トップページ> 本館 > 「民法改正の関連トピック」 |
自由な社会の家族政策 自由な社会 |
岡田克也著『政権交代』の240-243ページを見ると、 日本は本当の意味で自由が保障できる国だとあります。 欧米の民主主義諸国においては、自由は定着していますが、 アジアにあっては例外的なことだそうです。 ここで言う「自由な社会」とは、おたがいの多様性が尊重され、 個人いかにして生きるかが、各人の心の問題であり、 自分で決められる状況にある社会です。 すくなくとも、そのように国の法律やシステムを、 整えることができる状況になっている社会です。 このような社会においては、政治の役目は、 「自由な社会」を実現する、基盤を整えることであり、 「個人がいかにして生きるか」に、政治が直接答えようとすれば、 政治の守備範囲を超えた、越権行為とされます。 そうなると、ファシズムや共産主義はもちろんですが、 民主的な政治システムであっても、 日本の高度経済成長期のように、「国家目標」を作って、 それに国民が邁進することが奨励ないし優遇される社会は、 「自由」とは言えないことになります。 高度経済成長期は、たしかに多くの国民が しあわせと感じていた時代だと思います。 しかしそれは、国家目標に従うことがしあわせになるように 導かれることで、作られたものでもあったわけです。 一般に、貧しい国は富国政策のために、 国民全員がささげるべき国家目標が必要になりがちです。 したがって、なかなか「自由な国」になれないことになります。 |
このあたりは、「個人がいかにして生きるか」を端的にしめす 家族政策を見てみると、もっとわかりやすいでしょう。 太平洋戦争中は、富国強兵政策のために、 人口を増やす必要があったので、1家族あたりの子どもの数を、 平均4人から5人に増やす必要がありました。 そこで、子どもが多いほうが、税金や手当てを有利にするとともに、 「結婚して子どもを産むのが、女性のしあわせ」という 価値観が普及するよう、学校教育の場が使われたりもしました。 敗戦後は、経済復興のためからですが、 企業の福利厚生の負担を緩和するために、 1家族あたりの子どもの数を、ふたりに減らす必要が出て来ました。 そこで、会社員の夫と専業主婦の妻に、子どもがふたりの家庭を、 「標準家族」と呼び、こういう家族構成だと、 「家の中が静かで、家に帰ってきた父親がやすらげてしあわせ」という 価値観が普及するよう、社内研修で社員教育したりもしました。 森永卓郎著『<非婚>のすすめ』の30-31ページには、 「国家目標が『生めよ増やせよ』から『少産社会で会社に専念』に 変わっただけで、家族の成り立ち方自体は何ら変化を 受けていなかった」と書かれています。 太平洋戦争が終わって戦後改革によって、 たくさんのことが民主的になったと、一般的には考えられます。 ところが、家族政策に関しては、昭和のファシズムも、 戦後の高度経済成長期も、国家が家族の「ありかた」に介入して、 それに国民を従わせたという点で、 「自由でない」ことに変わりはなかったわけです。 それから、夫婦同姓が民法で強制されるのも、 敗戦後も家族のありかたが画一化された、名残りとも言えるでしょう。 夫婦同性の強制が、政治による家族のありかたへの 介入であることは、これをご覧のかたには、 言うまでもないことだろうと思います。 各人がいかにして生きるかが、個人の心の問題である以上、 夫婦同姓でも夫婦別姓でも、どちらでも自由に選べるように なってしかるべきということになります。 「自由な社会」において政治がなすべきことは、 同姓でも別姓でも自由に選択できるよう、 法律を整えることであることも、言うまでもないでしょう。 |
ところで、『政権交代』の241ページで、 岡田克也氏はこんな苦言を呈しています。 ======== 「でも......」と不満顔な一人ひとりに私は、言いたい。 誰かが何かを与えてくれると思うことはもうやめよう。 どう幸せに生きるかは、一人ひとりが 自分のこととして考えるべき問題なのだから。 そして、いまの日本がそのことを可能にする国であることを、 もっと幸せに感じるべきなのだ。 家族、地域社会、身近なところに心豊かに生きるヒントはいくらでもある。 ======== これは想像するに、講演会や、ミニ集会に 集まるかたたちから、よく聞くことなのだろうと思います。 政治家の集会に参加するくらいですから、 政治意識はかなり高いほうなのだと思います。 そんな人たちから、こんな意見が出るということは、 国家目標に向かって邁進したいとか、自分が幸せになる 生きかたをだれかに導いてもらいたいという願望が、 いまもって強いということなのだと思います。 「根が深いなあ」と、わたしは溜息が出てしまいます。 というのも、こういうメンタリティが 「みんないっしょの夫婦同姓じゃなきゃいやだ」の 精神構造に、一役買っているのではないかと わたしは、いやな予感がしているからだけど。 とはいえ、日本が「自由な社会」になったのは、 冷戦とバブルが崩壊してからの、たかだか20年程度にすぎないことです。 国家目標に邁進すれば、みんなが幸せになれた 高度経済成長期を、「あのころはよかった」と 回顧する人たちがまだまだ多いという状況です。 成熟した「自由な社会」なるものを手にしたはいいけれど、 扱いをもてあますかたが多くても、無理もないのかもしれないです。 |
「民法改正の関連トピック」にもどる 「本館」にもどる トップにもどる |