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オレの眼の黒いうちは...

民法改正、選択別姓の反対論者というのは、
はじめに結論ありきで、なにがあっても聞く耳のない
頑迷きわまりない狂信者であり、こういう人たちが、
自民党議員の中にたくさんいて、法案提出を握りつぶしていることは、
わたしのサイトで、くりかえしお話していることです。

そんな反対論者の中には、「おれの目の黒いうちは
絶対に実現させない」とまで、息巻いてくれた人もいます。
民法改正を相手に、「聖戦」でもしているつもりなのでしょうか?
まさに反対派の頑迷さと狂信さを、象徴するようですが、
じつはこれが、反対論者たちの本性なのだと思います。

このすさまじい発言をしたのは、山中貞則氏です。
自民党の議員ですが、典型的な長老反対派議員のひとりのようで、
悪名高い(?)2002年の自民党の法務部会のときでした。
法務部会というのは、国会に提出する法案を事前審査する、
自民党内の会議ですが、こんな反対派がいるために、
民法改正法案は、いつも握りつぶされることになります。


そんな山中議員ですが、このあとさらに衝撃的なことがあったのです。
2002年7月に発足した、「例外的に夫婦の別姓を実現させる会」という、
自民党の推進派による議連の、最高顧問についたのです。(!)

賛成への転向など絶対ありえないのが、反対論者の相場です。
そんな中にあって、山中議員が賛成派になったのは、
異例中の異例であり、特筆することだと言えます。
いったいなにがあって、賛成に回ったのでしょうか?
野田聖子氏と森山真弓氏に説得されたという、お話も聞いていますが、
くわしいことは、わたしにはわからないので、憶測はやめておきます。

インターネットの市民団体「氏名を大切にする会」は、
自分たちが丹精込めて、自民党にお願いしたからそれが通じたのだ、
自分たちの大成果なのだと考えたのは、もちろんのことでした。
(それでも、ひとり転向したくらいでは、焼け石に水、
ほかにもたくさんいる、自民党の反対派議員はそのままで、
結局なんの進展もなかったのも、もちろんですが。)

山中貞則氏は、2003年11月の衆議院選に出馬して、
めでたく当選を果たしましたが、そのすぐあと、2004年2月20日に、
お亡くなりになりました。(享年82歳。)
結局彼の眼の黒いうちには、民法改正は実現せずじまいでした。

参考文献、資料
  • 西日本新聞 02年8月ごろ? 懸案・争点 「秋」の政策課題を探る
    『夫婦別姓 推進・反対の溝深く くり返された法案提出断念』
    http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0208/kenan/09.html
    「オレの眼の黒いうち」発言と、その後の転向のことが出ています。
  • 夫婦別姓資料館>政治
    夫婦別姓の賛否と選挙の勝敗の関係は?(「実現させる会」編)
    http://fb-hint.hp.infoseek.co.jp/doubt06.htm
    「例外的に実現させる会」の議員のうち、2003年11月の衆院選に当選したリスト。

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