もうずいぶんむかしのことになります。
職場の先輩氏たちと、結婚について雑談をしていたときでした。
結婚はやはりしたほうがいいとか、無理にしなくてもいいとか、
子どもは持ったほうがいいとか、いないほうがいいとか、
そういった内容のお話でした。
そのとき、先輩氏のひとり(男性)が、「やっぱり、家に帰ったら、
ごはんができていないとさみしいからね」という主旨のことを言いました。
このかたは、妻が専業主婦が好みなのだな、ということは、
すぐにわかると思いますが、そのときのしゃべりかたが、
どこかうれしそうというか、楽しそうという雰囲気がありました。
わたしは、「ああ、やっぱり、妻さんに作ってもらうのが、
楽でいいんだろうな」と思ったのですが、
彼の楽しそうな言いかたから察するに、それだけではなさそうでした。
なにか「特別の喜び」がそこにある、といった雰囲気でした。
ところが、その「特別の喜び」がなんなのか、
そのときの、わたしは、見当がつかなかったのでした。
「作ってもらえれば楽」以外の動機が、わからなかったのです。
このことは、その後も、ずっとわたしの心の奥底で、
ひっかかり続けていました、とでも言えれば、
格好がいいのかもしれないですが、そういうことはぜんぜんなく、
すぐに忘れてしまいました。(笑)
それからまた、だいぶ経ってからでした。
『男と女 変わる力学』(鹿嶋敬著、岩波新書)という本を、
偶然ですが、本屋さんで立ち読みしたときです。
(これは、この分野に関心があったのではなく、ただ手当たりしだいに、
眼についた本を見るという、わたしの習性によるものです。)
前書きのいちばん最初のところに、こう書いてあったのです。
男は「家庭のぬくもり」という言葉に弱い。
それが漂ってくる映画はなんだろうと考えた時、
まず思い浮かぶのは『男はつらいよ』シリーズだ。
葛飾柴又で寅さんの帰りを待つ妹のさくら、
だんご屋を営むおいちゃん、そしておばちゃん------。
彼らこそ、この映画が発散する「ぬくもり」の源泉であり、
寅さんはその愛の充電を定期的に受けられるからこそ、
渡り鳥のように全国各地にはばたくことができる。
つまり寅さん映画は、男は勝手気ままに羽を伸ばしても、
故郷(家)に帰れば家族が温かく迎えてくれるという構図から成り立っている。
これを読んで、わたしは、それまでずっと忘れていた、
むかしの先輩氏の「特別の喜び」のことを、すぐに思い出しましたよ。
「そうか、そういうことだったのか!」
男の人というのは、いつ家に帰っても、自分をむかえ入れる
「家庭のぬくもり」にあこがれるのであり、
「妻さんがご飯を作って待っている」というのが、きっとそれなのだ、
ということが、わたしはようやくわかったのです。
わたしはこのとき、男性の心理というか、ものの考えかたを、
発見した気分になって、ちょっとばかり感激してしまいましたよ。
(「なにをあたりまえのことを...」と、おっしゃるかたもいそうだけど、
いにしえの日のたんぽぽは、そのくらい世間知らずだったと、
思っていただけたら、さいわい(?)です。)
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