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「理系保守」の少子化対策(2)
専業主婦願望は本能?(2)
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ところで、紫藤ムサシ氏は、こんなことを書いています。
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そして本来・成熟するまでは一身同体であったはずの母・児は
その後も一定期間は密着して育てる必要が出て来ました。
そして、その間の食糧の確保と安全の確保を
保障してくれる存在が必要となりました。
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子どもを育てるお話が、出てくるところを見ると、
「本能的に、専業主婦になりたい」というのは、
じつは、「本能的に、家庭に入って、子どもを産み育てたい」
ということなのかもしれないです。
ところが、このように拡大解釈しても、
「本能」が正常に発現している社会は、かぎられるのでした。

近代以前は、現代とくらべて多産でしたから、
養いきれない子どもがいることも、一般的でした。
多すぎる子どもは、じゃまなだけの存在であり、
いかにして掃き出すかが、経済的な理由からまた必要なことでした。


日本でも、たとえば、江戸時代の農村の場合、
余分に産まれた子どもは、江戸の町へ奉公に出されました。
(そのため、当時の江戸は、世界的にも人口の多い町でした。)
http://www.nagaitosiya.com/a/population.html

当時の江戸は、人口が過密で、衛生状態も悪く、
農村より死亡率が高くなっていました。
子どもにとって、江戸に奉公に出されることは、いわば左遷でした。
代わりの跡取りとして、きゅうに必要にでもならないかぎり、
とくに顧みられることなく、故郷に呼び戻されもせず、
江戸で死ぬことが多かったようです。

また、飢饉におちいって、生活がひどく苦しくなると、
「まびき」という、非常手段に訴えることになります。
これはもちろん、産まれた子どもを、殺してしまうことです。

神社やお寺は、「間引き絵馬」を作って、まびきを防せごうとしました。
この絵馬には、産婦が赤ちゃんを殺すことを、
いましめる絵が描かれています。
おそらく、母親が手をかけるのが、一般的だったのでしょう。
「間引き絵馬」のように、モラルに訴えるやりかたは、
ほとんど効果はなく、女性がみずから、産んだ赤ちゃんを殺すことに、
抵抗がなかったことを、しめしていると考えられます。

子どもを産んだら、かならず大切に育てるという観念が、
定着したのも、ご他聞にもれず、近代に入ってからのお話です。
子どもの福祉への意識が高くなり、またすべての子どもは、
平等に扱うという考えが出てきて、多数を占めるようになったものです。

近代のはじめに、子どもの福祉の解決にあたった為政者たちは、
女性にこの役目をあてがうことを、考えました。
男性である彼らは、女性が子どもを産んで、
おっぱいを出すところ見て、女の人が、産んだ子どもを、
自分で育てるのが自然であると、考えたようです。

彼ら男性たちは、女の人は本質的に、子どもを産みたいと思い、
大切に育てたいと思うものにちがいないとも思ったようで、
それを思想として、普及させることにしました。
そしていつのまにか、これは人間という種の維持のために、
女性に「本能」として備わっていると、信じられるようになり、
これに疑いをはさむものが、いなくなっていったのでした。


「本能」だということが、近代以降ゆるぎないものとなると、
こんどはこれを、国策で操作するところも、出てきました。
大平洋戦争がはじまったころの日本は、
富国強兵政策のために、人口を増やす必要がありました。
そこで、小学校から女学校までの、ありとあらゆる女子教育の場で、
「女の幸せは、結婚して子どもを産み育てることである」という、
マインド・コントロール的教育を、ほどこしたのでした。

これは経済援助など、ほかの政策との、
組み合わせもあって、一定の成果があったようです。
それまでは平均4人だった、女性ひとりあたりが産む
子どもの数は、5人へと増えていきました。


敗戦直後のベビー・ブームは、この「戦時人口政策」の余韻でした。
未曽有の敗戦がもたらした、貧困の中にあって、
多く産まれすぎた子どもは、やはり負担になりました。
1948年に優生保護法が改正されて、中絶の制限が緩和されると、
1949年には10万件しかなかった人口中絶が、
1955年には170万件と、急激にふくれあがったのです。
戦中につちかわれた「本能」は、敗戦の貧困という、
冷たい現実の前に、もろくも崩れてしまったようです。

高度経済成長時代のはじめ、企業の利益のために、子どもの数を
減らす政策が取られたことが、これに拍車をかけました。
男性が安心して会社で働けるよう、家に帰って子どものことで、
負担がかからないように、という配慮によるものです。

「子どもはふたりくらいなら、家は静かである」という、
じつは根拠のない言説が、社員教育によって広められ、
経済復興のために必死だった、当時の人たちに信じ込まれました。
ほどなくして、ムサシ氏も「本能にかなっている」と信じている、
いわゆる「標準家庭」が、幸せな家庭であると、
多くの人たちが思うようになり、かつ定着していきました。

紫藤ムサシ氏は、「本能」だから、変えられないし、
変えるべきでないなどと、自信たっぷりに書いています。
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これも「本能」であり、変えようがありませんし、変えるべきではありません!
人間のちょっとした本能を変えるには少なくとも1万年はかかりますから、
現実的・科学的には不可能と言ってもいいでしょう。
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ところが、これまで見て来たように、この「本能」は、
社会や時代の要請、あるいは為政者たちの都合で、
ごく短い時間で、たやすく変えられていることがわかります。
とくに、経済的にひっ迫した状態や、教育による「学習」は、
「本能」を変化させることに、とても効果があるようです。


だいたい、本当に「変えようがない」なら、
トイレに行きたくなるとか、眠くなるのと同じくらい
あたりまえでしょうから、だれも議論などしないと思います。
(このコンテンツをご覧になったあなたは、
わたしが、「本能を思想として普及させた」とか、
「ゆるぎない本能を、国策で操作した」とか書いているのを見て、
なんか変だなと、思いませんでしたか?)

「変えるべきではない」などと、わざわざ念を押すこと自体、
その「本能」が、じつは、うつろいやすく、
壊れやすいことを、みずから語っているのだと思います。

参考文献、資料
  • 間引き絵馬(太田市指定重要文化財/太田市青蓮寺蔵)
    http://www12.wind.ne.jp/tomohm/htm/kinsei_002.html
    ネットで検索すると、ほかにもいくつか、見つけることができます。

    パール・バックの『大地』に、「まびき」の場面があります。
    母親が産まれた赤ちゃんを、すぐに殺すのですが、
    まびきに反対していた夫に、「死産だった」とうそをつくのです。
    (「泣き声が、聞こえたと思ったけど?」と、
    ばれそうになるが、どうにかごまかす。)

    これは中国のお話で、フィクションだけど、
    一般的というか、典型的な例だったのではないかと思います。
  • 『<非婚>のすすめ』 森永 卓郎著、講談社現代新書
    第1章「第二の家族革命」の1節「『国策』につくられた戦後家族」に、
    戦時人口政策にはじまって、戦後の、企業のために、
    「標準世帯」が定着するまでの経緯が、書かれています。

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