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「理系保守」の少子化対策(3) 処女崇拝と浮気 [0] : [1] [2] [3] [4] [5] [6] |
紫藤ムサシ氏に言わせると、外で働いている女性より、 専業主婦のほうが、浮気をしないのだそうです。 外で働いていると、いろいろな男性と接触することが多いので、 浮気の機会が多く、専業主婦だと、男性と出会う機会が少ないから、 浮気をすることもないからだそうです。 たとえば、日常の倦怠に飽きた、時間をもてあました主婦が、 刺激を求めて不倫に走る、なんてお話を、 ムサシ氏は、聞いたことがないのでしょうか? きょうびは、長く家の中に閉じこもっていると、 精神的に滅入ってしまい、対人関係にも、悪影響なことがあります。 それゆえ、妻が専業主婦をやっていても、できるだけ外へ行かせて、 社交を持たせることが、夫に勧められるくらいです。 そもそも、異性と出会うことが多いから、浮気しやすい、 ということが、根拠のないことです。 むしろ、接触する機会がないから、かえって、 異性に対する免疫が、なくなることがあるくらいです。 これは、むしろ男性のほうに、ありがちだと思います。 理工系学部のような男所帯にいると、現実の女性を見る機会がないので、 女性に対するおかしな思い込みが、強くなることがあります。 「女欲しい〜」という欲望だけが強くなったり、 固定観念が高じて、差別的な感覚を持ったりするようになります。 ふだんから社会の中で、現実の異性とたくさん接触しているほうが、 変な妄想を持つこともなく、不必要に異性を意識したりせず、 円滑な対人関係を持つことができるのだと思います。 専業主婦と、働く女性とで、実際には、どちらが浮気が多いのかは、 わたしには、ぜんぜんわからないです。 相関はなさそうですし、こんな比較をすること自体、 そもそも、意味のないことだと思います。 すくなくとも、ムサシ氏は、専業主婦のほうが、 浮気がすくないという、ご自分の説を裏付ける調査を、 どこにもしめしていないようですよ。 |
紫藤ムサシ氏に言わせると、男性が処女を好きなのも、 「本能」なのだそうです。 ところが、処女崇拝も、特定の文化事情でしか存在しないのでした。 たとえば、アフリカの部族の中には、「痛がる」「血が出る」 といった理由で、処女がかえって避けられるところもあります。 (いや、現代の日本だって、ちょっと女ずれしていると、 同じ理由で、処女をいやがる男も、まま見受けられますが。) 日本では、戦前は「夜這い」という、 フリー・セックスの習慣が、広く行きわたっていました。 ムラの若い男の子が、めぼしい女の子の家に行って、 その日かぎりのセックスをしてくる、というものです。 何人かで集まって、くじで相手を決めるのが、よくあるパターンでした。 習慣のこまかいところは、ムラによって違いがありました。 隣のムラへ行ってもよいところもあったり、 自分のムラにかぎられたところもありました。 また、ムラの女性なら、だれに夜這いをかけてもよいところと、 未婚の女性にかぎるところもありました。 さらには、女性から夜這いに行くムラも、あったようです。 このくらい、性規範がおおらかな社会では、処女が取り立てて、 エラくもありがたくもないことは、すぐにわかると思います。 夜這いの習慣は、オセアニア地方には、いまでも見られるらしく、 戦前の日本だけが特別、ということではないです。 日本では、明治時代の中ごろ、近代的な家族制度を整えてから、 しだいに夜這いを禁じるようになりました。 (家族を国家で管理する都合、婚姻関係がわかりにくいとか、 だれの子どもか特定しづらい、というのは、具合が悪かったのでしょうか?) おそくとも、1950年代には、日本のほとんどの村落から、 夜這いの習慣は、消えてしまったのでした。 こうして、婚外のセックスが、ご法度になっていくかたわら、 近代家族制度の輸入元の、キリスト教的貞操観念が加わって、 男どもが、処女をありがたがるように、なったのかもしれないです。 (ウィルヘルム・グリムは、婚前交渉や、それにともなう妊娠を はしたないとしたらしく、『グリム童話』は、 版を重ねるごとに、そうしたシーンが削られていきました。 じつは、これも、産業革命とともに隆盛した、 ブルジョワの感覚を、受け継いだのかもしれないです。) |
紫藤ムサシ氏は、男性の浮気については、なにも語っていないです。 社会に出て働いていると、浮気しやすいというなら、 ほとんどの男性は、浮気しやすい環境にいることになります。 これは、かまわないのでしょうか? 自分は女性に、浮気するなと言っておいて、 男性である自分は、浮気をしようというのでしょうか? あるいは、「イイ歳して童貞なんて、気持ち悪い」という 物言いは、どうお考えなのでしょうか? (「童貞はキモいと、女性が思うのは本能です。 メスは、よりよい子孫を残すために、強いオスの遺伝子を求めますが、 チェリーくんは、ほかのオスとの子孫を残す競争に勝てない、 生物学的に弱いオスだからです。」なんて、説明をされたら、 どういう気分になるでしょうか?) 紫藤ムサシ氏は、男のエゴに抗しきれない意志の弱さを、 「本能だから変えられない」と、言いわけしているだけだろうと思います。 その自己中心的な発想は、 ======== 生物の基本は「フィーメイル・チョイス」(女が男を選ぶ)ですが、 人間には「メイル・チョイス」(男が女を選ぶ)があり ======== などと言って、自分の結論に都合のいいように、 人間をほかの生物から、特別扱いするという、 ダブル・スタンダードに、現われていると言えるでしょう。 |
参考文献、資料
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