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当選回数主義
「永田町ずれ」の原因

「当選回数主義」とは、文字どおり、
議員が当選した回数に応じて、閣僚、政務次官、
国会の委員会、党の役員といった、さまざまなポストに
就けるようになるという、年功序列の一種です。
自民党では、このシステムが普及していて、
人事の基準として、定着しているようです。

300人もいる議員全員が納得できるように、
党のポジションを割り振るのは、簡単ではないからでしょう。
当選回数というわかりやすい基準によって、
ポジションをめぐる、つまらない争いを減らそうというわけです。
党を運営する上であみ出された、一種の処世とも言えるでしょう。
(そんなものが必要というのは、それだけ構成員の成熟度が低い、
ということでもあると言えますが...)


かかる年功序列制が、どんな事態を生み出すかは、
想像に難くないと思います。
年輩の議員ほど、党内の発言力、影響力が強くなり、
意志決定が上意下達になっていくことは、言うまでもないでしょう。

そのむかし、海部内閣のころ、改革を主張する若手議員たちと、
海部首相の足を引っ張る派閥の指導者が、対立していたときでした。
竹下派の会長(当時)の金丸氏は、その若手たちに対して
「大臣を目の前にして、おなじことが言えれば立派なものだ。」
と言い放ったことがありました。
当選回数主義のもと、しょせんおエラいさんには
逆らえないという、足もとを見た発言だったのでしょう。

このシステムがあると、政府や党の重要なポストについて、
一人前にものが言えるようになるまでに、
かなり長い徒弟生活が必要になってきます。
したがって、経歴の浅いあいだは、自分の主義主張を抑えこんで、
ひたすら、永田町での立ち振るまいを、身につけることになります。

そして、重要なポストについて、発言力が出てくるころには、
はじめのころに持っていた、理想や理念はなおさらですが、
社会的常識までもが、どこかに置き忘れることになるわけです。
当選回数主義という年功序列は、まさに政治家を
「永田町ずれ」させる、最大の原因と言えるかもしれないです。

マスコミが、議員について語るとき、
しばしば、「当選回数が何回で...」と、言い添えるのを、
ご覧になったかたも、たくさんいるでしょう。
民法改正についても、野田聖子と高市早苗の対立が激しくなったとき、
「このふたりは、ともに当選回数3回で...」と、
言われたことがありました。

こうした、議員の当選回数への言及は、単に政治家歴の長さを
言いたいだけでなく、当選回数により年功序列を踏まえた、
党内での影響力を、暗に踏まえているのだろうと思います。
これは、日本社会の中では、政治を語る上での
常識として定着している、ということだと思います。


当選回数による序列主義は、自民党だけでなく、
かつての社会党にも、浸透していました。
党の重要なポストや、代表質問の質議の機会には、
当選回数の多い、ベテラン議員に優先的に割り当てられていました。

1990年代のはじめごろから、こうした習慣をあらため、
書記長や執行委員に、一年生議員を多く起用するようになってきました。
このころから、党存続の危機に見舞われてきて、
新しい人材を活用する重要性に気が付いたのでしょう。

さまざまな意味で、自民党政治の弊害から決別しようとする
民主党は、もっとはっきりと、当選回数に
こだわらない人事を行なっているようです。
たとえば、2000年7月の代表質問では、
わずか1ヶ月前に初当選した新人議員、水島広子氏を起用し、
「若さあふれる党をアピール」しています。


ところで、民法改正、選択別姓の反対派には、
年輩の議員ほど多くなりそうだ、ということは、
世論調査を引き合いに出すまでもなく、予想がつくと思います。

したがって、わたしたちにとって、はなははだ不幸なことに、
当選回数による年功序列のため、おしなべて、
自民党内での影響力の強い議員は、
民法改正に反対していることが多い、ということになりそうです。

参考文献、資料

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