浸透したので、
その影響力はとても大きいものとなりました。
実際に国民の生活水準が向上する時代だったので、
「信仰にもとづいた家族を持てば幸せになる」と、
少なくない人が思い込むことになったのでしょう。

「家族」と言われると、無条件で安心できる場所であり、
「家庭のぬくもり」とか「家族の団らん」といったことに弱い人は
少なくないのではないかと思います。
「女、子どもは家の中で殺されてもおかしくない」なんて
データを揃えて示されると、不愉快になるかたも
結構いらっしゃるのではないかと思います。

「両親そろってあたたかい家族というのが基本」なんて
口走る人も珍しくなくいると思います。
「母親が働いていると子どもがかわいそう」と思ったり、
ひとり親家庭が生活苦に悩むのを「自己責任」と
考える人も少なくないと思います。

家族に対するこのような考えかた(偏見)は、
「標準家族」であれば無条件に幸福なはずだとか、
「異教徒」の家族はかならず問題があるはずだ
といった思い込みにもとづくものです。
そしてそれは「家族思想信仰」の産物にほかならないということです。

「日本人は無宗教だ」とよく言われますが、
実際には「家族思想信仰」という宗教があると言えると思います。
それはふつうの意味での宗教ではないですし、
はっきり「信仰」を意識しているのではなく、
無意識のうちに感化された人もいるでしょう。

それでも戦後急速に復興を続ける中、自信を取り戻していく
日本人のこころの支えには、じゅうぶんなったと思います。
いかに科学や社会が発達したとしても、国民の大多数が信仰を
ほとんど持たないでいられる国というのは、
現代においてもなかなかないということかもしれないです。

戦後の新体制の中で「保守本流」となった「家族思想信仰」は、
社会の既得権益層となり、現在もなお強く影響を及ぼすことになります。
「家族思想信仰」の信者たちは、「信仰」が支配的な社会を
維持しようとして排他的で抑圧的となり、
それは「信仰」を前提とした社会制度の設計や、
「異教徒」とされる家族形態の迫害に現れることになります。


「家族思想信仰」を「宗教」の一種とみなす考えかたは、
識者のあいだでも散発的に見られるもののようです。
二宮周平氏は日本人のあいだでは「家族思想」が
宗教の代わりになっていると、指摘したことがあります。

「宗教の代わりとしての家族」

「日本人は宗教意識が低いかわりに、伝統的な価値観に 依拠しようという人が多いのではないか。“家族”という言葉に弱い。
水無田気流氏も日本人は「家族教」を信仰していると考え、 本物の宗教的カチカンが支配的な国よりも 日本はずっと家族に対して不寛容だと指摘しています。 「サザエさんに見る日本の“家族信仰”は異常  『シングルマザーの貧困』著者が語る、標準以外を無視する社会」
ロイターが行った国際調査で「女性は外で働くべきではない」と 回答した割合が多かったのは1位インド、2位トルコ、3位日本でした。 カースト制度も宗教制度もない国なのに、 家庭についてはいまなお、これほどまでに保守的なんです。 日本人は無宗教だといわれていますが、実際は「家族教」を 信仰する国といえるでしょう。母性神話をあがめる宗教ですね。

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