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性被害の自衛論と男性の性欲

わからないオトコ 生物学的に壊れた?

女性が性被害にあうと、「女が自衛しないのが悪い」とか、
「女が気をつけなければならない」のように、
被害にあった側を批判をする人がいます。
もちろん性被害は、加害者がの男性が悪いのであり、
被害者の責任とする「被害者落ち度論」は、まちがった考えです。

ところが、性被害に関しては、加害者に責任があると
考えることはなかなかむずかしいようです。
被害者に落ち度があったから悪いことにして、
二次被害を追わせる人は、後を絶たなくなっています。


こうした「被害者落ち度論」を主張する人たちの中には、
「男性の性欲は本能で、生物学的基盤があるからだ」と
考えていて、本質的に理性では抑えきれないと
信じているかたもいるのではないかと思います。

男性の性欲が、本当に本能かどうかも、
じつは議論の余地があると思います。
しかし、性教育で習うと思いますが、性欲が本能だったとしても、
理性でコントロールできるのが、人間の人間たるゆえんです。
「本能だから抑えられない」という言いわけは、
許されないということです。

ところが現実には、「オトコは黒豹」なんて言う人もいます。
男性の性欲は生物学的基盤のある本能ゆえに、
眼の前に魅力的な女性がいれば、自発的に湧いてきて、
理性で抑えきることはできないのだと
思っている人はたくさんいそうです。


男性の性欲を、生物学的基盤があるがゆえに、
理性で抑えきれないものだと考えるようになると、
「本能だからすべての男性がそうなっている」と、
一般化して考えるようになってきます。

そうなると「男性にもいろんな人がいる」のような、
個人差や多様性を主張しても無理でしょう。
「生物学的基盤がある」と信じているのですから、
そこに「個人差」とか「多様性」などという
「例外」などあるはずないと、考えることになるわけです。
(例外があれば「生物学的に壊れている」と考えるのでしょう。)

「すべての男性にあって抑え切れない」ことになれば、
あとは避ける側が、自分で対処するしかなくなります。
それで「女が気を付けなければならない」とか、
「襲われた女のほうが悪い」と考えてしまい、
被害者落ち度論のどこが悪いのかも、
わからなくなるのではないかと、わたしは想像するのでした。

強盗に襲われても、「襲われるほうが悪い」とは
通常は言われないですし、「被害者落ち度論」は
性被害に顕著なことだと言えます。
この顕著さは、性欲本能の認識のされかたに
よるものが大きいのではないかと、わたしは思います。


被害者落ち度論の間違いを指摘すると、
「オトコをわかってない」と力説する人もいたりします。
こういう人はおそらく、「オトコはすべて
性欲本能を理性で抑えきれない存在のに、
どうしてそれがわからないの?」とでも、
訴えているつもりなのかもしれないです。

性被害に対する「被害者落ち度論」は、
男性だけでなく、女性からも出ることがあります。
性欲が本能かどうかの認識には、男女差はないでしょうから、
女性が「オトコをわかってない」を主張することも、
いちおう納得できるというものです。


いまここでお話したような理由で、
「男性の性欲は抑えられないから、女性が自衛するしかない」
と考える人たちは、「本能」を用いて説明することで、
避けられないと結論しようとしています。
実際には、男性は性欲を理性で抑えられますから、
こうした「本能」による説明はまちがいとなるわけで、
これも自然主義的誤謬の一種だと言えるでしょう。

このような「男性の性欲」と同様の議論は、
「母性本能」でもありえることです。
こちらは、「女性であれば、子どもを産み育てたい
という欲求は自発的に湧いてくるはずだ」と
信じられるわけで、これにより女性ならばかならず
子どもを産み育てるよう圧力がかかることになります。

付記
「母性本能が壊れた」女性には、生物学的に「正常」な状態へ
「矯正」しようとする圧力が働くことがあります。
教育の力で「母性」を熟成させようとしたり、
子どもを産まない女性にペナルティを課すことを考える
議論がなされたりするわけです。

これに対して、「性欲本能が壊れた」男性には、
そうした圧力が働くことはあまりないようです。
具体的には、「草食系」と言われる男性に対して、
「男性が子どもを作ろうとしないから、少子化が進み日本が衰退する」
のような非難がなされることはすくない、ということです。

このあたり、女性の逸脱には風当たりが強いが、
男性の逸脱には甘いという、ダブルスタンダードを感じます。

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