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9.11同時テロ自作自演説
平和活動に広がる陰謀論(2)

9.11テロ陰謀論 護憲派と陰謀論

反戦・平和活動もそうですが、一般に政治活動に、
同時テロ自作自演説のような、「とんでも」を信じる人が入り込むと、
どのような具合の悪いことがあるでしょうか?

ひとつは、前にお話したように、非常識なことをしているのが、
はた目によくわかるので、うさんくさいと思われて、
一般の人たちから、遠ざけられてしまうことです。
支持や賛同を広げることを目的としている
政治活動としては、あきらかにマイナスでしょう。

ふたつ目は、「とんでも」を振り回す人は、
詐欺まがいのことをするなど、反社会的なことをしていたり、
あるいは、危険思想の持ち主であったりすることです。
同時テロ自作自演説は、反ユダヤ主義をはじめ、
排外・国粋主義と結びつくことが、結構あります。
これらは、本来、反戦・平和を唱える思想とは、
相容れないものであり、活動を蝕ばむおそれのあるものです。


これらよりも、さらに深刻だと思われるのは、
政敵がつけこむ、格好の隙となることでしょう。
でたらめなことを主張しているのですから、
これを批判するのはたやすいからです。
最悪の場合、完膚なきまでに叩きつぶされて、
再起不能な状態にまで、おちいるかもしれないです。

むかしのお話ですが、1981年、731部隊の戦争犯罪を告発した
『悪魔の飽食』という本が出されたのでした。
ところが、不注意からですが、紛れ込んでいたにせものの写真を、
グラビア写真として、まちがって載せてしまったのです。

そうしたら、この本は「捏造本」だと、
マスコミや、右のほうの人たちから抗議され続けました。
右翼が街宣車に乗って、自宅の前に押しかけられたりもして、
著者は警察の護衛がないと、外出もままならないほどでした。
そして、南京事件をはじめ、その後の戦争犯罪や、
戦後補償問題に、深刻な影響をおよぼしたのでした。


もっと最近のものとしては、2006年2月に起きた、
「ライブドア疑惑」に関する「にせメール」事件があるでしょう。
ライブドア社長(当時)の、堀江貴文から、
「自民党幹事長の武部勤の次男に、選挙相談のお金を送った」という
内容のメールが、じつはにせものだった、という事件です。

このあと、マスコミと世論からの抗議が続き、
衆議院予算委員会で、この件について質議していた、
民主党の永田寿康議員は辞職、前原誠司氏も代表辞任に
追い込まれまて、疑惑の追求自体も立ち消えてしまいました。

「悪魔の飽食」も、「にせメール」も、追求している事件の
大きさにくらべれば、ずっと小さなつまづきであり、
ひじょうに理不尽なバッシングを受けたといえるでしょう。
しかも、意図的ではなく、まったくの過失です。
ところが、ごく小さな庇護でも、政敵が虎視眈々と狙っていれば、
致命的なダメージを受けうることを、しめしていると言えます。


「同時テロ自作自演説」を信奉する人たちは、これらより
はるかに大規模で露骨なでたらめを、白昼堂々やっています。
国政や文壇、世論の表舞台に出て、政敵・論敵ににらまれたら、
どういうことになるか、想像にがたくないと思います。

つけこまれたのではないですが、2007年1月に、
アメリカ下院議会で、従軍慰安婦の非難決議が発議されました。
ところが、日本国内で歴史の捏造をする人たちが、
自己正当化の「反論」を続けたため、悪質と見られて、
かえって発議者を増やし続けることになりました。

この非難決議は、2007年6月に可決すると、
それまで、「従軍慰安婦はいなかった」と言っていた人たちは、
自信をなくしたのか、以後はトーンダウンしていきます。
反戦・平和活動をする人たちも、同時テロ自作自演説を叩かれて、
歴史修正主義者と、おなじ憂き目にあうこともありえるでしょう。

つぎのエントリのコメント欄を見ると、
反戦・平和活動に関心のある人たちは、陰謀論批判が歓迎されず、
運動が「陰謀論の罠」に陥るとなにが困るのか、
わからない人たちが多かったりします。
「「9・11陰謀論」は「日本国憲法の復権」に水を差さないか」

こちこちのビリーバーは、どうしようもないにしても、
あまり信じていない人も、仲間に陰謀論者がいたって
いいではないか、という調子だったりします。
陰謀論者がお仲間にいると、はた目に非常識と見られて、
かえって信用をなくすとか、排外・国粋主義者など、
相容れない思想の持ち主と、隣り合わせになる、
といったことは、すこしも懸念されないようです。

陰謀論の信者でなくても、一般に反戦・平和活動に関心のある人は、
自分たち「護憲派」は減り続けている、という意識があります。
さらに、護憲勢力を含めた、いわゆる「左翼」は、
内ゲバで分裂をしやすい、という意識もあります。
それゆえ、数を減らしたくなくて、陰謀論者でも
仲間に入れることに、無頓着になるのもあるのでしょう。


「とんでも」の信者がいると、政敵や論敵につけこまれる
格好の隙になることも、まったく警戒されないようです。
記憶に新しいであろう、「にせメール」も教訓にならないようです。

反戦・平和を唱える人たちの多くは、前原誠司氏や永田寿康氏は、
キライだと思うのですが、「にせメール」事件のときは、
マスコミといっしょに、バッシングしたのではないかと思います。
陰謀論を主張していると、そのうち自分たちも、
同じ憂き目にあうとは、思っていないのでしょうか?

平和や共生を主張する人たちは、自分たちは「絶対の正義」だ、
という確信が強く、どこか批判されない「特権」が
あるかのような、思い込みもあるみたいです。
(これは、わたしが、実感したことでもあります。(参考1)(参考2))
それで、自分たちが批判されることに、無防備なのもあるのでしょう。


それから、平和や共生を主張する人たちは、
国政の真ん中に来て、責任与党(の支持者)になろう、
という意識も、あまりない感じです。
そもそもが、平和運動なんてのは、(まことに失礼ながら)
万年野党的で、特定の争点で反対を唱えて、
一過的に支持や注目を集める、という調子のかたが多いようです。

そういえば、リチャード・コシミズは、
「独立党」なる団体を作ったけれど、政党として
国会に議員を送ることは、ぜんぜん考えていないそうです。
自分のようなものが、国政の真ん中に出たら、
どんなことになるのか、わかっているのかもしれないです。


そんな中にあって、藤田幸久議員は、国政の真ん中で、
自作自演説について質問したことがあって、とても「大胆」です。
どんな様子になったかというと、たいへん静かだったとあります。
「国会で追及した「9.11」の謎」
========
国会で質問すると普通は自民党側からヤジが飛んでくるのですが、
「9.11」に触れると無気味なくらい静かになる。
========

藤田幸久議員は、なにか「タブー」に触れたから、
しーんと静まり返ったと、思っているみたいです。
本当のところは、つぎのページにあるように、
あきれてものも言えなくなったか、こんなことを言う人もいるんだと、
ものめずらしさで、聞き入ったのかのどちらかでしょう。
『『金曜日』- 藤田幸久参議院議員に聞く』

ようするに、「無視されている」ということのようです。
(藤田議員にダメージを与えても、得るものがないからでしょうか?)
これからどうなるかは、わからないですが、
いまのところ、深刻な事態にならずに、すんでいるみたいです。

参考文献、資料
  • 『民主党10年史』(橘 民義編・著、第一書林)
    108-109ページに、「にせメール」のことが書かれている。

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