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反対派の精神構造と思考構造
戸籍を守る反対派

民法改正、選択別姓の議論にともなって、
しばしばいっしょに出てくるのが、「戸籍」です。
戸籍とは、日本国の身分登録制度ですが、
選択別姓を認めるとなると、この戸籍も改変をともなうので、
連動して議論されても、ふしぎはないと思います。

ご存知のように、戸籍は家族単位の身分登録です。
しかし、世界のほとんどの国では、個人単位の身分登録です。
家族単位にしているのは、世界中でも例がほとんどありません。
家族単位の身分登録が、便利な状況があまりなく、
なにかと不便なので、採用されないのでしょう。
日本でも、新しく作られた住基ネットは、個人単位の登録です。


ところで、反対論者たちは、戸籍のフォーマットを
変えられないという理由で、選択別姓に反対することがあります。
現在、ひとつの戸籍に書かれる苗字はひとつだけで、
おなじ戸籍内のメンバーは、同じ苗字を持つことになります。
ひとつの戸籍に、ふたつの苗字が記載できないから、反対なのだそうです。

なんとも奇妙だ理由だと思います。
ひとつの戸籍に、ふたつ以上の苗字が書けるよう、
フォーマットを、変えればいいだけのことです。
あるいは、家族単位の身分登録をやめて、個人籍でもいいでしょう。
そして、これらの「対案」は、すでに考えられてもいます。
そもそも、民法のために戸籍があるのですから、
戸籍の都合で、民法の規定が変えられないのは、本末転倒です。

それだけではなく、日本の戸籍制度が、世界に冠するとか、
とてもすばらしい「美風」だとか、酔いしれたことを言って、
現在の戸籍法に、なんらかの改変を加えることを、
冒涜のようにみなす反対論者もいるくらいです。

ここからは、わたしの憶測なのですが、戸籍に対する
反対論者たちの異様なこだわりは、現在の戸籍ができるまでの
いきさつに関係があるのでは、と思っています。

現代的な身分登録制度としての戸籍が、
日本で導入されたのは、もちろん明治時代です。
富国強兵策のために、収税と徴兵の必要からでした。
背景となる家族観も、夫は一家の「家長」として家族に君臨する
「イエ制度」ですが、これは儒教由来の伝統的な家制度に、
欧米由来の家父長制を組み合わせて、「近代的」な装いを持たせたものです。

戦前の戸籍は、3世代が登録されていました。
いまの戸籍は2世代ですから、戦後になって
リニューアルされたのは、まちがいないです。
また戸籍の存在意義も、国家による家族管理ではなくなり、
国民の福祉のためとされるようにはなりました。
「イエ制度」は廃止され、戸籍の筆頭者もただのインデックスと、
形式的なものとなったのでした。


しかし、GHQからの指示があったにもかかわらず、
個人単位の身分登録制度には、ならなかったのでした。
「戦後の物資欠乏で、紙とインクがたりなかったから」というのは、
よく言われることですが、まったく無関係でないにしても、
表向きの理由ではないかと、わたしは思います。

そのあと、豊かになっても、戸籍は作りかえられなかったし、
そうでなくても、3世代から2世代への変更ができるだけの
紙やインクは、ちゃんとあったのでした。


敗戦のすぐあとに、戸籍制度をどうするかについて、
いちばん発言権を持っていた人たちは、だれだったかですが、
敗戦で否定された、戦前のイエ制度世代ではないと思います。
おそらく、つぎの時代の高度経済成長期をになうことになる、
「新しい考え」の人たちだったのではないかと思います。

彼らは、まがりなりにも、戦後改革を推し進める側として、
イエ制度世代と闘い、これを否定した上で、
戦後の家族制度や家族観を、作っていったのでしょう。
その「新しい考え」の人たちの、理想の家族とは、
それは、彼らの時代に主流となった、「核家族」だろうと思います。
おそらく、親世代とのしがらみなく、自分たち夫婦が
中心の家庭を築きたかったのではないかと思います。

それでも、GHQの期待に、じゅうぶん応えられるほどの、
自由な思考も、彼らは持ち合わせてなかったようです。
父親が外で働き、一家を支えて家族をリードする、という、
ヒエラルキーは残したかったのでしょう。
それで形式的に、戸籍の筆頭者を残して、
そうした構造が、意識できるようにしたのだろうと思います。

こうして戦後の戸籍は、彼らの「理想の家族」をあてはめるのに、
都合のいいかたちになったのだと思います。
戦後の身分登録が、個人単位にならず、
中途半端な改変しかなされなかった理由は、
このあたりにあるのではないかと、わたしは想像します。

このように見てくると、戸籍にまつわるさまざまな社会通念は、
高度経済成長期、すなわち、反対論者たちの
「理想の家族」観にもとづくのではないかと考えられます。

この「理想の家族」においては、結婚は一度だけして、
そのまま一生別れることなく、寄り添い続けることになっています。
したがって、離婚は絶対悪となり、離婚による除籍の記録
(俗に言う「ばつ」)がつくのを、「戸籍がよごれる」と言って、
ひどく忌みきらうのだろうと思います。


彼ら反対論者たちは、いまの戸籍制度によって、
自分たちが信じている「理想の家族」が「正しい」という、
「御墨付き」をもらっているつもりなのかもしれないです。
家族単位登録の異常なまでのこだわりや、
住基ネットを導入しても、将来的な戸籍廃止へ
向かわないことなども、彼らの「幻想」と戸籍とが、
わかちがたく結びついているからかもしれないです。

戸籍のフォーマットを、作り変えることは、
そうした「幻想」が、打ち壊される気がするのでしょう。
彼らが、法的な議論をそっちのけで、不可解で理不尽な反対をするのは、
戸籍制度によって、自分たちの「理想の家族」という「幻想」を、
守ろうとしているのかもしれないです。

夫婦別姓の家族は、あきらかに反対論者たちの、
「理想の家族」には、ありえないのでした。
それで、選択別姓の導入をしようして、ふたつの苗字が記載できるように、
戸籍を改めようとするものならば、ビリーバーたちは、
「別姓論者は、戸籍を破壊しようとしている」とか
なんとかいう、とち狂った思考へと走るのでしょう。

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