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青年医師の心の内(4)
著作権論争(1)
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けろすけ氏は、『夫婦別姓を待つ身の溜息』という、
選択別姓に関係したことでは、有名なブログにも、
トラックバックを送りこんでいました。
ここには、ご本人が現われて、「氏の使い分け指針」(05年6月22日)
というエントリで、コメントもしていました。

そこで彼は、「安易に別姓を実践している人が多い」
などと言っていたのですが、[Jul 24, 2005 8:38:58 PM]
「法的な扱いや事務処理、対人関係などで、負担をかけながらも、
必要に迫られるので苦労しながら実践しているのに、
安易だというのは、まちがった先入観だ」と、
言い返されていました。[Jul 25, 2005 8:14:39 AM]

さらに、別姓家族の子どもが受けうる、
最大のリスクは、けろすけ氏のように偏見を持った人に、
出会うことだと言われていました。
実際、初等教育の途上にある子どもが、別姓に対して、
嫌悪感情を自動的に持つなど、ありえないことでしょう。
親が別姓であることを、悩む子どもが出てくるとしたら、
まわりのオトナたちが、偏見を吹き込むからだと思います。

「子どもがかわいそう」なのは、そうした偏見のある
人間のせいにほかならないのだと、わたしも思います。
子どものためを思うなら、そうした偏見をなくすことが
本来なのに、それをなんらかえりみることなく、
別姓の親に責任転嫁するのですから、二重のエゴと言えるでしょう。
「子どもがかわいそう」論は、とどのつまりは、
「差別は差別される側が悪い」という考えなのだと思います。

また、ブログの発端となった、事務員のかたには、
直接なにか言ったのか、あるいは、まわりの先輩医師たちが、
非改姓結婚していることは、どう思っているのか、
(諸般の事情で多いと、けろすけ氏自身が書いている。)
ということも、訊かれていました。[Jul 25, 2005 1:55:29 PM]

国家資格をともないますし、旧姓を通称として
使いにくい環境ゆえ、苦労しながらも、
事実婚をなさっているかたも、多いと思います。
しかし、「安易に実践している人が多い」などと言えるあたり、
そんな心中も察していないのでしょうか?


それで、わたしも尾に足して、自分の投稿が、
2回も削除されたことを、セーブしたログにリンクを貼って、
あらためてご指摘しておきました。
1回目の削除前2回目の削除前
さらに、R氏(r__ks氏)のウェブログから来ていた
トラックバックを削除したことも、合わせて言及しておきました。
[Jul 25, 2005 9:38:10 AM]

しかし、けろすけ氏は、これ以上わたしのことは、
なにを言われても、相手にしないだろうと思います。
自分のブログで、わたしを発言禁止にするくらいですから、
「編集権」のない他人のブログなら、なおさら避けるでしょう。
「子どものためなら、男性が改姓してもいいのに、
なぜ女性にしか言わないのか?」と、おなじことを、
あらためてお尋ねしてはおきましたが、
わたしは、このまま無視されるものと思います。

わたしが、ログを公開したことも、自分のブログでは、
著作権に反すると怒っていたのでした。(No.43)
しかし、このことも、彼はなにも言って来なさそうです。
それなら、かえって好都合なくらいです。
このまま黙認されたとみなして、けろすけ氏が削除した跡を、
公開しておくまでのことです。

本人から何も言ってこないと、安心しかけていたら、
本人でないかたから、著作権の抗議が来てしまいました。
けろすけ氏のエントリに、TBを送っていた、kojidoi氏でした。
(ついでながら、わたしのコメントが、削除されたことを、
抗議してくださったときは、わたしは内心喜んでいたのですが、
こんどはここで、彼をかばったのでがっかりしました。)

========
こういうのはダメですよ。
どう贔屓目にみても正当な引用ではない。
著作権上も道義的にもダメです。

この件に関してだけは彼の怒りは全く正当だと認めざるを得ません。
ブログの主に議論を引っ掛けるのはいいです。
痛烈に批判するのも結構です。
でも一方で議論を吹っかけられた相手には
議論を拒否する権利があります。
吹っかけてきた相手に付き合う義務も義理もありません。

またブログの編集は基本的に
ブログ主の意思が一番に尊重されるべきで、
削除されたからといって文句をいうのは筋違いです。
ましてや、相手が公開をとりやめたものを勝手に公開して
あちこちにURLを貼りまくるなど、道義的にも大問題だと思います。
========[Jul 26, 2005 10:18:08 PM]


わたしが、ログを公開しようと、ほかのブログで
レスを求めていようと、そんなのにおかまいなく、
けろすけ氏は自由に、議論を拒否していいと思いますし、
わざわざ言われるまでもなく、彼はそうしていると思います。
また、わたしは、けろすけ氏のブログの、オリジナルデータに、
削除した記事を復活させろとか、彼のブログ編集権に、
くちばしをはさむつもりはまったくないです。

コメントの削除をして、議論の拒否をしたいなら、
いくらでもそうすればいいでしょう。
でもそういうことがあったという事実だけは、
みんなにわかるように、証拠を残しておきますからね、
というのが、わたしのスタンスです。

インターネットにおける、「最低限のルール」とは、
自分の発言に対する、アカウンタビリティ(責務)
だろうと、わたしは考えています。
自分から議論をしかけておいて、いざ都合が悪くなると、
記事を削除して、相手の発言権を奪って逃げるのは、
まさしくアカウンタビリティの放棄でしょう。
それでも、自分だけは「著作権」で守られようと考える、
けろすけ氏こそ、道義的に大問題でしょう。

このような理由で、ログはむしろ積極的に
公開することですらあると、わたしは自分の考えを述べました。
それでも、抗議を受けたので、公開しているログから、
ほかのかたのコメント本文は削除して、自分のコメントだけにしました。
(付記:現在、すべてのコメントを復活させています。)

それでも、kojidoi氏は、納得できなかったのでした。
セーブしたログを公開したことに限っては、
わたし、たんぽぽのほうが、批判されることだという、
自分の考えは変わらない、などと言うのです。

それで、わたしも、みずから専門家と称していながら、
アカウンタビリティを放棄する、けろすけ氏への批判が
優先されると思うと、述べておきました。
(じつを言うと、kojidoi氏が、なにを言いたかったのか、
その意図するところを、つかみかねてもいたのですが。)

わたしはすでに、自分のコメントだけの公開にしています。
コメント欄の著作権は、各投稿者にあるでしょうし、
自分でそれを、別途公開したところで、
なおも著作権に抵触するなどと、非難されるいわれはないでしょう。
わたしは釈然としないものを感じました。
しかし、これ以上は、だれもなにも言ってこなくなったので、
ふたたび黙認されたものと、見なすことにしました。

ついでですが、例のネットの市民団体の集まる掲示板だと、
ここで、けろすけ氏をかばう人たちが、つぎつぎと現われて、
わたしは、不寛容と決めつけられて、不利になっていくところです。
このあたりは、ブログ管理者が、うまく取りはからってくれたこともあって、
そうしたこともなく、ここでの議論は終わったのでした。

付記1
2009年現在よく使われる『ウェブ魚拓』も、「著作権の侵害」と言われるのかな?

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