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反対派の精神構造と思考構造
夫婦同姓は日本の伝統?

選択別姓反対論のビリーバーたちは、自分たちの信奉する
「理想の家庭」が、未来永劫のはずだと確信するあまり、
じつは過去のずっと以前からも、それが続いてきたのだと、
さらにおかしな妄想に走ることがあります。
 
反対派(ビリーバー)たちに言わせると、
同姓強制は、日本に馴染んでいる「伝統文化」だそうです。
欧米の民主主義諸国では、現在同姓以外の
苗字の選択ができる国がほとんどなのですが、
それゆえに夫婦別姓は「欧米文化」なのだそうです。
したがって、日本に夫婦別姓を導入すると、
日本の「伝統文化」が破壊され、家族の崩壊が起きるのだそうです。

ご存知のように、江戸時代に苗字を使うことができるのは、
ひとつの特権であり、ひとにぎりの武士階級だけでした。
全人口の9割以上をしめる、一般の庶民は、苗字を持たないか、
あってもおおやけには、名乗れませんでした。

明治時代に入って1870年、太政官は、
すべての平民が、苗字を名乗ることを許しました。
ところが、苗字をつけない人や、一度つけた苗字を
あとから変える人も、すくなくなかったのでした。
それまで苗字なしでやってきて、不便がなかったからでしょう。
同姓とか別姓以前に、「苗字を名乗る伝統」がなかったと言えます。

これは、明治政府が、国民全員に苗字があることで、
欧米諸国に対して、近代的に見せようということと、
サムライから特権をうばうという国策であって、
下からの要求ではないので、無理もないことだと思います。


明治政府は、富国強兵政策のため、戸籍制度によって、
国家が国民全体を把握する必要もありました。
そこで1875年に苗字を名乗ることを、義務づけることになります。
苗字によって、戸籍の筆頭者を代表させ、
さらにそこからメンバー全体を管理する、というわけです。

新しい戸籍制度が普及するにともなって、
結婚した女性の苗字はどうするかという質問が、
各地の地方自治体から、内務省に対して相次ぎました。
これに対する、政府の見解は「苗字は出自を表わす」です。
1876年3月に太政官は、「女性は結婚しても改姓せず、
生来の苗字を名乗るのが原則」と、答えていました。

最初の近代戸籍制度においては、苗字は出自を表わすので、
「結婚改姓」というものがなく、夫婦別姓だったことになります。
これは東アジアの伝統に沿っていたとも言えます。
こんなことも、夫婦同姓が「伝統」として、
定着していたのではないことを、しめしていると言えるでしょう。

さらに近代化の一環として、明治政府は家族制度の
整備を進めるのですが、これにともなって、
民法典論争がさかんになっていきます。
フランスのナポレオン民法典をはじめ、(注1)
欧米諸国の家族法を見ると、家父長制のもとで夫の苗字を名乗るので、
苗字の扱いは、これに習うことになっていきました。
そうしたほうが「近代的」と思ったのでしょう。

明治民法を起草した人たちは、「苗字」の法律用語を「氏」としました。
「苗字」と「氏」の区別がしだいになくなり、
出自を表わす「氏」と、サムライが一族の名称を
表わすのに使った「苗字」が混同されていき、
近代以降の苗字概念が作られることになります。

「苗字とは家の名前だ」という概念も、このころ出てくるようです。
「妻が夫の苗字を名乗るのは、夫の家に入るからだ」と、
当時の法典調査会の委員は、説明をしています。
これは輸入した制度ゆえに、女性が改姓することが、
じゅうぶん理解されていなくて、
納得させる必要があったことでもあると思います。


このようにして、1898年に定められた民法の
家族制度である「イエ制度」は、儒教由来の家制度をベースに、
ヨーロッパ由来の家父長制の影響を、強く受けたものとなったのでした。
苗字に関しても、ヨーロッパの民法の影響を受けています。
近代家族制度にともなって、新しく作られたと言ってよく、
氏姓制度や苗字など、それまでの日本の伝統と、
連続性はないと言ってよいでしょう。

欧米に追いつけ追い越せで、必死だった明治政府ですから、
江戸時代以前の「日本の伝統」を、顧みるはずもないなんて、
すこし考えれば、当然とも言えると思います。

反対論者(ビリーバー)たちが、日本の伝統と、
言い切っているものは、じつは欧米から輸入した文化だったりします。
事実の誤認もはなはだしいとしか、言いようがないのですが、
こういう人たちを揶揄して、「スパゲッティ保守」とか
「スパゲッティ右翼」とか言うかたも、いらっしゃったりします。

しかも、その欧米諸国では、さきにお話したように、
同姓強制を改めて、苗字の選択ができるようになっています。
本家では古くなったので、すでに捨てているものを、
日本では、輸入当時に近いかたちで、大事そうに固持しているのです。

このような妄信を続けている反対論者たちは、
しだいに、「自分たちは、伝統や国家を破壊する連中から、
日本の社会を守っているのだ」などとという、
自閉的で独善的もきわまりない、愛国心(ナショナリズム)に、
うぬぼれてくることは、言うまでもないでしょう。


もし同姓強制に、「日本の伝統」があるとしたら、
そのひとつは、異質なものを排除する、均一幻想だろうと思います。
よくご存知のように、日本人は、とにかくみんなと
同じでなければだめ、という傾向が強い国民です。
「選択制」を導入するにもかかわらず、反対するというのは、
「夫婦別姓なんて、みんなとちがうものは排除だ! 同姓を強制だ!」
という、非共存的態度にほかならないです。

もうひとつの「日本の伝統」は、男性中心社会だと思います。
戦前の日本は女性には、参政権がなかったですし、
ほかにも、たとえば、妻は無能力者とされ、
財産が夫の管理下に、置かれたりしていました。
戦後に入ってからも、女子差別撤廃条約につつかれて、
やっとのことで、骨抜きの「雇用均等法」ができるというありさまです。

現在の同姓強制は、運用実態で女性に不利ですから、
条約の不履行による、国際連合からのたび重なる勧告を受けています。
国際的に取り残されているのに、日本ではずっと放置したままなのは、
こうした女性を差別する「伝統」の、延長にあると考えられるでしょう。

参考文献、資料
  • 『夫婦別姓への招待』(高橋菊枝、折井美耶子、二宮周平著、有斐閣選書)
    第4章 女性の地位と氏名の変遷
    とくに156-161ページに、明治時代の様子が、もっとくわしく書かれています。

  • (注1) 日本の民法は、フランスの民法典がベースになのですが、
    妻は結婚して夫の姓となる、という規定に、該当するものはないらしいです。
    それゆえ、ドイツやイタリアなど、他国の法律も参考にしたと考えられます。

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