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おやじの説教はなぜ長い?

あなたのまわりには、長ながとお説教をするのが大好きなかた
(とくに中高年男性)は、いらっしゃるでしょうか?
その長いお説教の中に、たとえ話がよく出てくるでしょうか?

たとえ話を交えながら、長ったらしいお説教をするのは、
「おやじ」の典型的な特徴だったりしますよ。
それではなぜ、おやじは長い説教が好きなのか?
その理由を、わたしなりに考えたので、お話したいと思います。


中高年男性は、いわば既得権者であり、社会的強者の立場にあります。
そのため、彼らの道徳心や倫理観といった、
「カチカン」は、おおむね体制に都合がよいものであり、
社会の中でも、肯定されやすくなっています。
そのため、自分のものの考えかたやカチカンは、
客観的な「正義」だと、信じ込みやすい状況にあると言えます。

また、強者であるがゆえに、自分の考えやカチカンを、
他人に押し付けても、抵抗を受けることも少なくなっています。
ところが、自分の「正義」を信じていますから、
力押しではなく、正論が通ったのだと思ってしまい、
そうしたやりかたに問題があるとは、思わなくなっていきます。

(これについては、対立概念である、「女性」や「若者」の
置かれている立場を考えれば、わかると思います。
社会的な弱者は、自分の立場や当然の権利を、理論整然と主張しても、
「わがままだ、身勝手だ」となじられることさえ、すくなからずあります。)

こうして、自分のカチカンを、他人にも共有させることが、
世のため、社会のためであり、さらにはその人のためであるので、
積極的にそうしなければと、「おやじ」たちは考えていくのでしょう。
そして、その「手段」が、「長ったらしい説教」なのではないか?
...というのが、わたし、たんぽぽの思うところでありました。

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